つなき&みどり
つなき&みどり(つなきアンドみどり[1])は、日本の歌手、夫婦デュオである[1]。
つなき&みどり | |
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ジャンル | 歌謡曲 |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1972年12月1日 - 1977年6月 |
レーベル | |
事務所 | バーニングプロダクション |
共同作業者 |
橋本淳 筒美京平 |
メンバー |
三原綱木 (つなき) 田代みどり (みどり) |
メンバー
編集略歴
編集概要
編集活動期
編集小学生時代に平尾昌晃に認められて少女歌手としてデビューした田代みどりと、ジャッキー吉川とブルー・コメッツで歌手、ギター奏者、あるいは作曲家として活動していた三原綱木が1970年(昭和45年)1月18日に結婚[4]、1972年(昭和47年)8月10日に発売されたシングル『雨の朝の少女』、同年10月25日に発売されたアルバム『ゴールデン・スター・ワイド・デラックス』を最後に井上忠夫、高橋健二とともに三原もブルー・コメッツを脱退した。三原は大橋プロダクション、田代は東洋企画に所属していたが[7]、それぞれ退社してバーニングプロダクションに所属[8]、同年12月1日、東芝音楽工業(現在のEMIミュージック・ジャパン)から、つなき&みどりの名でシングル『愛の挽歌』を発表、ポップスデュオとして改めてデビューした。キャッチフレーズは「ハッピー・カップル」であった[9]。同シングルは、ブルー・コメッツ時代にも多くの楽曲を手がけた橋本淳の作詞、筒美京平の作・編曲による作品であり、オリコンチャート最高位15位、15万枚のヒットを果たす。この再デビュー時、三原は満27歳、田代は満24歳であった。
翌1973年(昭和48年)3月20日には、デビューシングルと同名のファーストアルバムを発表[1]、A面には表題曲のほか、橋本・筒美コンビの手がけた平山三紀の楽曲である『フレンズ』や『いつか何処かで』のカヴァー、あるいはオリジナル楽曲、B面にはギルバート・オサリバン『アローン・アゲイン』等のカヴァーを収録した[1]。しかしながらその2週間後の同年4月5日に発売したセカンドシングル『愛の絆』、あるいはそれ以降も橋本・筒美コンビが楽曲を手がけたが、デビュー曲に匹敵するヒットは得られなかった。同年7月5日に発売したサードシングル『ふたり』の発売後、同夫妻の不和説が流れ、同年10月に発行された『週刊平凡』には「つなき&みどりがわずか10か月で分解」という記事が掲載されることになる[10]。同年12月には4枚目のシングル『雨の軽井沢』を発表、翌1974年(昭和49年)には同シングルと同名のセカンドアルバムを発表した。同年4月には5枚目のシングル『夜汽車よ故郷へ』を発表したが、同年8月に発行された『週刊平凡』には「つなき&みどりが突然解散、引退!なぜ」という記事が掲載された[11]。
1975年(昭和50年)、ポリドール(現在のユニバーサルミュージック)に移籍、6枚目のシングル『あなたも数のうち』を発表、同作から作家が変更になり、橋本・筒美コンビではなく、なかにし礼が作詞、三原が作・編曲を兼ねた。同年7月25日に発売されたALFIE(現在のTHE ALFEE)のアルバム『青春の記憶』に、つなき&みどりのアルバム曲『ウエイト・アローン』がカヴァーされる。翌1976年(昭和51年)からは、三原が、同じ事務所に前年から所属する郷ひろみのバックバンドのリーダーを務めるようになり[2]、「つなき&みどり」としての音源が発表されなくなる。1977年(昭和52年)1月、7枚目のシングル『Jの5番』が発売されるが、同年4月には同夫妻の別居が報じられ[5]、同年6月には離婚、「つなき&みどり」としての活動は停止した[6]。
解散後
編集三原綱木は、1978年(昭和53年)11月、モデルのケイ・アンナ(1950年 - )と結婚へとの報道があり[12]、翌1979年(昭和54年)3月には婚約、結婚した[13]。一方、田代みどりも、同月、『MEN'S CLUB』誌専属モデルの高橋尚美(1955年 - )と結婚する旨の報道があり、結婚した[14]。
1994年(平成6年)11月30日、ファーストアルバム『愛の挽歌』がCD化され、2003年(平成15年)9月10日にも再発売、2008年(平成20年)9月26日には、ボーナストラックとして、『雨の軽井沢』『愛の絆』『夜汽車よ故郷へ』『ふたり』のシングル表題曲、セカンドアルバム収録曲の『白い部屋』、シングル『ふたり』のB面曲『サマー・ホリデイ・イン・マイ・タイム』の6曲が新たに初デジタル音源化された[1]。セカンドアルバム『雨の軽井沢』については、2015年(平成27年)8月現在、デジタル化されていない[1]。
