エッジ・オブ・セブンティーン

エッジ・オブ・セブンティーン」(原題: Edge of Seventeen)は、スティーヴィー・ニックス1981年に発表した楽曲。翌年シングルカットされヒットした。

「エッジ・オブ・セブンティーン」
スティーヴィー・ニックスシングル
初出アルバム『麗しのベラ・ドンナ』
B面 エッジ・オブ・セブンティーン(ライブ・バージョン)
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1981年
ジャンル ロック
時間
レーベル モダン・レコード
作詞・作曲 スティーヴィー・ニックス
プロデュース ジミー・アイオヴィーン
チャート最高順位
スティーヴィー・ニックス シングル 年表
レザー・アンド・レース
(1981年)
エッジ・オブ・セブンティーン
(1982年)
アフター・ザ・グリッター・フェイズ
(1982年)
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概要

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トム・ペティと「Stop Draggin' My Heart Around」のレコーディングをしている時、ニックスはペティの最初の妻のジェーンに夫婦が出会った頃のことを尋ねた。ジェーンは「At the age of seventeen(17歳の時に)」と答えたが、彼女の南部なまりがあまりに激しかったためにニックスは「Edge of seventeen」と聞き間違えた。ここからタイトルが生まれることとなった[1]

ニックスはライブ・ビデオ『Stevie Nicks - Live In Concert』(1983年)のコメンタリーで次のように述べている[1]

ジョン・レノンが撃たれた時、私はオーストラリアにいた。みんな途方に暮れていた。私はジョン・レノンがどんな人か知らなかったけれど、70年代にジョンと仕事をしたジミー・アイオヴィーンから、彼にまつわる愛すべき話をいっぱい聞かされた。それで実家があるフェニックスに戻って曲を書き始めたの。ところがフェニックスに着いて間もなくして、叔父のビルが癌で亡くなった。死の床には私といとこのジョン・ニックスがいた。まさに "ジョン" と私がそこにいたのよ。それからピアノで曲を完成させた。

ジミー・アイオヴィーン(Jimmy Iovine)はレノンの1974年のアルバム『心の壁、愛の橋』のエンジニアを務め、二人は親しい友人同士だったと言われている。

1981年7月27日、アイオヴィーンのプロデュースのもと、ニックスのファースト・アルバム『麗しのベラ・ドンナ(Bella Donna)』が発売される。同アルバムに収録され、翌1982年2月5日にシングルカットされた。B面は1981年12月録音の「エッジ・オブ・セブンティーン」のライブ・バージョンが収録された[2]

1982年4月17日から4月24日にかけて2週連続でビルボード・Hot 100の11位を記録[3][4]

ローリング・ストーン』誌が選ぶ最も偉大な500曲(2021年版)において、217位にランクされている[5]

備考

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  • 冒頭の歌詞「Just like the white winged dove」の「white winged dove」は、アメリカ南部からメキシコ、中央アメリカ等に分布する「ハジロバト」のこと。
  • ボックスセット『Enchanted』(1998年)に『麗しのベラ・ドンナ』ツアーのライブ音源が収録されている。またライブ・アルバム『The Soundstage Sessions』(2009年)のデラックス・iTunes・エディションにライブ・コンサート・ミックスのバージョンが収録されている。
「想像できる? 私が初めてあの映画を見たときのこと。死んだわ。以来50回は見てると思う。何回見てもまったく飽きないし、『ロックの学校』というアイデアは最高ね。私の歌を取り上げてくれたジャック・ブラックとジョーン・キューザックにはとても感謝している」[6]

脚注

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