ヘルムート・ヴィンシャーマン
ドイツの指揮者・オーボエ奏者 (1920-2021)
ヘルムート・ヴィンシャーマン(Helmut Winschermann, 1920年3月22日 - 2021年3月4日)は、ドイツのオーボエ奏者、指揮者、教育者。
ヘルムート・ヴィンシャーマン Helmut Winschermann | |
---|---|
生誕 | 1920年3月22日 |
出身地 | ドイツ国・ミュールハイム・アン・デア・ルール |
死没 | 2021年3月4日(100歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | オーボエ奏者、指揮者、教育者 |
担当楽器 | オーボエ |
人物・来歴
編集1920年生まれ。
エッセンとパリでオーボエを学び、幾つかのオーケストラを歴任した後、ドイツ・バッハ・ゾリステンのオーボエソロイスト、指揮者として1960年代からバッハを始めとするバロック音楽の普及に努める。エッセンではヨハン・バプティスト・シュレーに、またパリではルイ・ブルーゼに師事した。
デトモルトの北西ドイツ音楽院教授として多くの門下を育て、日本からも岩崎勇(同名異人注意)、宮本文昭、安原理喜、北島章や、より若い世代まで数多くの演奏家が師事している。2010年代まで指揮者としての活動を続け、水戸室内管弦楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルなどにしばしば客演している。1960年の初来日(クルト・トーマス、ラインホルト・バルヒェット、ハンス・マルティン・リンデなど同行)以来数多く来日を重ね、草創期の読売日本交響楽団でのオーボエ欠員に際してオットー・ヴィンター(後にバンベルク交響楽団)を推薦するなど、日本楽壇への影響、繋がりも深かった[1]。また翠(みどり)夫人は日本人である。
2010年3月にはボンで90歳を祝う催しが開かれた。2010年9月には来日、「マタイ受難曲」(東京)、「ロ短調ミサ」(大阪)を指揮し、また東京でも祝賀会が開かれた。
2020年3月22日に100歳を迎えたが、ボンの自宅での祝賀会は、新型コロナウィルス問題の影響で中止となった。
2021年3月4日死去。100歳没。
脚注
編集注釈・出典
編集- ^ 成澤 良一『オーボエが日本にやってきた! -幕末から現代へ、管楽器の現場から見える西洋音楽受容史-』デザインエッグ社、2017年11月6日、141-142、145、195頁。ISBN 978-4-8150-0249-7。