エイドリアン・ストリート

"エキゾチック" エイドリアン・ストリート"Exotic" Adrian Street、本名:Adrian Emrys Street1940年12月5日 - 2023年7月24日)は、サウス・ウェールズ出身のプロレスラー[2]

エイドリアン・ストリート
エイドリアン・ストリートの画像
1987年
プロフィール
リングネーム "エキゾチック" エイドリアン・ストリート
"ネイチャー・ボーイ" エイドリアン・ストリート
キッド・ターザン・ジョナサン
本名 エイドリアン・エムリズ・ストリート
ニックネーム 魅惑の狂乱児[1]
身長 180cm[1]
体重 107kg - 110kg[1]
誕生日 (1940-12-05) 1940年12月5日
死亡日 (2023-07-24) 2023年7月24日(82歳没)[2]
出身地 イギリスの旗 イギリス
ウェールズの旗サウス・ウェールズ
ブライナイ・グエント[2]
スポーツ歴 ボディビルディング
トレーナー シック・オズモンド
デビュー 1957年
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イギリスで活動後、1980年代アメリカに渡り、ゲイギミックとしたペイントレスラーに変身[1]。異色のヒールとして太平洋岸南部を中心に活躍した[1]

来歴

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イギリス時代

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少年時代からボディビルディングで体を鍛え上げ、その肉体美と容貌を買われ雑誌のモデルにも起用されていた[3]ロンドンYMCAにてレスリングのトレーニングを積み、1957年8月8日、憧れていたドン・レオ・ジョナサンにあやかったキッド・ターザン・ジョナサンKid Tarzan Jonathan)のリングネームで16歳でデビュー[4][5]

その後、"ネイチャー・ボーイ" エイドリアン・ストリート"Nature Boy" Adrian Street)を名乗り、バディ・ロジャースに影響を受けた金髪ヒールとして、1960年代から1970年代にかけてデール・マーティンズ・プロモーションズ(ジョイント・プロモーションズ系列)を主戦場に活動した[3]

1970年代前半は同タイプのボビー・バーンズとのタッグチームヘルズ・エンジェルズThe Hells Angels)でも活躍し、ロイ&トニー・セント・クレアーのセンセーショナル・セインツなどと抗争[4]。エンジェルズ解散後は1976年1979年に世界ミドル級王座を獲得している[6]

1981年に英国を離れ、スチュ・ハートの主宰するカナダカルガリースタンピード・レスリングや、オットー・ワンツの主宰するドイツオーストリアのCWA(キャッチ・レスリング・アソシエーション)など海外に進出[3]。CWAではスティーブ・ライトミレ・ツルノと対戦した[7]

アメリカ時代

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1982年"エキゾチック" エイドリアン・ストリート"Exotic" Adrian Street)のリングネームでカリフォルニア州ロサンゼルスNWAハリウッド・レスリングに登場。妻のミス・リンダMiss Linda)をマネージャーに従え[8]、けばけばしい化粧ピッグテール風の髪型というヘアメイクを施し、試合中もリング内をスキップして周り、対戦相手やレフェリーの尻を愛撫してキスを迫るなど、ゲイギミックのキャラクターを確立する[9]

同年3月14日にはスウィート・ブラウン・シュガーからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取[10]。タッグでは "ダイヤモンド" ティモシー・フラワーズと組み[11]、5月にクリス・アダムス&リンゴ・リグビー、8月にマンド・ゲレロ&ヘクター・ゲレロを破り、アメリカス・タッグ王座を2度獲得した[12]。ロサンゼルス地区の総本山だったオリンピック・オーディトリアムでは、"The Battle of the Undefeated" と銘打たれたミル・マスカラスとのシングルマッチも行われている[3]

1982年末からはテネシー州メンフィスCWAに参戦。ジム・コルネットの指揮するヒール軍団「コルネット・ダイナスティ」に加入して[13]スコットランド出身のビル・ダンディーを相手に抗争を繰り広げた[14]1983年フロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に進出し、イライジャ・アキームボディーガードに従えてダスティ・ローデスと抗争を展開[15]。エキゾチック・エイドリアンのキャラクターは、ローデスの息子のゴールダストにも大きな影響を与えた[9]

1984年テキサス州サンアントニオのSCW(サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)を経て、ドリー・ファンク・ジュニアの招きでNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに参戦[3]。フロリダでのローデスとの遺恨試合を再現し、ワフー・マクダニエルジミー・バリアントとも抗争した[16]。一時ベビーフェイスに転向して彼らとタッグを組んだが[7]、再びヒールターンしてビル・ワット主宰のMSWAに登場。1984年9月26日にテリー・テイラーを破りミッドサウスTV王座を獲得した[17]。同年の末からはメンフィスのCWAに戻り、ランディ・サベージとの抗争を開始した[3]

