クィルバック (潜水艦)
艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1944年6月27日[1] |
進水: | 1944年10月1日[1] |
就役: | 1944年12月29日[1] 1953年2月27日[1] |
退役: | 1952年4月[1] 1973年3月23日[1] |
除籍: | 1973年3月23日[1] |
その後: | 1974年3月21日にスクラップとして売却[1] |
性能諸元 | |
排水量: | 建造時 1,570 トン(水上)[2] 2,414トン(水中)[2] GUPPY II改装後 1,870 トン(水上)[3] 2,440トン(水中)[2] |
全長: | 建造時 311 ft 8 in (95.00 m)(全長)[2] GUPPY II改装後 307 ft (93.6 m)(全長)[4] |
全幅: | 27 ft 4 in (8.33 m)[2][4] |
吃水: | 17 ft (5.2 m)(最大)[2][4] |
機関: | フェアバンクス=モース38D8-1/8型10気筒対向型ディーゼルエンジン4基[2][5] エリオット・モーター2,740馬力発電機2基[2] |
最大速: | 建造時 水上:20.25 ノット (38 km/h)[6] 水中:8.75 ノット (16 km/h)[6] GUPPY II改装後 水上:18 ノット (33.3 km/h)(最大)[7] 水中:9 ノット (16.7 km/h)(シュノーケル使用)[7] |
航続距離: | 建造時 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km)[6] GUPPY II改装後 15,000カイリ(10ノット時) (20 km/h 時に 28,000 km)[4] |
巡航期間 | 建造時 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[6] GUPPY II改装後 潜航4ノット (7 km/h) 時48時間[4] |
試験深度: | 400 ft (120 m)[6] |
乗員: | 建造時 士官10名、兵員71名[6] GUPPY II改装後 士官15名、兵員70名[4] |
兵装: | 建造時 5インチ砲1基、40ミリ機関砲1基、20ミリ連装機銃1基、20ミリ単装機銃1基、50口径機銃4基[8] 21インチ魚雷発射管10基 GUPPY II改装後 21インチ魚雷発射管10基[4] |
クィルバック (USS Quillback, SS-424) は、アメリカ海軍の潜水艦。テンチ級潜水艦の一隻。艦名はサッカー科の淡水魚クィルバックに因む。
艦歴
編集本艦は建造が認可された当初、艦名はシビレエイ目の一種ブラジリアン・エレクトリック・レイの通称トレンブラー (Trembler) と命名される予定であったが、1943年12月7日に変更された。クィルバックは1944年6月27日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1944年10月1日にJ・A・タイリー・ジュニア夫人によって命名され、1944年12月29日に艦長リチャード・P・ニコルソン少佐(アナポリス1937年組)の指揮下就役する。コネチカット州ニューロンドンでの訓練のかたわら、フロリダ州キーウェストでの兵站局による実験プロジェクトに参加[9]。プロジェクト終了後、クィルバックは真珠湾に向けて出航し、5月1日に到着した[9]。
哨戒
編集5月30日、クィルバックは最初の哨戒で日本近海に向かった。サイパン島までの道中はシルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) 、レッドフィン (USS Redfin, SS-272) と各種訓練を行った[10]。6月11日にサイパン島タナパグ湾に寄港し、翌12日にシルバーサイズ、カブリラ (USS Cabrilla, SS-288) と出航[11]。豊後水道入口沖の島近海の哨区に到着した[12]。7月2日、クィルバックは北緯32度13分 東経133度12分 / 北緯32.217度 東経133.200度の地点で魚雷艇と思われる艦船を発見し、砲撃で撃沈[13]。また、沿岸から0.5マイルの海上で一人のパイロットを救助した。7月24日、クィルバックは53日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。
クィルバックは、2回目の哨戒に向けてアプラ港で整備中に終戦となった。
戦後
編集戦後のクィルバックは、平時任務としてニューロンドンで第2潜水戦隊に所属し活動した。1945年から51年まで潜水艦学校の訓練任務に従事し、海軍水中聴音研究所の実験任務を行う。1951年4月にニューロンドンを出航し、地中海での第6艦隊との任務に就く。クィルバックは1952年4月にポーツマス海軍造船所でGUPPY改修が行われた。
改修が完了するとクィルバックは1953年2月27日に再就役し、大西洋艦隊潜水艦部隊に合流する。クィルバックはキーウェストの第4潜水戦隊に配属された。グアンタナモ湾への何度かの巡航と沿岸での作戦活動を行い、クィルバックは駆逐艦対潜水艦戦部隊の艦隊訓練グループを支援した。1956年、57年、58年にクィルバックは北大西洋での大規模艦隊演習およびNATOの演習に参加した。
1959年に第12潜水戦隊へ転属となり、1960年にはサウスカロライナ州チャールストンで、攻撃能力向上のための広範囲オーバーホールが行われた。1961年10月に地中海へ展開し、1962年2月にキーウェストに帰還する。キーウェストでは5月から10月まで活動し、キューバ危機が発生するとグアンタナモ湾へ展開する。1963年はキーウェストで活動し、グアンタナモ湾での艦隊訓練グループの支援を行う。
クィルバックは1964年7月から6ヶ月地中海へ展開した。1965年には水雷研究開発プロジェクトの実験任務が割り当てられ6月まで同任務に従事、その後グアンタナモ湾に展開する。キーウェストでの作戦活動後、1967年8月から11月まで地中海に再び展開した。1968年と69年は大半をカリブ海での活動で過ごす。
クィルバックは1973年3月23日に除籍され、1974年3月21日に売却された。
クィルバックは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h #Friedman (1) pp.285-304
- ^ a b c d e f g h #Bauer
- ^ #Friedman (2) pp.11-43
- ^ a b c d e f g #Friedman (2) p.242
- ^ #Friedman (1) pp.261-263
- ^ a b c d e f #Friedman (1) pp.305-311
- ^ a b #Friedman pp.305-311
- ^ #SS-424, USS QUILLBACK p.6
- ^ a b #SS-424, USS QUILLBACK p.3,6
- ^ #SS-424, USS QUILLBACK p.7
- ^ #SS-424, USS QUILLBACK p.9
- ^ #SS-424, USS QUILLBACK p.11
- ^ #SS-424, USS QUILLBACK p.18,28
参考文献
編集- (issuu) SS-424, USS QUILLBACK. Historic Naval Ships Association
- Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1
- Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 280-282. ISBN 0-313-26202-0
- Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3
- Friedman, Norman (1994). U.S. Submarines Since 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-260-9
関連項目
編集外部リンク
編集- navsource.org
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。