エリーザベト・フォン・ニュルンベルク
エリーザベト・フォン・ニュルンベルク(ドイツ語:Elisabeth von Nürnberg, 1358年 - 1411年7月26日)は、ローマ王ループレヒトの妃。後にホーエンツォレルン家で初めてのブランデンブルク選帝侯となるフリードリヒ1世の姉である。
エリーザベト・フォン・ニュルンベルク Elisabeth von Nürnberg | |
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ローマ王妃 | |
エリーザベト(ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセの教会のフレスコ画) | |
在位 | 1400年 - 1410年 |
別称号 | プファルツ選帝侯妃:1398年 - 1410年 |
出生 |
1358年 |
死去 |
1411年7月26日 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、ハイデルベルク、聖霊教会 |
結婚 | 1374年6月27日 |
配偶者 | ループレヒト(3世) |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世 |
母親 | エリーザベト・フォン・マイセン |
宗教 | キリスト教カトリック |
生涯
編集エリーザベトはニュルンベルク城伯フリードリヒ5世とエリーザベト・フォン・マイセンの間の娘である。
1374年6月27日、アンベルクにおいてエリーザベトはプファルツ家のループレヒト3世と結婚した。ループレヒトは1398年にプファルツ選帝侯となり、1400年にはローマ王となった。この結婚により9人の子女が生まれた。エリーザベトは夫ループレヒトが死去した翌年1411年に死去し、夫と同じくハイデルベルクの聖霊教会に埋葬された。
ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセの参事会教会の聖歌隊席の天井に、ローマ王ループレヒトと妃エリーザベト、息子ルートヴィヒ3世とその最初の妃ブランシュ・オブ・イングランドが等身大で描かれた「最後の審判」のフレスコ画がある。
子女
編集- ループレヒト・ピパン(1375年 - 1397年)
- マルガレーテ(1376年 - 1434年) - ロレーヌ公シャルル2世と結婚。ロレーヌ女公イザベルの母。
- ルートヴィヒ3世(1378年 - 1436年) - プファルツ選帝侯(1410年 - 1436年)
- アグネス(1379年 - 1401年) - クレーフェ公アドルフ1世と結婚。
- エリーザベト(1381年 - 1408年) - オーストリア公フリードリヒ4世と結婚。
- ヨハン(1383年 - 1443年) - プファルツ=ノイマルクト公。プファルツ=ノイマルクト家の祖。デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの王クリストファ・ア・バイエルンの父。
- シュテファン(1385年 - 1459年) - プファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン公。プファルツ=ジンメルン家の祖。
- オットー1世(1390年 - 1461年) - プファルツ=モスバッハ公。プファルツ=モスバッハ家の祖。
参考文献
編集- Brigitte Sokop: Stammtafeln europäischer Herrscherhäuser. 3. Aufl. Wien 1993.