フリードリヒ・フォン・ザクセン=マイニンゲン
フリードリヒ・フォン・ザクセン=マイニンゲン(Friedrich von Sachsen-Meiningen, 1861年10月12日 - 1914年8月23日)は、ドイツ・ザクセン=マイニンゲン公国の公子。全名はフリードリヒ・ヨハン・ベルンハルト・ヘルマン・ハインリヒ・モーリッツ(Friedrich Johann Bernhard Hermann Heinrich Moritz)。
フリードリヒ・フォン・ザクセン=マイニンゲン Friedrich von Sachsen-Meiningen | |
---|---|
身位 | ザクセン=マイニンゲン公子 |
出生 |
1861年10月12日 ザクセン=マイニンゲン公国、マイニンゲン |
死去 |
1914年8月23日(52歳没) ベルギー、タルシエンヌ |
配偶者 | アーデルハイト・ツア・リッペ=ビースターフェルト |
子女 |
フェオドラ アーデルハイト ゲオルク エルンスト ルイーゼ ベルンハルト |
家名 | ヴェッティン家(エルネスティン家) |
父親 | ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世 |
母親 | フェオドラ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク |
略歴
編集ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世とその2番目の妻でホーエンローエ=ランゲンブルク侯エルンスト1世の娘であるフェオドラの間の次男として生まれた。父にとっては3番目の息子である。第一次世界大戦に従軍し、任地のベルギーで戦死した。
1889年4月24日、フリードリヒはリッペ=ビースターフェルト伯エルンストの娘アーデルハイトと結婚した。アーデルハイトは最後のリッペ侯レオポルト4世の姉である。フリードリヒ夫妻は6人の子女をもうけた。