アレクサンダーゴールドラン
アレクサンダーゴールドラン(Alexander Gorldrun[1])とは、アイルランドで生産・調教されていた競走馬である。主な勝ち鞍は2004年のオペラ賞、香港カップ、2005年・2006年のプリティーポリーステークス、2005年のナッソーステークス。
アレクサンダーゴールドラン | ||||||||||||||||||
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品種 | サラブレッド | |||||||||||||||||
性別 | 牝 | |||||||||||||||||
毛色 | 鹿毛 | |||||||||||||||||
生誕 | 2001年2月9日(23歳) | |||||||||||||||||
父 | Gold Away | |||||||||||||||||
母 | Renashaan | |||||||||||||||||
母の父 | Darshaan | |||||||||||||||||
生国 | アイルランド | |||||||||||||||||
生産者 | Dermot Cantillon | |||||||||||||||||
馬主 | Mrs N O'Callaghan | |||||||||||||||||
調教師 | James S. Bolger | |||||||||||||||||
競走成績 | ||||||||||||||||||
生涯成績 | 31戦10勝 | |||||||||||||||||
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戦績
編集2歳時(2003年)
編集3月にカラ競馬場で行われた未勝利戦でデビューし5着[2]。次走の未勝利戦で勝ちあがるとハンデ戦を5戦挟んだ後、10月に行われたリステッド競走のグライダーステークスに出走した。久々に全馬同斤量となったレースでは、4番手追走から直線で追い上げると叩き合いを制して勝利[3]。計8戦3勝で2歳シーズンを終えた。
3歳時(2004年)
編集シーズン初戦は3月に行われたリステッド競走エクスプレスステークスを勝利、これにより陣営は牝馬クラシック路線への進出を決定。クラシックへの足がかりとして挑んだ愛1000ギニートライアルでは、直線ではるか後方から追い込んで2着馬を短アタマ差かわして勝利した[4]。しかし、本番の愛1000ギニーでは6戦無敗の英1000ギニー馬アトラクションの逃げに最後まで食い下がるも2着に惜敗[5]。フランスに遠征して挑んだ次走の仏オ―クスでも、残り400m地点でスパートをかけるが最後は脚色が鈍って4着に敗れた[6]。続くプリティーポリーステークスでも、直線で好位から抜け出すが最後はコーリストとの叩き合いに敗れて2着となかなか勝ち切れないレースが続いた。しかし、夏の休養後に挑んだオペラ賞では後方追走から差し切り勝ちを決めて、GI初勝利を挙げた[7]。その後は香港ジョッキークラブからの招待を受託し、香港カップに出走した。イタリアやイギリスで当時GI5勝を挙げていたラクティや日本からはダンスインザムードなどの面々が同レースに出走しており本馬は7番人気に甘んじたが、レースでは最後の直線で得意の豪脚を繰り出すと2着のブリッシュラックを短頭差抑えて優勝した[8]。またこの勝利によって、同レースがGIに昇格して以降初めて牝馬として優勝した馬となった。
4歳時(2005年)
編集前年の香港カップの勝利によって陣営は海外レースを積極的に使う方針を決めるが、シーズン初戦のドバイデューティーフリーを6着、続くシンガポール航空国際カップを3着と敗れてしまう。本国に戻った後、前年は敗れたプリポリティーステークスに出走した。レースではスタートで出遅れてしまうが、残り400m地点から右によれながらも末脚を繰り出して優勝、GI3勝目を挙げた[9]。次走のファルマスステークスではソヴィエトソングの2着に惜敗するが、続くナッソーステークスでは道中で不利を受けながらも残り200m地点で先頭に立つとそのままゴールし、GI4勝目を挙げた[10]。しかし、その後は愛チャンピオンステークスとオペラ賞をそれぞれ3着に、英チャンピオンステークスと香港カップをそれぞれ8着に敗れて4歳シーズンを終えた。
5歳時(2006年)
編集シーズン初戦はドバイシーマクラシックで始動するもハーツクライの5着、続いて3頭立ての小頭数となった愛タタソールズ金杯に出走したがレースではハリケーンランに7馬身差の2着に敗れた。しかし、連覇をかけて挑んだプリティーポリーステークスでは、最後の直線での叩き合いを首差制して勝利。GI5勝目とともに同レース連覇を達成した[11]。次走のナッソーステークスでも連覇を狙って挑んだが、同世代のウィジャボードにゴール前で競り負け2着に惜敗した。続く愛チャンピオンステークスでも愛ダービー馬ディラントーマスとウィジャボードの前に3着と敗れた。その後はサンチャリオットステークスと香港カップに出走するが、それぞれ3着と9着に敗退。これを最後に現役を引退、アイルランドのギルタウンスタッドで繁殖入りすることとなった[12]。
血統表
編集アレクサンダーゴールドランの血統 | (血統表の出典) | |||
父系 | ヌレイエフ系 |
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父 Gold Away 1995 |
父の父 Goldneyev1986 |
Nureyev | Northern Dancer | |
Special | ||||
Gold River | Riverman | |||
Glaneuse | ||||
父の母 Blushing Away1987 |
Blushing Groom | Red God | ||
Runaway Bride | ||||
Sweet Revenge | Raja Baba | |||
Away | ||||
母 Renashaan 1989 |
Darshaan 1981 |
Shirley Heights | Mill Reef | |
Hardiemma | ||||
Delsy | Abdos | |||
Kelty | ||||
母の母 Gerbera1984 |
Lyphard | Northern Dancer | ||
Goofed | ||||
Greenway | Targowice | |||
Gracious |
脚注
編集- ^ “Alexander Goldrun | Race Record & Form | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年6月29日閲覧。
- ^ “Full Result 2.15 Curragh (IRE) | 23 March 2003 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 4.00 Curragh (IRE) | 25 October 2003 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 4.30 Leopardstown (IRE) | 9 May 2004 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 3.40 Curragh (IRE) | 23 May 2004 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 4.35 Chantilly (FR) | 13 June 2004 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 2.30 Longchamp (FR) | 3 October 2004 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 9.10 Sha Tin (HK) | 12 December 2004 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 3.40 Curragh (IRE) | 25 June 2005 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 3.10 Goodwood | 30 July 2005 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “Full Result 3.40 Curragh (IRE) | 1 July 2006 | Racing Post”. www.racingpost.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “香港C勝ち馬、アレクサンダーゴールドランが引退 | 競馬ニュース”. netkeiba. 2024年7月7日閲覧。
外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post