イーサン・ホートン
イーサン・ホートン(Ethan Horton 1962年12月19日- )はノースカロライナ州カナポリス出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのロサンゼルス・レイダースなどでプレーした。ポジションはタイトエンド。
Ethan Horton | |||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||
ポジション |
タイトエンド ランニングバック | ||||||||||||
生年月日 | 1962年12月19日(61歳) | ||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州カナポリス | ||||||||||||
身長: | 6' 4" =約193cm | ||||||||||||
体重: | 240 lb =約108.9kg | ||||||||||||
経歴 | |||||||||||||
大学 | ノースカロライナ大学 | ||||||||||||
NFLドラフト | 1985年 / 1巡目全体15位 | ||||||||||||
初出場年 | 1985年 | ||||||||||||
初出場チーム | カンザスシティ・チーフス | ||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||
プロボウル選出(1回) | |||||||||||||
1991 | |||||||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||||||
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Player stats at PFR |
ノースカロライナ大学時代の1981年にはゲイターボウル[1]MVPを同時受賞、1982年にはサンボウルMVP、1983年には1,107ヤードを走った。1984年には1,247ヤードを走りアトランティック・コースト・カンファレンス最優秀ランニングバックに選ばれると共にカンファレンス最優秀選手にも選ばれた。4年間で大学歴代6位の3,074ヤードを走った[2]。
1985年1月に日本で行われた第10回ジャパンボウルに来日、タッチダウンをあげた[3]。
1985年のNFLドラフト1巡目全体15位でカンザスシティ・チーフスに入団したが1986年チームから解雇された[4]。
その後ロサンゼルス・レイダースに1987年加入したが1988年に解雇された[4]。2度解雇され、いずれのシーズンも全くどのチームとも契約できなかった彼は長身である長所もありウェイトトレーニングをしてタイトエンドとなる決意をした[4]。そして1989年に再度レイダースに加入、1993年までロサンゼルス・レイダースでタイトエンドとして過ごし、1991年には自己ベストの53回のキャッチで650ヤードを獲得、5TDをあげてプロボウルに選出された。1994年にフリーエージェントとなった彼はワシントン・レッドスキンズと2年250万ドルで契約しジョー・ギブスが行ってきたダブルタイトエンド、ワンセットバックからノーブ・ターナー新ヘッドコーチのシングルタイトエンド、2ランニングバックシステムでの先発を期待された[5]が満足させる活躍を見せることができず、翌1995年4月にレナード・マーシャルと同時にチームから解雇された[6]。
脚注
編集- ^ “37th Gator Bowl”. ゲイターボウル公式サイト. 2010年5月9日閲覧。
- ^ “TAR HEEL LEADERS ON THE GROUND”. tarheelbulue.cstv.com. 2010年5月9日閲覧。
- ^ “Pitts Has 99-Yard Score as West Wins Japan Bowl”. ロサンゼルス・タイムズ (1985年1月13日). 2020年6月19日閲覧。
- ^ a b c “Top pick Horton finds new life as Raiders tight end”. ボルチモア・サン (1990年11月4日). 2010年5月9日閲覧。
- ^ “Redskins sign free-agent tight end Horton” (1994年3月10日). 2010年5月9日閲覧。
- ^ “Redskins' Schedule, 2Players Released; Horton, Marshall Waived, Logan Signed” (1995年4月26日). 2010年5月9日閲覧。
外部リンク
編集- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference
- イーサン・ホートン - IMDb
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