「名古屋の歌」騒動
「名古屋の歌」騒動(なごやのうたそうどう)は1990年、愛知県名古屋市が市制百周年記念として作成した「名古屋の歌」が「名古屋をバカにしている」「女性をものとみている」といった物議を醸した騒動である。
「名古屋の歌」騒動 | ||||
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1990年名古屋市内で購入されたテープ | ||||
日時 | 1990-3-15 | |||
場所 | 愛知県名古屋市 | |||
参加集団 | ||||
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楽曲制作の背景
編集名古屋に関する楽曲は数多くありながら人口に膾炙した曲は皆無であった[1][2]。ちょうどNHK名古屋放送局がテレビ放送開始50周年記念事業の一つとしてご当地ソング製作を企画していたことから「なんとか市民が口ずさめる唄を」と、1983年、愛知県・名古屋市・名古屋商工会議所・中日新聞も共催団体に名を連ねて「愛知・名古屋マイソング実行委員会」を設立、1984年より毎年、全国から名古屋を歌い上げた新しいご当地ソングの募集・選考を開始した[3]。主管のNHK名古屋放送局は東海地区ローカル枠で3分間のミニ番組『愛知・名古屋マイソング』を編成しその年の最優秀曲のMVを放映してPRに努めていた。1988年に5曲目を選出したところで、この企画の最後の年度となった。最終年度の1989年は名古屋市制百周年でありその翌年には名古屋市での世界デザイン博覧会開催が控えていることから「最後くらいはプロの作詞家・作曲家に依頼しよう」となった[4]。また、これまで選出してきた5曲がいずれもポップス/ロック調で作曲されており、1988年の最優秀曲は「Hey!Mr.PureTown」(作詞作曲:野原真由美 唄:長山洋子)という英文タイトルで曲中数度英語が出てくるため「高齢者が歌えない」という苦情が発生(審査委員長は演歌作詞家石本美由起)、これを鑑みて新曲は「演歌調」とすることとした[5]。当時、大都市で演歌を愛唱歌とすることは珍しいことであった[6]。
新曲の作詞は荒木とよひさ、作曲は弦哲也に依頼することと決し、両者への報酬500万円が予算計上された[4]。その後、曲が完成し1989年9月26日夜、開会中であった世界デザイン博覧会・白鳥会場ステージで初めて一般市民に向け発表・歌唱が披露された[7]。
「愛知・名古屋マイソング」は2曲あり、本格演歌の「城~男は黙って城になれ~」(以下、「城」という)とリズム感を持ったコミカル調演歌「どんとこい名古屋」であった。いずれも後に荒木と結婚することになる神野美伽が歌唱を担当[7]。当時の西尾武喜名古屋市長や名古屋市広報課職員がこの2曲を初めて聴いたのは開催2日前の9月24日または発表当日だったという。西尾は初めて聴いた時、「どんとこい名古屋」の3番の歌詞中に"城がなければただの町"というフレーズを見つけ私見を述べた。
お披露目後「あの歌はどこで売っているのか」という問合せ・反響が相次いだことから[4][5]、翌1990年1月21日に「城」「どんとこい名古屋」2曲とそれぞれのカラオケ曲合わせて計4曲を収録したカセットテープが、当時神野が所属していたBMGビクターから発売された(規格品番:B10T-66)[4][5][8]。このとき名古屋市はおよそ500万円で6,050本を購入。うち5,500本を市報で無料配布を知り応募してきた市民、老人クラブ、ホテル・旅館、観光施設、鉄道会社、周辺自治体に無料配布[5][8][9]。同時に市報の『広報なごや』1月号に曲紹介を載せ、NHK名古屋放送局『愛知・名古屋マイソング』でも放送が始まった[10]。愛知岐阜三重の東海三県のみの地域限定販売であったが「演歌調」路線変更は成功、売上は一か月強の間に2万本を越えるという好成績を上げた[4]。特に「どんとこい名古屋」は一種軽快舞曲の風格があったから名古屋市内のクラブでは「女の子が必ずステージでこの歌を歌う」という人気ぶりだった[4]。
3月7日の定例市議会では「名古屋の歌の評判はどうか?今後どのように普及・活用するのか?」という個人質問に対し、市民局長が「売れ行きは甚だ良好で長く親しんでもらえる良い歌だ。盆踊りシーズンに向けBMGビクターと日本舞踊家とで振付を試案中であり近々公表予定、完成したら市内各所に講習所を設け市民に伝習してもらう」と答弁した[10][11]。
雑誌掲載による波紋
編集それから一週間後の1990年3月15日、事態は全く急転した。
