アドゥヤマン
トルコの都市
アドゥヤマン(トルコ語:Adıyaman)は、トルコ共和国の東部、南東アナトリア地方のアドゥヤマン県にある都市で、同県の県都。トルコで最も人口増加の著しい都市。1990年の人口は100,045人であったが、2009年には198,433人に増加した。
アドゥヤマン Adıyaman | |
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位置 | |
位置 | |
座標 : 北緯37度45分50秒 東経38度16分40秒 / 北緯37.76389度 東経38.27778度 | |
行政 | |
国 | トルコ |
地方 | 南東アナトリア地方 |
県 | アドゥヤマン県 |
市 | アドゥヤマン |
地理 | |
面積 | |
市域 | 1,582 km2 (610.8 mi2) |
標高 | 7 m (23 ft) |
人口 | |
人口 | (2008年現在) |
市域 | 193,250人 |
その他 | |
等時帯 | 極東ヨーロッパ時間 (UTC+3) |
郵便番号 | 02xxx |
ナンバープレート | 02 |
公式ウェブサイト : www.adiyaman.bel.tr |
歴史
編集紀元前900年以降、アッシリア人、ペルシア人、マケドニア人の侵攻を受けた。紀元前69年にコンマゲネ王国が設立した。王都はSamosataにあった。アドゥヤマンは壁に囲まれたコンマグネ王国の町であった。 西暦72年、コンマグネ王国はローマ人によって侵略され、滅亡した。その後、町は395年から670年までビザンチン帝国、670年よりウマイヤ朝、758年から926年までアッバース朝の各支配を受けた。859年から1114年までビザンチン帝国によって再支配された。1114年から1204年まではアラブ人、その後はテュルク人によって支配された。テュルク人は1114年以降、町に流入しはじめた。1200年代の町の支配者であるセルジューク・トルコは、しばしばモンゴル人の来襲に苦しんだ。1298年から1516年まではマムルーク朝の支配を受け、1516年にはオスマン帝国のセリム1世が支配した。