がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-
『がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征』(原題:The Bad News Bears Go to Japan)は、1978年に公開されたアメリカ映画[1][2]。
がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征- | |
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The Bad News Bears Go to Japan | |
監督 | ジョン・ベリー |
脚本 | ビル・ランカスター |
製作 | マイケル・リッチー |
出演者 |
トニー・カーティス ジャッキー・アール・ヘイリー 若山富三郎 石原初音 |
音楽 | ポール・チハラ |
撮影 |
ジーン・ポリト 岡崎宏三 |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
1978年6月30日 1979年3月17日 |
上映時間 | 92分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 日本語 |
前作 | がんばれ!ベアーズ特訓中 |
作品解説
編集『がんばれ!ベアーズ』シリーズ第3作。ベアーズが日本の少年野球チームと親善試合をするため来日するという設定[3]。公開当時の題名は『がんばれ!ベアーズ 大旋風』『がんばれ!ベアーズ・大旋風』だったが、日本でのビデオ発売時に変更された[1][2]。
2ヵ月に及ぶ日本ロケを実施したが[3]、平安神宮、浅草寺、花園神社などの神社仏閣が盛んに登場し[3]、トニー・カーティスが日本旅館に靴のまま上がろうとしたり、座敷にベッドがないと騒いだり、身長178センチと大して高くもないカーティスが二度も三度も鴨居に頭をぶつけるシーンが登場した[3]。ステーキを食べるシーンでも若山に無意味にテーブルの花を切らせて「ハラキリ」という言葉を引き出したり、「ゲイシャ」というセリフをわざわざ挿入したり、相変わらずの「フジヤマ・ゲイシャ」など、時代錯誤も甚だしい描写となり大きく不評を買った[3]。このため、配給のCICも気が引けたと見えて[3]、前作の『がんばれ!ベアーズ 特訓中』と併映して公開している[3]。
概要
編集一作目の監督で、今作ではプロデューサーにまわったマイケル・リッチーが、過去3度日本に来たこともある日本好きで、一作目が日本でヒットしたこともあり、商売的なことを考え、日本遠征が実現した[4]。東映の岡田茂社長がパラマウントと交渉し[5]、日本での製作を受注[4][5]、全編の90%が日本で撮影された[4]。撮影隊のスタッフは、アメリカ側17名、日本側が澤井信一郎(監督補佐)ら、東映東京撮影所から54名が参加。この他、トニー・カーティス、若山富三郎、ベアーズのメンバー10名、日本の少年野球チームに家族の付き添いなどで撮影には大変な人数が参加した[4]。
若山富三郎の出演は、監督のジョン・ベリーが、若山主演の『帰ってきた極道』を観て、ぜひ出演してくれとオファーし、当時若山は東宝の『姿三四郎』の撮影や、帝劇の舞台があって忙しかったが、ジョン・ベリーに帝劇の楽屋まで来て口説かれ、「ファミリーで観れる映画だから」などと説得され出演を受けた[4]。
1977年9月3日、京王プラザホテルで記者会見があり[6]、ジョン・ベリー監督、トニー・カーティス、若山富三郎、石原初音、王貞治、アントニオ猪木、荒川尭が出席[6]。監督と主演が来日して出席していることから、この記者会見の前後からクランクインしたものと見られ、1977年10月12日ぐらいまで撮影を行うと発表された[6]。また1977年9月23日に川崎球場で2万8000人を集めて試合のシーンを撮影したいので多数の参加をお願いしたいとPRがあった[6]。
京都ロケはベアーズの人気を煽ろうとマスコミを招待して4日間、平安神宮→伏見稲荷大社→霊山観音→知恩院というコースをロケバス20台で回った[4]。
撮影は監督のジョン・ベリーと監督補佐の澤井信一郎、トニー・カーティスの意見が衝突ぎみで、ジョン・ベリーは大声を上げてイライラし、若山富三郎がおどけて場を和らげるという構図だった[4]。
メイン・スタッフはアメリカ側で、カメラはジーン・ポリトが来日し途中までを撮っていた。しかしポリトが監督とケンカして帰国し、以降はピンチヒッターとして『ザ・ヤクザ』でアメリカのやり方を知る岡崎宏三が撮影を担当した[4]。アメリカではよくあることだという[4]。アメリカの映画は一日の撮影に映画一本の完成分の長さを撮る。完成分の30倍~40倍のフィルムを使う贅沢ぶりで、日本側のスタッフ、キャストを驚かせた[4]。
ストーリー
編集ある日テレビで、日本に行きたいけど困っているというベアーズメンバーの告白を見た芸能エージェント・マービンは、ベアーズメンバーをビバリーヒルズのホテルに招き、計画を立てた。マービンと共に日本へ旅立ったベアーズは早速全日本少年野球チームと対面するが、練習試合は散々な結果となる。宇宙での中継を狙ってアントニオ猪木とプロレス対決したり、『オールスター家族対抗歌合戦』に出場した日本チームが紙吹雪の洗礼を受けたり・・・と、すったもんだがあった中、ベアーズは日本チームとの対戦に挑む!
キャスト
編集ベアーズメンバー
編集- ケリー・リーク:ジャッキー・アール・ヘイリー(吹き替え:村山明)
- エンゲルバーグ:ジェフリー・ルイス・スター (吹き替え:山本圭子)
- E.R.W・ティリヤード:マッシュー・ダグラス・アントン
- ジミー・フェルドマン:ブレッド・マルクス
- ルディ・ステイン:デイヴィッド・ポロック
- トビー・ホワイトウッド:デイヴィッド・スタンボー
- ムスタファ・ラヒム:スクーディ・ソーントン
その他
編集テレビ放映
編集地上波のキー局では『木曜洋画劇場』(テレビ東京)で、1985年3月21日に放送されている[2]。このときもタイトルは『がんばれ!ベアーズ・大旋風』だった[2]。
作品の評価
編集『週刊平凡』は「引率のコーチが金儲けばかり考えているという設定なので、子供たちの無邪気さよりもコーチのこざかしさばかりが目立つ。これがあの傑作『がんばれ!ベアーズ』の一編かと思うとガクゼンとする」などと評した[2]。
備考
編集脚注
編集- ^ a b かんばれ!ベアーズ大旋風 - コトバンク
- ^ a b c d e 「BEST FORUM 今週の見もの聞きもの大通信 〔テレビ〕 今週のオタノシミ映画 3月21日(木)『がんばれ! ベアーズ・大旋風』」『週刊平凡』1985年3月29日号、平凡出版、127頁。
- ^ a b c d e f g 「お粗末な『ベアーズ』映画第三弾」『週刊文春』1979年3月29日号、文藝春秋、21頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 高橋聰「ルポ特集II 親子同伴でにぎやかな『がんばれ!ベアーズ・日本遠征』京都ロケ見聞記」『キネマ旬報』1977年10月下旬号、キネマ旬報社、99 - 101頁。
- ^ a b 高橋英一・鳥畑圭作・土橋寿男・西沢正史・脇田巧彦・嶋地孝麿「映画・トピック・ジャーナル 低迷を続ける東映の今後」『キネマ旬報』1977年8月下旬号、キネマ旬報社、190 - 191頁。
- ^ a b c d e “米映画の野球その日本遠征”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1977年9月10日)