オロロン=サント=マリー
オロロン=サント=マリー(フランス語:Oloron-Sainte-Marie、バスク語:Oloroe-Donamaria、オック語:Auloron)は、フランス南西部のヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県の郡庁所在地で、ベアルン地方の中心都市。
Oloron-Sainte-Marie | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ピレネー=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | オロロン=サント=マリー郡 |
小郡 (canton) | 2 |
INSEEコード | 64422 |
郵便番号 | 64400 |
市長(任期) |
Gerard Urrustoy (2008年-2014年) |
人口動態 | |
人口 |
11 984人 (2007年) |
人口密度 | 175人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯43度11分41秒 西経0度36分20秒 / 北緯43.194722度 西経0.605556度座標: 北緯43度11分41秒 西経0度36分20秒 / 北緯43.194722度 西経0.605556度 |
標高 |
平均:?m 最低:194m 最高:1280m |
面積 | 68.31km2 (6 831ha) |
地理
編集ピレネー山麓に位置する。南のアスプ渓谷からアスプ川、東南のオソー渓谷からオソー川がオロロン=サント=マリーで合流し、オロロン川となる。
歴史
編集ローマ時代の文献にはノベンポプラニアのイルロ(Iluro)として記載されている。1080年にベアルン子爵サントゥル5世がオロロンを建設、これに対して13世紀にサント=マリーが司教座都市となり、それぞれ別の都市として発展した。1858年5月18日にナポレオン3世によってこれら2つの町が合併され、今日のオロロン=サント=マリーとなっている。
文化
編集かつてのサント=マリーにサント=マリー大聖堂、オロロンにサント=クロワ教会、このほかにノートルダム教会もある。
- サント=マリー大聖堂(Cathédrale Sainte-Marie)
- 1102年、十字軍やレコンキスタに参加したベアルン子爵ガストン4世によって建設が始められた大聖堂。入り口にほどこされたロマネスク彫刻は、12世紀にピレネー山地で活動した2人の彫刻家によるものである。ユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に登録されている。
- サント=クロワ教会(Église Sainte-Croix)
- 11世紀末に建設されたロマネスク建築の教会。
おもな出身者
編集- ルイ・バルトゥ(Louis Barthou) - フランスの首相
- カミーユ・ロペス - ラグビー選手