クォーソン
クォーソン(Quorthon、1966年2月17日 - 2004年6月3日[1])は、スウェーデンのミュージシャン。ブラックメタルのジャンルを開拓し、ヴァイキング・メタルのスタイルを生み出したとされるバンド「バソリー」の創設者の一人であり、唯一のソングライターでもある[2]。バンドではボーカル含め全楽器を担当した。
クォーソン Quorthon | |
---|---|
出生名 |
トーマス・フォルスベリ Thomas Börje Forsberg |
生誕 | 1966年2月17日 |
出身地 |
スウェーデン ストックホルム県 ストックホルム |
死没 | 2004年6月3日(38歳没) |
ジャンル |
スラッシュメタル ブラックメタル ヴァイキングメタル |
職業 |
ボーカリスト ギタリスト ベーシスト |
担当楽器 |
ボーカル ギター ベース |
活動期間 | 1983年 - 2004年 |
共同作業者 | バソリー |
概要・来歴
編集1983年、17歳の頃に「バソリー」を結成。その後、オイ!・バンド「Stridskuk」で短期間活動した後、ドラマーのJohan "Jolle" ElvénとベーシストのRickard "Ribban" Bergmanが在籍し、彼らはバソリーの初期デモ、Bergmanはアルバムに参加した[3]。
1980年代半ばから後半にかけて、バソリーのライブパフォーマンスは稀だった。この時期のアルバムは、当時急成長していたブラックメタルのサブジャンルに貢献し、貴重な写真もバンドのイメージを決定づける一因となった。1990年代に入ると、彼はバンドの全権を掌握し、雇われたミュージシャンとのレコーディングに時間を費やすため、ライブを行わないことを選択し、また、1980年代のブラックメタルから、歌詞が北欧神話に焦点を当てていることから、最終的にはヴァイキング・メタルというジャンルの創始となった、よりスローでヘヴィなスタイルへとスタイルを変えた。これ以降、彼はほとんどすべてのアルバムでギター、ベースを弾き、ドラム・マシーンかセッション・ドラマーを使うことがほとんどだった。
また、バソリーの5枚目スタジオ・アルバム『Hammerheart』収録曲「One Rode to Asa Bay」のミュージック・ビデオの制作費は全て自己負担した。このビデオはMTVの『Headbangers Ball』で放映されたが、番組のインタビューを受けた時点では彼はまだ見ていなかった。
1993年にバソリーを脇に置き、「クォーソン」名義で2枚のアルバムをレコーディング、リリースした。最初のアルバム『Album』は1994年にリリースされた。最後のソロ作品は、1997年の『Purity of Essence』とEP『When Our Day Is Through』である。クォーソン名義でリリースされたアルバムは、バソリーのブラック/ヴァイキング・メタル・スタイルよりもロック志向が強かった。これらのアルバムに取り組む中で、彼はバソリーのために作曲を続ける新たなインスピレーションを見出した。Bathoryの次のアルバムはレトロなスラッシュ・メタル・スタイルで、特に『Nordland saga』では再びヴァイキング・メタル・スタイルに傾倒した。
しかし、2004年6月3日にストックホルムのアパートで死亡しているのが発見された。死因は心不全によるもので38歳の若さだった[4]。
ディスコグラフィー
編集バソリー
編集ソロ
編集- Album (1994)
- When Our Day Is Through EP (1997)
- Purity of Essence (1997)
脚注
編集- ^ Date stated in the death notice for Ace Börje Forsberg that his family put in the swedish newspaper Dagens Nyheter on 23 June 2004, the death notice also included the lyrics to the Bathory song Hammerheart.
- ^ Johannesson, Ika & Klingberg, Jon Jefferson. (2011) Blod Eld Död - En svensk metalhistoria, Alfabeta Bokförlag AB, p. 51-68.
- ^ “Bathory - Bathory”. www.bathory.nu. 2 October 2019閲覧。
- ^ Hillborg, Yasin (Director) (2011). Så jävla metal (DVD).