クレージー黄金作戦
『クレージー黄金作戦』(クレージーおうごんさくせん)は、東宝創立35周年記念作品[2]の1作品として1967年に製作・公開されたクレージーキャッツ主演映画。
クレージー黄金作戦 | |
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監督 | 坪島孝 |
脚本 | 田波靖男、笠原良三 |
製作 | 渡辺晋 |
音楽 | 宮川泰、萩原哲晶 |
撮影 | 内海正治 |
編集 | 武田うめ |
配給 | 東宝 |
公開 | 1967年4月29日 |
上映時間 | 157分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 1億8000万円 |
興行収入 | 6億8000万円 |
配給収入 | 3億2427万円[1] |
前作 | クレージーだよ天下無敵 |
次作 | クレージーの怪盗ジバコ |
日本映画史上初のアメリカ本土ロケを敢行し、ラスベガスのメインストリートを封鎖して撮影されたダンスシーン、またハワイ・ワイキキビーチでの、共に1960年代の東宝娯楽路線を支えた植木等と加山雄三の共演シーン[3]などが話題となった。上映時間157分に及ぶ大作である。興行収入6億8000万円、配給収入3億4000万円、観客動員数290万人の大ヒットとなった[4][5]。
本作[6]と翌1968年の『クレージーメキシコ大作戦』は、一本立てで公開された。
ストーリー
編集博打好きの僧侶・町田心乱は、博打のつけが溜まってしまい、債権者の一人である北川の経営する金友商事でタダ働きすることに。しかし心乱は、会社を利用して体よくロサンゼルスへと旅立つ。その飛行機で乗り合わせた国会議員の板垣重金、そして医師の梨本金男を「ラスベガスへ行けば3000ドルある」と焚きつけ、ラスベガスのカジノで一儲けしようと考える。しかし、持ち金をほぼ使い果たし、わずかな残金を支払い「行けるところまで」と三人で乗ったラスベガス行きのバスを降りると、そこは砂漠のド真ん中。炎天下の砂漠を彷徨う途中インディアンに追いかけられ、ラスベガスではギャング団に狙われ……と災難続き。イチかバチかの賭けの末、最終的には3600万ドルという大金を得ることができたものの、帰国後に海野月子の策略で全額慈善団体に寄付させられ、その金で建設された病院の前に、黄金に輝く3人の像が残ることとなったのだった。
スタッフ
編集キャスト
編集- 町田心乱:植木等
- 板垣重金:ハナ肇
- 梨本金男:谷啓
- インディアン:犬塚弘
- 中林(書記官):桜井センリ
- 怪しい男A:石橋エータロー
- 怪しい男B:安田伸
- 海野月子:浜美枝
- 花園百合子:園まり
- メリー:ペギー・ニール
- 北川常務:有島一郎
- 王仁口院長:藤木悠
- 沢島代議士:石山健二郎
- 衛生大臣:十朱久雄
- 関口支店長:人見明
- 大浜部長:藤岡琢也
- 並川課長:石田茂樹
- 金尾徴税局長:藤田まこと
- 板垣かね:飯田蝶子
- 山口:桐野洋雄
- 玩具工場社長:沢村いき雄
- キッド・ゴールド:アンドリュー・ヒューズ
- 神父:E・H・エリック
- 患者:塩沢とき
- キッド・ゴールドの顧問弁護士:ジョージ・A・ファーネス
- デモ隊:ザ・ドリフターズ(いかりや長介・加藤茶・荒井注・高木ブー・仲本工事)
- ワイキキビーチの若大将:加山雄三
- ザ・ピーナッツ(伊藤エミ・伊藤ユミ)
- ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
- ジャニーズ[7]
挿入歌
編集- 「万葉集」
- 作詞:永六輔、作曲:中村八大[8]
- 歌:植木等
- 「何も云わないで」
- 作詞:安井かずみ、作曲:宮川泰
- 歌:園まり
- 「代議士ソング」
- 作詞:萩原哲晶、作曲:萩原哲晶[9]
- 歌:ハナ肇
- 「二人だけの海」
- 作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作
- 歌:植木等、加山雄三
- 「星に願いを〜ハリウッド・ブールバードの歌」
- 作詞:藤田敏雄・植木等・田波靖男、作曲:萩原哲晶[10]
- 歌:植木等
- 「つれてって」
- 作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰[11]
- 歌:園まり
- 「ハロー・ラスベガス〜金だ金だよ」
- 作詞:田波靖男、作曲:宮川泰[12]
- 歌:クレージーキャッツ
- 「ウナ・セラ・ディ東京」
- 作詞:岩谷時子・田波靖男、作曲:宮川泰、企画・構成:谷啓・ハナ肇、演出:和田嘉訓[13]
