アーサー・ウェルズリー (第4代ウェリントン公爵)

第4代ウェリントン公爵アーサー・チャールズ・ウェルズリーArthur Charles Wellesley, 4th Duke of Wellington KG GCVO DL1849年3月15日1934年6月18日)は、イギリスの貴族。ナポレオン戦争期の軍人である初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの孫。

バニティ・フェア』1912年12月11日号におけるカリカチュアウォレス・ヘスター英語版画。

生涯

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バニティ・フェア』1903年3月5日号におけるカリカチュアレスリー・ウォード画。

チャールズ・ウェルズリー卿初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの次男)と妻オーガスタ・ソフィア・アン(Augusta Sophia Anne、旧姓ピアポント(Pierrepont)、1820年5月30日[1] – 1893年7月13日、ヘンリー・ピアポント閣下英語版の娘)の三男として、1849年3月15日に生まれた[2][3]。1861年から1866年までイートン・カレッジで教育を受けた[3]

1868年6月13日、グレナディアガーズの連隊少尉・陸軍中尉への辞令を購入して入隊した[4]。1871年2月15日、連隊中尉・陸軍大尉への辞令を購入して昇進した[5]。1879年4月5日、連隊大尉・陸軍中佐に昇進した[6]。1883年8月1日、連隊少佐に昇進した[7]。1887年8月1日、陸軍大佐に昇進した[8]。1891年から1895年までグレナディアガーズ第1大隊の指揮官を務め、連隊中佐への昇進を経て1900年10月28日に軍務から引退した[3][9]。グレナディアガーズの士官だったためガーズ・クラブ英語版に加入した[10]

1900年6月8日に次兄ヘンリーが死去すると、ウェリントン公爵位を継承した[3]貴族院では保守党に属した[10]

1902年5月2日、ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロスを授与された[11]

1902年8月9日のエドワード7世とアレクサンドラの戴冠式英語版、1911年6月22日のジョージ5世とメアリーの戴冠式英語版連合王国旗を持つ役割を務めた[12][13]。また1902年戴冠式記念叙勲英語版の一環として、1902年8月8日にガーター勲章を授与された[14]

外国勲章ではスペインカルロス3世勲章英語版グランド・クロス、ポルトガル塔と剣勲章英語版を授与されている[3]

ハンプシャー副統監を務め[2]、1906年から1919年までは統監代理(Vice-Lieutenant)を務めた[10]

ワーテルローの戦い119周年記念の日にあたる1934年6月18日、ハンプシャーユーハースト・パーク英語版で死去、21日にストラトフィールド・セイ英語版で埋葬された[3]。同名の長男アーサー・チャールズ・ウェルズリーが爵位を継承した[3]

家族

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1872年10月24日、キャスリーン・エミリー・バークリー・ウィリアムズ(Kathleen Emily Bulkeley Williams、1927年6月24日没、ロバート・グリフィス・ウィリアムズの娘)と結婚[3]、4男2女をもうけた[2]

出典

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  1. ^ Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 421.
  2. ^ a b c d e f g Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 2455.
  3. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 460–461.
  4. ^ "No. 23389". The London Gazette (英語). 12 June 1868. p. 3303.
  5. ^ "No. 23706". The London Gazette (英語). 14 February 1871. p. 537.
  6. ^ "No. 24715". The London Gazette (英語). 29 April 1879. p. 3055.
  7. ^ "No. 25297". The London Gazette (英語). 18 December 1883. p. 6520.
  8. ^ "No. 25726". The London Gazette (英語). 2 August 1887. p. 4195.
  9. ^ "No. 27243". The London Gazette (英語). 2 November 1900. p. 6693.
  10. ^ a b c Dod's Parliamentary Companion (英語). London: W. D. S. Taylor. 1933. p. 195.
  11. ^ "No. 27430". The London Gazette (英語). 2 May 1902. p. 2933.
  12. ^ "No. 27489". The London Gazette (Supplement) (英語). 28 October 1902. p. 6869.
  13. ^ "No. 28535". The London Gazette (Supplement) (英語). 26 September 1911. p. 7091.
  14. ^ "No. 27475". The London Gazette (英語). 19 September 1902. p. 6020.
  15. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 3 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2930. ISBN 978-0-97119662-9
  16. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1437. ISBN 978-0-97119662-9
  17. ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 627. ISBN 978-0-7509-0154-3
  18. ^ a b Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. 2 (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2974. ISBN 2-940085-02-1

外部リンク

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イギリスの爵位
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ヘンリー・ウェルズリー
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1900年 – 1934年
次代
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ポルトガルの爵位
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