クラブ洗粉(-あらいこ)は、日本の洗顔料の商品名である。発売以来100年以上の歴史をもつ。

略歴・概要

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1906年(明治39年)4月3日中山太一率いる大阪の化粧品会社中山太陽堂(現クラブコスメチックス)が、卸売業から製造業に転身し、売り出した自社製造第1号商品である。[1]

当時、外国製石鹸が輸入されており、洗顔料としても使われていたが、同社が打ち出したのは、「石鹸」ではなく日本古来の「洗粉」であった。石鹸と違い肌荒れの心配がなく、大ヒットした。中山太陽堂は、この商品のヒットで、日本の化粧品業界では、「白粉の御園」(御園白粉、胡蝶園)、「歯磨のライオン」(「獅子印ライオン歯磨」、小林富次郎商店)、「クリームのレート」(平尾賛平商店、1954年倒産)とならぶ「明治の四大覇者」と呼ばれるようになった[1]

中山太陽堂では、新聞・雑誌といった当時の新しいメディア、自動車や飛行機など当時の新しい交通機関を利用し、斬新な広告を打った[1]

現在、同商品は、1回分3グラムずつ分包されて、販売されている。

関連事項

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  1. ^ a b c #外部リンク内のクラブコスメチックス公式サイトリンク先の記事「資料室」の記述を参照。二重リンクは省く。

外部リンク

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