- 歌:ザ・ピーナッツ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ジャニーズ、クレージーキャッツ
脚注
編集- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)240頁
- ^ 『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督。奇しくも、上映時間は本作と同じ157分である)、『乱れ雲』(成瀬巳喜男監督)、『なつかしき笛や太鼓』(木下惠介監督)、『南太平洋の若大将』(古澤憲吾監督)、『キングコングの逆襲』(本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)など、本作を含め全部で11本が製作・公開された(『クレージー映画大全』(1997年・フィルムアート社、ISBN 4845997703) P.110)。
- ^ 同一カットでの植木と加山のツーショット、およびセリフのやりとりは無し。植木・ハナ・谷、そして加山と、それぞれ別々に撮られたワイキキビーチでのカット、撮影所で撮られたカット(加山のみ)などを編集の上、ひとつのシーンとして構成している。ただし、本作の脚本も手がけた田波靖男が1997年に出版した『映画が夢を語れたとき』(広美出版事業部、ISBN 9784877470074)の表紙には、このシーンと同じ衣装を身につけた植木と加山が真剣な表情で打ち合わせをしている、撮影の準備中と思われる(場所もワイキキビーチと思われる)スナップ写真が用いられている。
- ^ 田波靖男・著『映画が夢を語れたとき』(1997年・広美出版事業部、ISBN 4877470077)P.145-146
- ^ キネマ写真館:作品詳細「クレージー黄金作戦」
- ^ 短編映画『鶴と白鳥と流氷の故郷』が同時上映された。
- ^ ジャニーズ事務所所属だが、当時の同事務所は渡辺プロダクションと提携していたため、ジャニーズも渡辺プロ所属タレントと同格、かつ同事務所のタレント扱いで出演できた。
- ^ タイトルバックで植木が歌唱し、エンディングでも流れる。本作公開中の1967年5月5日に発売された植木のソロ・アルバム『ハイおよびです!!』に収録され、同年10月にはシングルレコードでも発売された。
- ^ 東宝クレージー映画・全30作品中、ハナ肇が単独で歌った唯一のオリジナル・ナンバー。本作の中では他の登場人物たちの歌声もオーバーダブされているが、レコーディング自体はハナのソロで行なわれ、そのソロ音源がCD化されている。
- ^ 「星に願いを」は、1967年7月から放映されたテレビ番組『植木等ショー」エンディング・テーマ。先行した本作での歌唱分では、歌詞が異なっている。
- ^ 本作公開後、園は「つれてって」というタイトルの楽曲(やはり岩谷・宮川コンビのペンによるもの)をシングルレコードとして発売しているが、本作で歌唱しているものとは歌詞が多少異なり、メロディーおよび曲調は全く異なる。
- ^ この『ハロー・ラスベガス~金だ金だよ』は、別々に録音された3つのパートにより構成されているが、これら3つのパートをほぼ余白なしで編集してあるバージョンも存在しており、CD化されたこともある。このバージョンは、本作の中に“休憩”を設けた場合、その時間に流すことを想定して制作されたものだが、最終的に本作は“休憩”なしで完成し、このバージョンが使用されることはなかった。
- ^ 和田は『ウナ・セラ・ディ東京』をベースに進行する「ホテル・リヴィエラ・ショー」シークエンスの演出を担当した(クレジットは「監督」)。
関連項目
編集- パンアメリカン航空 - この作品の協力会社として、作中にも登場。
- パラマウント映画 - 作中、板垣がロサンゼルス視察で同撮影所を訪れた[1]。
- ハリウッド・ボウル - やはり作中で板垣が訪れ、ステージから誰もいない客席に向かって演説をぶった。
- ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム - 『星に願いを~ハリウッド・ブールバードの歌』の歌唱シーンに登場。ウォルト・ディズニー、チャールズ・チャップリン、クリフトン・ウェッブらの星形プレートが映し出される。
- グレイハウンド - 作中、町田・板垣・梨本の3人がロサンゼルスからラスベガス(の途中)まで移動する手段として登場。
- だまされて貰います - 本作公開からちょうど4年後の1971年4月29日に公開された、東宝クレージー映画の一作。ハワイ、ロサンゼルス、ラスベガスに加え、ニューヨークでもロケを敢行した。
外部リンク
編集- ^ 撮影所内部には入らず、外観のみ登場した。