2011年(平成23年)7月12日放送の『NHK歌謡コンサート』等、単発での再結成は行われることがある。
ディスコグラフィ
編集国立国会図書館の所蔵資料、日本音楽著作権協会(JASRAC)の資料を中心とした一覧[15][16]。
シングル
編集- 愛の挽歌(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平、TP-2787 / 1972年12月1日発売) - 最高位15位 / 15万枚
- ミュージック・イズ・マイ・ライフ(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- 愛の絆(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平、TP-2828 / 1973年4月5日発売) - 最高位49位 / 4.1万枚
- いつか何処かで(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平) - 平山三紀からのカヴァー曲
- ふたり(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平、TP-2876 / 1973年7月5日発売) - 最高位63位 / 2.2万枚
- サマー・ホリディー・イン・マイ・タイム(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- 雨の軽井沢(作詞橋本淳、作曲筒美京平、編曲矢野誠、TP-2941 / 1973年12月発売)
- 別れの手紙(作詞橋本淳、作曲筒美京平)
- 夜汽車よ故郷へ(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平、TP-2987 / 1974年4月発売)
- 月の光(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- あなたも数のうち(作詞なかにし礼、作・編曲三原綱木、DR-1996 / 1975年発売)
- 甘えてもいいわ(作詞なかにし礼、作・編曲三原綱木)
- Jの5番(作詞杉山政美、作曲三原綱木、編曲馬飼野康二、DR-6067 / 1977年1月発売)
- 港の見えるレストラン(作詞杉山政美、作曲三原綱木、編曲馬飼野康二)
アルバム
編集- 愛の挽歌(TP-8236、1973年3月20日発売)
- A.
- 愛の挽歌(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- フレンズ(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平) - 平山三紀からのカヴァー曲(1972年)
- ウエイト・アローン(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- 泣き別れ(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- ミュージック・イズ・マイ・ライフ(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- いつか何処かで(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平) - 平山三紀からのカヴァー曲(1972年)
- B.
- サタデー・イン・ザ・パーク(作詞・曲ロバート・ラム、編曲筒美京平)
- パピー・ラブ(作詞・曲ポール・アンカ、編曲筒美京平)
- アローン・アゲイン(作詞・曲ギルバート・オサリバン、編曲筒美京平)
- 早く家に帰りたい(作詞・曲ポール・サイモン、編曲筒美京平)
- ホワイ(作詞ボブ・マルクッチ、作曲ピーター・デ・アンジェリス、編曲筒美京平)
- ハロー・メリー・ルー(作詞・曲ジーン・ピットニーとケイエット・マンジアシーナ、編曲筒美京平)
- 雨の軽井沢(TP-9103、1974年発売)
- A.
- 雨の軽井沢(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- ふたり(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- 愛の絆(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- 別れの手紙(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- サマー・ホリデイ・イン・マイ・タイム(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- ミュージック・イズ・マイ・ライフ(作詞橋本淳、作・編曲筒美京平)
- B.
