アルフォンソ・オイッテロン
アルフォンソ・オイッテロン(Alfonso Rebochong Oiterong、1924年10月9日 - 1994年8月30日)はパラオ共和国の政治家。1985年7月2日から1985年10月25日までパラオ共和国第2代大統領を務めた。
アルフォンソ・オイッテロン Alfonso Rebochong Oiterong | |
任期 | 1985年7月2日 – 1985年10月25日 |
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出生 | 1924年10月9日 委任統治地域南洋諸島 |
死去 | 1994年8月30日(69歳没) |
来歴
編集日本統治時代では、公学校を卒業後、選抜されて内地留学を果たした。帰島後はパラオ人唯一の木工徒弟養成所教官となった。
終戦後は、ハワイ大学及びグアム大学で教育学を専攻した。その後、太平洋諸島信託統治領政府の公務員となり、主に教育行政を司る教育局に勤めた。その後、パラオ憲法制定委員会の委員となって政界入りした。
政府樹立後は副大統領となった。ハルオ・レメリクの暗殺後に大統領となった。しかしその年に行われた大統領選挙ではラザルス・サリーに及ばず、大統領職を譲ることになった。
参考文献
編集- 太平洋学会編『太平洋諸島百科事典』原書房、1989年
- 須藤健一監修『パラオ共和国 過去と現在そして21世紀へ』おりじん書房、2003年
公職 | ||
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先代 トーマス・レメンゲサウ・Sr |
パラオ共和国大統領 第2代:1985 |
次代 ラザルス・サリー |
先代 (建国) |
パラオ共和国副大統領 1981 - 1985 |
次代 トーマス・レメンゲサウ・Sr |