オットー1世 (プファルツ=モスバッハ公)
オットー1世(Otto I., 1390年8月24日 - 1461年3月14日)は、プファルツ=モスバッハ公。プファルツ選帝侯兼ローマ王ループレヒトとニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の娘エリーザベトの五男。プファルツ=モスバッハ家の祖。プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世、プファルツ=ノイマルクト公ヨハン、プファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン公シュテファンの弟。
オットー1世 Otto I. | |
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プファルツ=モスバッハ公 プファルツ=ノイマルクト公 | |
在位 |
プファルツ=モスバッハ公:1410年 - 1461年 プファルツ=ノイマルクト公:1448年 - 1461年 |
出生 |
1390年8月24日 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、モスバッハ |
死去 |
1461年3月14日(70歳没) 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、ライヒェンバッハ |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、ライヒェンバッハ、ベネディクト会修道院 |
配偶者 | ヨハンナ・フォン・バイエルン=ランツフート |
子女 | 一覧参照 |
家名 | プファルツ=モスバッハ家 |
父親 | プファルツ選帝侯兼ローマ王ループレヒト |
母親 | エリーザベト・フォン・ニュルンベルク |
生涯
編集1410年の父の死後、領土を分割、モスバッハを領有した。モスバッハの発展に尽くす一方、幼少の甥(長兄ルートヴィヒ3世の子)ルートヴィヒ4世の後見人を1442年まで務めた。1448年、カルマル同盟(北欧三国)の君主だった甥(次兄ヨハンの子)クリストファ(クリストフ)が亡くなり、遺領のノイマルクトを相続、一部は三兄のシュテファンに分け与えた。1461年のオットー1世の死後、子のオットー2世はモスバッハとノイマルクトを合わせて相続、プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト公となった。
子女
編集1430年、下バイエルン=ランツフート公ハインリヒ16世の娘ヨハンナと結婚。9人の子を儲けた。
- マルガレーテ(1432年 - 1451年) - ハーナウ伯ラインハルト3世と結婚。
- アマーリエ(1433年 - 1488年) - リーネック伯フィリップと結婚。
- オットー2世(1435年 - 1499年) - プファルツ=モスバッハ=ノイマルクト公
- ループレヒト(1437年 - 1465年) - レーゲンスブルク司教
- ドロテア(1439年 - 1482年)
- アルブレヒト(1440年 - 1506年) - シュトラスブルク司教
- アンナ(1441年 - ?)
- ヨハン(1443年 - 1486年) - マインツ主席司祭
- バルバラ(1444年 - 1486年) - 修道女
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