ウィリアム・ヘンリー・ストーン

アメリカの技術者

ウィリアム・ヘンリー・ストーン: William Henry Stone1837年6月18日 - 1917年6月3日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したイギリス電気技師である。フリーメイソン

経歴・人物

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アイルランドスライゴー出身[1]明治5年(1872年)来日し、工部省の書記官に就任した[2]。同省の電信寮に属し、電信の架設を指導した[1]。明治18年(1885年)に逓信省に転勤し、電信事業指導顧問となる[2]。電信技術関係の他に、海外の電信会社との交渉を行なっており[2]、法規の制定にも携わった[1]。以後日本に在住し、同国の電信技術に貢献した。

日清戦争の際には勲二等に、日露戦争の際には勲一等に叙せられ、外国人技術者としては異例の処遇を受けた[1]

1917年(大正6年)、東京で死去し青山霊園に葬られた[1]

脚注

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外部リンク

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