エリーザベト・アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルク
エリーザベト・アレクサンドリーネ・マティルデ・アウグステ・ツー・メクレンブルク(Elisabeth Alexandrine Mathilde Auguste Herzogin zu Mecklenburg[-Schwerin], 1869年8月10日 - 1955年9月3日)は、ドイツのメクレンブルク=シュヴェリーン大公家の一員で、オルデンブルク大公フリードリヒ・アウグストの2番目の妻。
エリーザベト・アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルク Elisabeth Alexandrine zu Mecklenburg | |
---|---|
オルデンブルク大公妃 | |
オルデンブルク大公妃エリーザベト・アレクサンドリーネ、1907年 | |
在位 | 1900年6月13日 - 1918年11月11日 |
出生 |
1869年8月10日 メクレンブルク=シュヴェリーン大公国、シュヴェリーン |
死去 |
1955年9月3日(86歳没) 西ドイツ、シャウムブルク城 |
埋葬 | 西ドイツ、オルデンブルク |
結婚 | 1896年10月24日 シュヴェリーン |
配偶者 | オルデンブルク大公フリードリヒ・アウグスト |
子女 |
ニコラウス アレクサンドリーネ フリードリヒ・アウグスト インゲボルク アルトブルク |
家名 | メクレンブルク=シュヴェリーン家 |
父親 | メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世 |
母親 | マリー・フォン・シュヴァルツブルク=ルードルシュタット |
生涯
編集メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世とその3番目の妻でシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯子アドルフの娘であるマリーの間の第1子、長女として生まれた。父にとっては3番目の娘である。
1896年10月24日にシュヴェリーンにおいて、当時は大公世子だったフリードリヒ・アウグストと結婚した。夫は死別した最初の妻のプロイセン王女エリーザベト・アンナとの間に男子がおらず、オルデンブルク大公家の世継ぎをもうけるため、エリーザベト・アレクサンドリーネを後添えとした。エリーザベト・アレクサンドリーネは1900年に夫の即位に伴い大公妃となったが、1918年11月のドイツ革命でその身分を失った。
その後はラシュテーデ城(Schloss Rastede)で私人として暮らし、1955年に死去した。
子女
編集夫フリードリヒ・アウグストとの間に5人の子女をもうけた。
- ニコラウス・フリードリヒ・ヴィルヘルム(1897年 - 1970年) - オルデンブルク大公家家長
- アレクサンドリーネ(1900年)
- フリードリヒ・アウグスト(1900年)
- インゲボルク・アリックス(1901年 - 1996年) - 1921年、シャウムブルク=リッペ侯子シュテファンと結婚
- アルトブルク・マリー・マティルデ(1903年 - 2001年) - 1922年、ヴァルデック=ピルモント侯世子ヨシアスと結婚