エミリアナ・トリーニ
エミリアナ・トリーニ (アイスランド語: Emilíana Torrini、1977年5月16日 - )は、アイスランド・コーパヴォグル出身の歌手。
エミリアナ・トリーニ Emilíana Torrini | |
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エミリアナ・トリーニ(2005年) | |
基本情報 | |
出生名 | Emilíana Torrini Davíðsdóttir |
生誕 | 1977年5月16日(47歳) |
出身地 | アイスランド コーパヴォグル |
ジャンル | インディー・ポップ、オルタナティヴ・ロック、トリップ・ホップ、エレクトロニカ |
職業 | 歌手、シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1994年 - |
レーベル | ラフ・トレード・レコード |
共同作業者 | ガス・ガス、カイリー・ミノーグ、スニーカー・ピンプス |
公式サイト |
emilianatorrini |
来歴
編集父親はアイスランドで有名なイタリア料理レストランの経営者、母はアイスランド人。学生の頃は家業を手伝って時折ウェイトレスをしていた。7歳からコーラス隊に入り、15歳からオペラ学校に入った。
1994年、Spoonというバンドにボーカルとして参加し、アルバム『Spoon』でデビュー。1995年の初となるソロ・アルバム『Crouçie d'où là』では、日本のピチカート・ファイヴの楽曲をカヴァーしている。
トリーニはアイスランドのアーティスト・グループであるガス・ガスのメンバーを務めており、アルバム『ポリディストーション』(1997年)では数曲にボーカルを提供した。
1999年、アルバム『Love in the time of science』(ティアーズ・フォー・フィアーズのローランド・オーザバルらによるプロデュース作品)をファットキャット・レコーズよりリリースし、世界デビューを果たす(それまでのソロ・アルバムはアイスランドのみの発売)。
2002年、映画『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のエンディングテーマのオファーを受けていたビョークが自身の妊娠を理由に断り、その代役としてほぼ無名のシンガーだったエミリアナが大抜擢され話題となった。映画上映後は「あの歌(「ゴラムの歌」)を歌っていたのはビョーク本人ではないか?」との問い合わせが殺到した。
2003年、オーストラリアのシンガー、カイリー・ミノーグのアルバム『ボディ・ランゲージ』に楽曲を数曲提供。
2005年に大手インディーレーベル、ラフ・トレード・レコードに移籍し『フィッシャーマンズ・ウーマン』をリリース。2000年に交通事故死した恋人との思い出や、追悼の念を込めたこのアルバムは、2006年のアイスランド・ミュージック・アワードで「ポップアルバム・オブ・ザ・イヤー」と「ベストシンガー・オブ・ザ・イヤー」、そして収録曲の「Sunny Road」が「ベストソング・オブ・ザ・イヤー」と「ベストビデオ・オブ・ザ・イヤー」を受賞するという快挙を成し遂げた。
2008年、フランツ・フェルディナンドなどの作品を手がけるダン・キャリーとの共同プロデュースで『ミー・アンド・アルミーニ』を発表している。
2010年1月12日、2度目の来日(前回の来日はプロモーションのためのインタビューのみ)で、初日本公演を原宿アストロホールで行う。
カバーした主な楽曲
編集- アルバム『Crouçie d'où là』 (1995年)
- 「クレイジー・ラヴ」(ヴァン・モリソン)
- 「007 黄金銃を持つ男」(ルル)
- 「I」(ピチカート・ファイヴ)
- 「Today I Sing the Blues」(アレサ・フランクリン)
- アルバム『Merman』 (1996年)
- 「ブレイム・イット・オン・ザ・サン」(スティーヴィー・ワンダー)
- 「ステファニー・セッズ」(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)
- 「チェルシーの朝」(ジョニ・ミッチェル)
- 「恋におそれて」(トム・ウェイツ)
- 「I Really Loved Harold」(メラニー・ソフィカ)
- アルバム『フィッシャーマンズ・ウーマン』 (2005年)
- 「Next Time Around」(サンディ・デニー)
ディスコグラフィ
編集スタジオ・アルバム
編集- Crouçie d'où là (1995年)
- Merman (1996年)
- Love in the time of science (1999年)
- 『フィッシャーマンズ・ウーマン』 - Fisherman's Woman (2005年)
- 『ミー・アンド・アルミーニ』 - Me and Armini (2008年)
- Tookah (2013年)