イサベル・デ・カスティーリャ (1283-1328)
イサベル・デ・カスティーリャ(スペイン語:Isabel de Castilla, 1283年 - 1328年7月24日)は、アラゴン王ハイメ2世の最初の妃、のちブルターニュ公ジャン3世の妃[1]。
イサベル・デ・カスティーリャ Isabel de Castilla | |
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アラゴン王妃 | |
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在位 | 1291年 - 1295年 |
出生 |
1283年 カスティーリャ王国、トーロ |
死去 |
1328年7月24日 ブルターニュ公領、ビリエ |
埋葬 | ブルターニュ公領、プリエール修道院 |
結婚 |
1291年12月1日 ソリア 1310年 ブルゴス |
配偶者 | アラゴン王ハイメ2世 |
ブルターニュ公ジャン3世 | |
家名 | ブルゴーニュ家 |
父親 | カスティーリャ王サンチョ4世 |
母親 | マリア・デ・モリナ |
生涯
編集イサベルはカスティーリャ王サンチョ4世とマリア・デ・モリナの間にトーロで生まれた。1291年12月1日にソリアにおいて、イサベルはアラゴン王ハイメ2世と結婚した。ハイメ2世は24歳であったのに対しイサベルは8歳であったためこの結婚は完遂しなかった。
父サンチョ4世は1295年4月25日に死去した。ハイメ2世は同盟相手を変更しカスティーリャ国内の混乱を利用することを決めた。そのため、ハイメ2世はイサベルとの結婚を解消し、ビアンカ・ディ・ナポリと結婚した。
その後10年以上イサベルは未婚のまま過ごしたが、1310年にブルゴスでブルターニュ公ジャン3世と再婚した。この結婚で子供は生まれなかった。
1328年にイサベルは死去し、プリエール修道院に埋葬された。
脚注
編集- ^ Ludwig Vones: Isabella 8). In: Lexikon des Mittelalters (LexMA). Band 5. Artemis & Winkler, München/Zürich 1991, ISBN 3-7608-8905-0.