ギュンター・パッシン
ドイツのオーボエ奏者
ギュンター・パッシン(Günther Passin、1937年5月20日 -2014年3月18日 )は、ドイツのオーボエ奏者。また、教育者としても多くの弟子を育てた。フルート奏者のカール=ハインツ・パッシン(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団元首席フルート奏者)の実兄である。
経歴
編集- 1937年にライプツィヒに生まる。1946年9歳でピアノをはじめる。3年後1949年ドイツ民主共和国(東ドイツ)誕生。
- 小学校卒業後は1951年からザクセン州トールガウにある音楽の中等教育学校でオーボエ、ピアノ、ヴァイオリンを教わる。
- 1954年にライプツィヒ音楽大学に入学。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団首席オーボエ奏者ヴィリー・ゲルラッハにオーボエを学び、1957年にケムニッツ市立歌劇場のオーケストラでオーボエ奏者としての最初のキャリアをスタートさせる。その後、東西間ベルリンの往来に緊張が生じ、妻子とともに旧西ドイツに亡命する。1960年から62年まで、デトモルトの北西ドイツ音楽アカデミーで、ヘルムート・ヴィンシャーマンに師事し、その間もヘルムート・ミュラー=ブリュールが立ち上げたケルン室内管弦楽団で演奏活動を続ける。
- 1962年にベルリン放送交響楽団にソロ・オーボエ奏者として入団。ロリン・マゼール、リッカルド・シャイー、ヴラディーミル・アシュケナージら歴代の首席指揮者のもとで、演奏会と録音を多数行う。
- 1972年、ヘルムート・リリングが主宰するシュトゥットガルト・バッハ・コレギウムに参加。出版社「ヘンスラー」から刊行されたヨハン・ゼバスティアン・バッハの教会カンタータ・受難曲・ミサ曲などの全曲録音に参加する。
- 2014年3月、癌のため死去。
教育者として
編集- 1982年、ミュンヘン国立音楽大学大学院マイスターコースの教授に就任。ドイツ国内外の多くの学生の指導にあたる。門下生にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団オーボエ奏者クリストフ・ハルトマンそしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、バンベルク交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団などのドイツ主要オーケストラで活躍するオーボエ奏者がいる。日本人でも、NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔、読売日本交響楽団首席奏者の蠣崎耕三、新日本フィルハーモニー交響楽団首席オーボエ奏者の古部賢一、名古屋フィルハーモニー交響楽団首席オーボエ奏者の寺島陽介、ブレーメン・フィルハーモニーソロイングリッシュホルン奏者の長岡大輔、ミュンヘン・ゲルトナー劇場イングリッシュホルン奏者 島崎智子などがいる。
- ドイツ、日本、中国、アメリカ、アルゼンチン、スウェーデン、オーストリア、インドでマスタークラスを開催し、世界各国でオーボエを教えた。
- 1992年、ほぼ40年ぶりにベルリン・フィルの指揮台に戻ってきたセルジュ・チェリビダッケの指揮するベルリン・フィルの演奏会にエキストラとして出演。ブルックナーの交響曲第7番で1番オーボエを吹いた。
- 1994年、ベルリン・ドイツ交響楽団(ベルリン放送交響楽団が東西ドイツ統一後に名称を変更)を退団。
- 1998年からザルツブルク・モーツァルテウム大学の客員教授をつとめた。この音楽院は、オーボエ奏者ローター・コッホもベルリン・フィル退団後、教授を務めた。
晩年、その他
編集ディスコグラフィ
編集- "Virtuose Oboenkonzerte"(墺Schwann→独Koch Schwann VMS-2022) - ヘルムート・ミュラー=ブリュール指揮ケルン室内管弦楽団と、ファッシュ、ディッタースドルフ、プラッティ、シュテェルツェルなど、18世紀のオーボエ協奏曲を収録。1968年に録音。現在入手は困難な状態にある。
- モーツァルト:セレナード第10番『グラン・パルティータ』(独BAYER→香港Naxos 8.550060) - ジャーマン・ウインド・ソロイスツ(ドイツ管楽ゾリステン)として1987年に録音したもので、パッシンが1番オーボエを担当している。なお、2番オーボエはマンフレート・クレメントが担当。