CD復刻
編集- アイドル・ヒット・パレード Girls, Girls, Girls(1988年2月発売) - 『愛の挽歌』
- 音故知新 ときめきの歌があった…。ごめんネ…ジロー - ゆうべの秘密(1990年6月発売) - 『愛の挽歌』
- 愛の挽歌(1994年11月30日発売)
- ソフトロック・ドライヴィン 恋人中心世界(1996年9月発売) - 『いつか何処かで』
- 20世紀BEST フォーク&ニューミュージック・ヒストリーVol.2 東芝EMI篇(1999年11月発売) - 『愛の挽歌』
- 青春歌年鑑'74 BEST30(2000年11月発売) - 『愛の挽歌』(DISC2)
- 愛の挽歌(2003年9月10日発売)
- 懐かしのフォーク&ポップス大全集(2004年6月発売) - 『愛の挽歌』(DISC3)
- ベスト・フォーク100 青春のfolk & pops disc 3(2005年9月発売) - 『愛の挽歌』
- フォーク歌年鑑 1972 v.2(2006年9月発売) - 『愛の挽歌』
- 愛の挽歌(2008年9月26日発売) - ボーナストラック『雨の軽井沢』『愛の絆』『夜汽車よ故郷へ』『ふたり』『白い部屋』『サマー・ホリデイ・イン・マイ・タイム』
- 橋本淳作品集 長い髪の少女(2009年8月発売) - 『愛の挽歌』『ふたり』『雨の軽井沢』『夜汽車よ故郷へ』(DISC1)
- 筒美京平 golden hitstory あなたを・もっと・知りたくて(2012年12月発売) - 『愛の挽歌』(DISC1)
- 筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967-1997 2013 Edition(2013年12月発売) - 『愛の挽歌』(DISC2)
おもなテレビ出演
編集- 夜のヒットスタジオ 第214回(1972年12月4日放送) - ゲスト
- シャボン玉サタデー(1973年4月21日 - 同年9月29日放送) - 司会
- スター千一夜 (1973年1月18日放送) - ゲスト
- 紅白スター対抗大合戦 第5回(1973年5月3日放送) - ゲスト
- スターまねマネ大会(1973年8月3日 - 同年9月28日放送) - ゲスト
脚注
編集- ^ a b c d e f つなき&みどり、オリコン、2015年8月25日閲覧。
- ^ a b c プロフィール、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、2015年8月25日閲覧。
- ^ a b 三原綱木[リンク切れ]、コトバンク、2015年8月25日閲覧。
- ^ a b 平凡[1970], p.26.
- ^ a b 平凡[1977.4], p.27.
- ^ a b 平凡[1977.6], p.36.
- ^ 軍司[1992], p.163.
- ^ 出演者[1975], p.542.
- ^ 「映画情報 38(2)(246);2月号」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 平凡[1973], p.54.
- ^ 平凡[1974], p.152.
- ^ 明星[1978], p.16.
- ^ 明星[1979], p.10.
- ^ 平凡[1979], p.166.
- ^ 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2015年8月25日閲覧。
- ^ 作品データベース検索サービス検索結果、日本音楽著作権協会、2015年8月25日閲覧。
参考文献
編集- 『週刊平凡』第12巻第5号、平凡出版、1970年1月発行
- 『週刊平凡』第15巻第41号、平凡出版、1973年10月発行
- 『週刊平凡』第16巻第34号、平凡出版、1974年8月発行
- 『出演者名簿 昭和50年度版』、著作権資料協会、1975年発行
- 『週刊平凡』第19巻第16号、平凡出版、1977年4月発行
- 『週刊平凡』第19巻第26号、平凡出版、1977年6月発行
- 『週刊明星』第21巻第45号通巻第1048号、集英社、1978年11月発行
- 『週刊平凡』第21巻第10号、平凡出版、1979年3月発行
- 『週刊明星』第22巻第10号通巻第1063号、集英社、1979年3月発行
- 『ナベプロ帝国の興亡』、軍司貞則、文藝春秋、1992年3月発行 ISBN 4163460101