1985年下期よりアラバマのCCW(コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング)に定着して、7月15日にオースチン・アイドルからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取。翌1986年ノーベル・オースチンやウェンデル・クーリーと同王座を争い、1987年4月10日にダッチ・マンテルに敗れるまで、通算4回に渡って戴冠した[18]。その後はリップ・タイラーメキシコ湾岸のガルフ・コースト地区で旗揚げしたWOW(ワールド・オーガニゼーション・レスリング)に参戦[19]1991年ダラスのGWF(グローバル・レスリング・フェデレーション)に単発出場し、バディ・ランデルキング・パーソンズ、そして彼のギミックの後継者でもあるリップ・ロジャースらと対戦した[20]

 
左からブルーノ・サンマルチノ、ストリート、ビル・ワット(2005年)

引退後はフロリダ北部のガルフ・ブリーズに居住。以降もレジェンド選手のリユニオン・イベントやレセプションに顔を見せており[5]2005年からはアラバマのインディー団体NWAレッスル・バーミングハムにゲスト参戦して、チック・ドノバンなどと対戦した[20]。また、プロレスラー養成所 "Skull Krushers Wrestling School" のトレーナーとして後進の指導に携わり、自身のデザインによるリングコスチュームの販売なども行った[9][21]

2019年にはドキュメンタリー映画 "You May Be Pretty, But I Am Beautiful: The Adrian Street Story" が公開された[22]

死去

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2023年7月24日ウェールズのグランジ大学病院において、大腸炎から発症した敗血症のため死去[23]。82歳没[2]

2001年を克服し、晩年に患った心臓病の問題も解決していたが、同月初めに脳卒中を起こして療養していたところ、慢性炎症性腸疾患である大腸炎を発症し、後に敗血症に発展したという[2]

追記

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右はミス・リンダ(1983年)

得意技

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獲得タイトル

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ジョイント・プロモーションズ
  • 世界ミドル級王座(欧州版):2回[6]
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回[10]
  • NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / ティモシー・フラワーズ)[12]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回[26]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWジュニアヘビー級王座:1回[27]
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • ミッドサウスTV王座:1回[17]
コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:4回[18]

マネージャー

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P240(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f Wrestling: Adrian Street, flamboyant legend, dies aged 82”. BBC News (2023年7月31日). 2023年9月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Adrian Street's Pedigree of Champions”. Adrian Street's Bizare Bazzar. 2011年6月18日閲覧。
  4. ^ a b Interview with Adrian Street”. British Wrestling Archive. 2011年6月18日閲覧。
  5. ^ a b Adrian Street proposes to Miss Linda”. Slam Wrestling. 2011年6月18日閲覧。
  6. ^ a b World Middleweight Title [Europe]”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。
  7. ^ a b Adrian Street: Matches 1962-1985”. Cagematch. 2012年3月22日閲覧。
  8. ^ a b Miss Linda”. Online World of Wrestling. 2011年6月18日閲覧。
  9. ^ a b c d e Adrian Street”. Online World of Wrestling. 2021年2月4日閲覧。
  10. ^ a b NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。
  11. ^ "Diamond" Timothy Flowers”. Online World of Wrestling. 2011年6月18日閲覧。
  12. ^ a b NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。
  13. ^ Jim Cornette's Biography”. Jim Cornette.com. 2011年6月18日閲覧。
  14. ^ The USWA matches fought by Adrian Street in 1983”. Wrestlingdata.com. 2016年4月25日閲覧。
  15. ^ The CWF matches fought by Adrian Street in 1983”. Wrestlingdata.com. 2016年4月25日閲覧。
  16. ^ The WCW matches fought by Adrian Street in 1984”. Wrestlingdata.com. 2016年4月25日閲覧。
  17. ^ a b Mid-South Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。
  18. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。
  19. ^ World Organization Wrestling”. Classic Wrestlings Online. 2012年3月22日閲覧。
  20. ^ a b Adrian Street: Matches 1985-2010”. Cagematch. 2012年3月22日閲覧。
  21. ^ a b Wrestling Wear”. Adrian Street's Bizare Bazzar. 2011年6月18日閲覧。
  22. ^ ‘You May Be Pretty, But I Am Beautiful’ gets Worldwide release”. Wales News Online. 2021年2月4日閲覧。
  23. ^ 英国の元レジェンドレスラー エイドリアン・ストリートさん82歳で死去 ド派手キャラで人気”. 東スポWEB (2023年8月1日). 2023年8月1日閲覧。
  24. ^ アニマル・ウォリアー著、アンドリュー・ウィリアム・ライト協力『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』P90(2011年、東邦出版ISBN 4809409511
  25. ^ プロレスアルバム51 ガッツ・シリーズ17『これぞプロレス ワンダーランド!!』P8、P50(1984年、恒文社
  26. ^ NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。
  27. ^ SCW Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月18日閲覧。

外部リンク

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