カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (1912-1988)
カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ(ドイツ語: Karl August von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1912年7月28日 - 1988年10月14日)は、ザクセン大公国の大公世子(Erbgroßherzog)、ザクセン大公家家長(1923年 - 1988年)。
カール・アウグスト Karl August | |
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ザクセン=ヴァイマル家家長 | |
在位 | 1923年 - 1988年 |
全名 |
一覧参照
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称号 | ザクセン大公世子 |
出生 |
1912年7月28日 ドイツ帝国 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国、マルクシュール、ヴィルヘルムスタール城 |
死去 |
1988年10月14日(76歳没) 西ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州シャイネン・アム・ボーデンゼー |
配偶者 | エリーザベト・フォン・ヴァンゲンハイム=ヴィンターシュタイン |
子女 |
一覧参照
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家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ヴィルヘルム・エルンスト |
母親 | フェオドラ |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
生涯
編集ザクセン大公ヴィルヘルム・エルンストとその2番目の妻でザクセン=マイニンゲン公子フリードリヒの長女であるフェオドラの間の長男(第2子)として、マルクシュール(現在のテューリンゲン州ヴァルトブルク郡)のヴィルヘルムスタール城で生まれた[1]。1918年のドイツ革命に伴う君主制の廃止により、大公世子の身分を失った。1923年、父の死によりわずか12歳で大公家の家督を継いだ。第二次世界大戦中は国防軍の戦車部隊所属の士官として従軍した。
1944年10月14日にヴァルトブルク城において、エリーザベト・フォン・ヴァンゲンハイム=ヴィンターシュタイン男爵夫人(Elisabeth Freiin von Wangenheim-Winterstein, 1912年 - 2010年)と結婚した。夫妻は妻方の所有するベーリンゲン城に居を構えたが、翌1945年の春に赤軍の侵攻を逃れて西ドイツに亡命した。1988年、ボーデン湖畔の小村シャイネン(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州コンスタンツ郡エーニンゲンの一部)で死去した。
子女
編集妻エリーザベトとの間に1男2女をもうけた。
- エリーザベト・ゾフィー・フェオドラ・マティルデ・ドロテア・ルイーゼ・アデライーデ・ヴェラ・レナーテ(1945年 - ) - 1981年、ミンダルト・ディーデリク・デ・カントと結婚(1983年離婚)
- ミヒャエル・ベネディクト・ゲオルク・ヨープスト・カール・アレクサンダー・ベルンハルト・クラウス・フリードリヒ(1946年 - ) - ザクセン大公家家長
- ベアトリーツェ・マリア・マルガレータ・ドロテア・フェリーツィタス・ヴィルギニエ(1948年 - ) - 1977年、マーティン・チャールズ・デビッドソンと結婚
脚注
編集- ^ Darryl Lundy (10 May 2003). “Karl August Erbgroßherzog von Sachsen-Weimar-Eisenach”. thePeerage.com. 2012年9月22日閲覧。
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