エレオノーレ・マグダレーネ・フォン・プファルツ=ノイブルク
エレオノーレ・マグダレーネ・テレーゼ・フォン・プファルツ=ノイブルクまたはフォン・デア・プファルツ(Eleonore Magdalene Therese von Pfalz-Neuburg (von der Pfalz), 1655年1月6日 - 1720年1月19日)は、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の皇后。プファルツ選帝侯(元はプファルツ=ノイブルク公)フィリップ・ヴィルヘルムの長女。母はヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世の娘エリーザベト・アマーリア。弟にプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム、カール3世フィリップ、妹にポルトガル王ペドロ2世の妃マリア・ソフィア、スペイン王カルロス2世の妃マリア・アンナ、パルマ公子オドアルド2世妃ドロテア・ゾフィーらがいる。
エレオノーレ・マグダレーネ・フォン・プファルツ=ノイブルク Eleonore Magdalene Therese von Pfalz-Neuburg | |
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神聖ローマ皇后 ハンガリー王妃 ボヘミア王妃 | |
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在位 | 1676年 - 1705年 |
出生 |
1655年1月6日 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、デュッセルドルフ |
死去 |
1720年1月19日(65歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、ホーフブルク宮殿 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
結婚 | 1676年12月14日 パッサウ |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝レオポルト1世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | プファルツ=ノイブルク家 |
父親 | プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルム |
母親 | エリーザベト・アマーリア・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
生涯
編集1676年にレオポルト1世と結婚した。レオポルト1世にとっては3人目の妻である。2人の先妻との間に生まれた男子は全て夭折したが、エレオノーレとの間には10人もの子に恵まれ、うちヨーゼフとカールが相次いで帝位を継承した。しかし、この息子2人の代でオーストリア・ハプスブルク家の男系男子は絶えてしまうことになる。
子女
編集- ヨーゼフ(1678年 - 1711年) - 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世
- クリスティーネ(1679年)
- マリア・エリーザベト(1680年 - 1741年) - 1725年よりネーデルラント総督
- レオポルト・ヨーゼフ(1682年 - 1684年)
- マリア・アンナ・ヨーゼファ(1683年 - 1754年) - ポルトガル王ジョアン5世妃
- マリア・テレジア(1684年 - 1696年)
- カール(1685年 - 1740年) - 神聖ローマ皇帝カール6世
- マリア・ヨーゼファ(1687年 - 1703年)
- マリア・マグダレーナ・ヨーゼファ(1689年 - 1743年)
- マリア・マルガレーテ(1690年 - 1691年)