オトン・フリエス
フランスの画家
アシール=エミール・オトン・フリエス(フランス語: Achille-Émile Othon Friesz, 1879年2月6日 - 1949年1月10日)は、フランスの画家。フォーヴィスムに分類される画家の一人。
オトン・フリエス Othon Friesz | |
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生誕 |
1879年2月6日 フランス共和国 ル・アーヴル |
死没 |
1949年1月10日(69歳没) フランス パリ |
運動・動向 | フォーヴィスム |
略歴
編集ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県の港湾の町、ル・アーヴルで生まれた。昔から多くの造船業者や船員を出した家系でもある[1]。高校時代に生涯を通じて、友人となる画家のラウル・デュフィと知り合った。1895年から翌年までル・アーヴルの美術学校で学んだ後、1897年からデュフィとパリに出て国立高等美術学校で学んだ。パリではアンリ・マティス、アルベール・マルケらの若い画家たちと知り合い、彼らとともに「アカデミック美術」に叛旗を翻し「フォーヴィスム」の画家となった[2]。1903年にフランス芸術家協会の展覧会に出展し、1904年にサロン・ドートンヌ(従来の保守的な展覧会に対抗して創設された展覧会)に出展し、1906年にアンデパンダン展に出展した[3]。
1911年から1912年の間、ポルトガル、ベルギー、ドイツを旅し、ベルリン分離派の展覧会にも参加した。1913年にはニューヨークのアーモリーショー(国際現代美術展)などにも参加した。スウェーデンの有力者の支援を受けたパリの美術学校、Académie Scandinaveや、私立のグランド・ショミエール芸術学校(Académie de la Grande Chaumière)などで教えた[3]。パリで没した。
作品
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ラ・シオタ(プロヴァンスの村)(1907)
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台地の風景(1909)
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母の愛 (1914)
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ブリオッシュのある静物画(1916/1917)
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横たわるヌード
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サンマロの城壁 (1935) , トゥールーズロートレック美術館, アルビ
参考文献
編集- ^ Gilberte Martin-Méry, Évelyne Baroux, Béatrice Touton, Raoul Dufy 1877-1953 : exposition, Galerie des Beaux-Arts, Bordeaux, 2 mai-1 septembre 1970, Bordeaux, Galerie des Beaux-Arts, 1970, 73 p.
- ^ Bruno Gaudichon, Joséphine Matamoros, Annette Haudiquet, Othon Friesz : le fauve baroque, 1879-1949 : exposition présentée du 17 février au 20 mai 2007, à Roubaix, à la Piscine-musée d’art et d’industrie André Diligent, du 23 juin au 30 septembre 2007 ; à Céret, au Musée d’art moderne, du 20 octobre 2007 au 27 janvier 2008 ; au Havre, au Musée Malraux, Paris, Gallimard, 2007, 295 p., p. 24, ISBN 9782070118762.
- ^ a b Achille-Emile Othon Friesz (1879-1949) - Galerie Delvaille