ギデオン
ギデオン(英語: Gideon または Gedeon、ヘブライ語: גִּדְעוֹן (Gid'on))とは、ヘブライ人の士師である。「破壊者」の意味で、「強力な戦士」または「(木の)伐採者」を指す。彼の物語は『士師記』に記録されており、その記述は『旧約聖書』に編纂されている。彼の物語は6章から8章にかけて書かれている。彼は信仰の人の例として、『ヘブライ人への手紙』の中でも名が挙げられている[1]。
家系
編集歴史
編集『士師記』における一連のパターンがそうであるように、イスラエル人はカナン人に対するデボラの勝利がもたらした40年間の平和の後に再び神(ヤハウェ)から離れ、神は近隣諸国のミディアン人とアマレク人による攻撃を容認した。神はイスラエル人を解放し、偶像礼拝を非難するために、マナセ族の中でも目立たない一族から一人の若者ギデオンを選び出した。
彼自身の立場も神の命令も非常に不確実なものであったので、彼は連夜互いに正反対の事が遂行されるという二度の奇跡を、神の意志である事の証拠として要請した。
36 ギデオンは神に言った、「あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルを救おうとされるならば、37 わたしは羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露がその羊の毛の上にだけあって、地がすべてかわいているようにしてください。これによってわたしは、あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルをお救いになることを知るでしょう」。38 すなわちそのようになった。彼が翌朝早く起きて、羊の毛をかき寄せ、その毛から露を絞ると、鉢に満ちるほどの水が出た。39 ギデオンは神に言った、「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください」。40 神はその夜、そうされた。すなわち羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった。 — 士師記 6:36-40、口語訳聖書
神の命令によって、ギデオンは都市にある異国の神バアルのための祭壇と、その傍らにある女神アシェラの像を破壊した。彼はヨルダン川とイズレエルの谷に野営したミディアンとアマレクの軍隊に会うために、アシェル、ゼブルン、ナフタリの部族へ使者を遣わし、同じ事を彼自身の部族であるマナセにも実施して民を結集させた。
しかし神はギデオンに、彼が集めた民があまりにも多すぎるので、イスラエル人は神が彼らを救われたことを認める代わりに、彼ら自身の力によって勝利を得たと主張することになるだろうと告げた。神は始めに怖れを抱いている人々を家に送り戻すよう指示した。それでギデオンは幾らかの者が立ち去ることを許可し、二万二千人の者は家に戻り、一万人が残った。それでも、神によれば数はまだ多すぎた。
4 主はまたギデオンに言われた、「民はまだ多い。彼らを導いて水ぎわに下りなさい。わたしはそこで、あなたのために彼らを試みよう。わたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行くべきだ』と言う者は、あなたと共に行くべきである。またわたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行ってはならない』と言う者は、だれも行ってはならない」。5 そこでギデオンが民を導いて水ぎわに下ると、主は彼に言われた、「すべて犬のなめるように舌をもって水をなめる者はそれを別にしておきなさい。またすべてひざを折り、かがんで水を飲む者もそうしなさい」。6 そして手を口にあてて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみなひざを折り、かがんで水を飲んだ。7 主はギデオンに言われた、「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。残りの民はおのおのその家に帰らせなさい」。 — 士師記 7:4-7、口語訳聖書
夜中に、神はギデオンにミディアン人の宿営に接近せよと指示した。ギデオンはミディアン人のある男が、神がミディアン人をギデオンにお与えになった、という夢を仲間に話すのを耳にした。ギデオンは神による激励と啓示のゆえに神を崇拝した。ギデオンはイスラエルの宿営に戻り、自軍の兵士たち各々にラッパと土器の中に隠した松明とを与えた。三つの軍団に分け、ギデオンと三百人は敵の宿営へと進軍した。
17 彼らに言った、「わたしを見て、わたしのするようにしなさい。わたしが敵陣のはずれに達したとき、あなたがたもわたしのするようにしなさい。18 わたしと共におる者がみなラッパを吹くと、あなたがたもまたすべての陣営の四方でラッパを吹き、『主のためだ、ギデオンのためだ』と言いなさい」。19 こうしてギデオンと、彼と共にいた百人の者が、中更の初めに敵陣のはずれに行ってみると、ちょうど番兵を交代した時であったので、彼らはラッパを吹き、手に携えていたつぼを打ち砕いた。20 すなわち三組の者がラッパを吹き、つぼを打ち砕き、左の手にはたいまつをとり、右の手にはラッパを持ってそれを吹き、「主のためのつるぎ、ギデオンのためのつるぎ」と叫んだ。21 そしておのおのその持ち場に立ち、敵陣を取り囲んだので、敵軍はみな走り、大声をあげて逃げ去った。22 三百人のものがラッパを吹くと、主は敵軍をしてみな互に同志打ちさせられたので、敵軍はゼレラの方、ベテシッタおよびアベルメホラの境、タバテの近くまで逃げ去った。 — 士師記 7:17-22、口語訳聖書
ギデオンは、退却するミディアン人と二人の将軍オレブとゼエブを追跡するために、使者を送ってエフライム人を先にイスラエルの地に連れて来た。ギデオンと三百人は、ミディアンの二人の王であるゼバとツァルムナを追跡した。彼が追跡における援助を求めた時、スコトとペヌエルの人々は断り、ギデオンを嘲った。二人の王を捕らえた後、ギデオンはスコトの人々を懲らしめ、ペヌエルの塔を取り壊し、そこにいた全ての人々を殺した。最終的にギデオン自身が、自分の兄弟たちの死に対する処罰としてゼバとツァルムナを殺した[3]。
イスラエル人はギデオンに彼らの王となるよう嘆願したが、ギデオンは彼らの支配者は神のみであると告げて断った。とはいえ、彼がエフォドを作るために戦利品の純金を持ち帰り、それがイスラエル全体を再び神から離れさせる原因となったのは興味深いことである[4]。ギデオンは妻として多くの女性をめとり、七十人の息子を持った。彼はまたそばめを持ち、彼女は男の子を産んでアビメレク(「私の父は王」の意)と名付けた。イスラエルにおける平和は、ギデオンの存命中40年間続いた。ギデオンが老衰で死ぬとすぐに、イスラエル人は再び偽りの神バアル・ベリトを崇拝し、ギデオンの一族を差し置くようになった。
クリスチャンによる解釈
編集東方正教会と西方教会の両方において、ギデオンの羊毛はマリアの受胎告知の象徴であり、マリアは羊毛、キリストは露と見なされてきた。彼は東方正教会の聖人と見なされており、彼の聖人暦は9月26日に保たれている(それらの教会は、伝統的なユリウス暦に従っており、現在の9月26日は現代のグレゴリオ暦では10月9日に当たる)。また彼はローマ教皇の日曜日(クリスマス前の日曜日)に旧約聖書の他の義人たちと共に記念されている。彼は7月30日にアルメニア使徒教会の聖人の暦における聖なる一人として記念されている。
脚注
編集関連項目
編集- 聖書の登場人物の一覧
- 士師記 - 未信徒へ聖書を配布する団体が「ギデオン協会」として世界的な活動をしている。
- 国際ギデオン協会
- 日本国際ギデオン協会