クリスタルグリッターズ
クリスタルグリッターズ(Crystal Glitters、1980年5月30日 - 2002年12月5日)は、アメリカ合衆国生産の競走馬、種牡馬。
クリスタルグリッターズ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1980年5月30日 |
死没 | 2002年12月5日(22歳没) |
父 | Blushing Groom |
母 | Tales to Tell |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Mr.& Mrs.Don Manning |
馬主 | Mahmoud Fustok |
調教師 |
Mitri Saliba(フランス) →Andre Fabre |
競走成績 | |
生涯成績 | 17戦5勝 |
生涯
編集1982年8月10日のタンカルヴィユ賞で、アルフレッド・ジベール騎手騎乗でデビュー。このデビュー戦を勝利で飾る。9月19日、重賞初挑戦となったサラマンドル賞(G1)は3着に敗れたが、10月1日のエクリプス賞 (G3) で重賞初勝利を挙げた。
その後のG2・G3では3着・4着に敗れたが、1983年4月24日のプール・デッセ・デ・プーラン (G1) では、クリスタルグリッターズがデビュー戦で負かしたレミグラン(L'Emigrant)の2着となった。そしてアイリッシュ2000ギニー (G1) 4着を経て挑んだ6月26日のイスパーン賞で、G1初勝利を果たした。この時の鞍上は主戦騎手のジベールではなく、初コンビのイヴ・サンマルタンだった。
1983年はその後3戦未勝利に終わったが、年明け初戦、1984年3月3日のエドモンブラン賞 (G3) で勝利を挙げる。6月24日には、今度はジベールを背にイスパーン賞を優勝。連覇を達成した。8月26日にはアメリカのバドワイザーミリオンステークス(G1、後のアーリントンミリオンステークス)に挑んだが10着に敗れ、このレースが引退レースとなった。同年、フランスの最優秀古馬に選出された。
1985年からフランスで種牡馬となり、1988年に日本へ輸出された。フランス・日本両国でG1優勝馬を輩出し、またリーディングサイアートップ10に入る活躍を見せた。2002年に日本で死亡した。
主な産駒
編集ブルードメアサイアーとしての主な産駒
編集- カルストンライトオ(スプリンターズステークス、アイビスサマーダッシュ2回)
- オウリエット(Auriette)(ゲイムリーハンデキャップ)
- コンソリデーター(Consolidator)(ブリーダーズフューチュリティステークス)
- ベルエセレブル(Belle Et Celebre)(サンタラリ賞)
- カズサライン(ファルコンステークス)
血統表
編集Crystal Glittersの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ブラッシンググルーム系(ナスルーラ系 |
[§ 2] | ||
父 Blushing Groom 1974 栗毛 |
父の父 Red God1954 栗毛 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Spring Run | Menow | |||
Boola Brook | ||||
父の母 Runaway Bride1962 鹿毛 |
Wild Risk | Rialto | ||
Wild Violet | ||||
Aimee | Tudor Minstrel | |||
Emali | ||||
母 Tales to Tell 1967 鹿毛 |
Donut King 1959 青鹿毛 |
Determine | Alibhai | |
Koubis | ||||
Strayed | Bull Dog | |||
Misleading | ||||
母の母 Fleeting Doll1961 鹿毛 |
Fleet Nasrullah | Nasrullah | ||
Happy Go Fleet | ||||
Chinese Doll | Silver Horde | |||
Chinese Sis | ||||
母系(F-No.) | 2号族(FN:2-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah3×4=18.75%、Bull Dog5×4*5=12.5% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
編集- ^ a b c “クリスタルグリツターズ(USA) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月9日閲覧。
- ^ a b “(馬名)の5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月9日閲覧。