同日発売の『週刊文春』が《名古屋市長を怒らせた100周年記念市歌 ♫城がなければただの町?》と題し「『城がなければただの町』の歌詞に名古屋市長が『こんな歌はけしからん』とカンカンに怒っている。市長激怒の話は関係者間にかなり広まっている[4]」と報じた。文春記事にはさらに「市民に宿す深いコンプレックスを刺激した。名古屋の内輪で言うのならいいが、市が金を出した歌で城がなければただの町などと外から言われたらカチンとくる」、「草津で『温泉がなければただの町』などと作詞したら、草津の人はどう思うか」といった名古屋出身の作家・清水義範や落語家・三遊亭円丈の憤りの声、また「どんとこい名古屋」1番に含まれていたフレーズ「酒は美味し女は美人」について、「演歌調だから悪いとは言えないが、これでは『酒はうまいし姉ちゃんは綺麗だ』の類だ。もっと学校で教えることができる歌にしてほしかった」という3月7日に歌の評判について質問した市議のコメント、さらには女性団体からの抗議が予定されているとも書かれていた[4]。同日開かれた名古屋市議会総務民生委員会は、この文春記事を元に「『名古屋は城以外にめぼしいものがない』と市長が怒るような歌詞のある曲を、当局受取りから間を置かずにそのまま市民に発表したのはどうしたことか(作詞者に差し戻し改詞させるべきであった)」と市の不手際を突く質問が出たが、担当者がたらいまわし的な答弁をしたため委員会は紛糾し、審議が空転してしまった[12]。
発表から半年も経てから急に湧いた批判に面した作詞担当・荒木のコメントは文春と翌3月16日付中日新聞朝刊の双方に掲載され「一部分を取り上げず全体を聴け。名古屋への愛は人後に落ちない。なぜ今そのようなことを言われるのか」(文春)、「市長は本気で批判していないであろう。名古屋は昔から好きだ。関心を呼べていいことではないか」(中日新聞)という内容であった。
3月16日、総務民生委員会で市民局長が前日の紛糾質問に対し「芸術作品の創作として尊重する」と答弁。市長と「城がなければただの町」の関係については「市長は『若干の誤解を招くのでは』と指摘した。市民局は『名古屋にとって城が欠かせない存在という意味がある』という解釈を市長に伝え『これでよいのでは』と答えた」と説明した。その後「市長は怒っていない。市としては、この歌が市民の多くの方に歌われることを願っている」と答弁を続けたところ、委員からの異論はなく"一件落着"となった、という[13]。
3月20日、文春記事の通り、5つの女性団体が「『城』はイニシアチブを男性にのみ与える古い生き方を肯定している、『どんとこい名古屋』の歌詞は女性を物としてみる発想が根底にある、市民よりも城が大切なのか?誰もがのびやかに平等に生きたいと願う時に、女性差別を認める歌を市が税金を使って推進するとはどういうことか」として市長宛に公開質問状を提出した[10][14]。この日対応した広報課長は「『名古屋女は美人で情け深い』と褒めている、個人的にいい歌だと思うが」と言った。3月30日、名古屋市は「『城』は確かに男性しか描述していないが城を通して"名古屋頑張れ"という応援歌であって、女性の生き方にまで言及していない。『どんとこい名古屋』は名古屋の良さをコミカルに表現しただけ」と正式回答した[10]。
4月9日、名古屋の官財界人でつくる『丸八会』がミニコンサートを催し、騒動が明るみに出て以降初めて神野が2曲を歌唱した。 市長もかけつけ神野に花束を贈呈。「どんとこい名古屋」を合唱した[15]。騒動について司会者から尋ねられた市長は「いろいろあったが全国的話題になった、大らかにいきましょう」と答えた。
翌4月10日、先の女性団体に「名古屋の歌に怒る男たちの会」「戸籍制度を問い直す会」「なごやの教育を考える会」「名古屋労組連」といった男性も含んだ4団体が加わり、連名で「血税で男らしさ女らしさを固定化した歌を作ったのは許しがたい」と普及活動の中止と市長への面会を求める新たな質問状を市長に送った。市長は「当該案件は担当課に任せているので面会不能」とし、4月26日、市民局長と広報部長、女性企画室長が諸団体代表と面会することになった。女性企画室長は「室には『名古屋の歌』企画の相談が全くなかった」と弁明した[16]。5月15日、市は回答し今後市はこの歌に公金投入はしないと約束したが、NHKの放送差し止めおよび無料配布したカセットテープの回収を求めた要求には「外部の組織・個人活動にまでは関与できない」として対応不可とした[10][17]。
やがて他の市民団体から「この楽曲に名古屋の人間は出ていないし、名古屋の市政もバカにされている」「名古屋市のモットーは『文化の香り高い豊かな住みよい街』だが、この歌を文化の香りが高いとは思えない」と異論が出てきた[18]。一般市民の間からは「市が余計なことをするでだわ」「『城がなければただの町』と名古屋がワンセットで全国に広まってしまった」「女の時代に公費で『女は美人』とやればどうなるか予想できなかったのか」と冷ややかな声が上がった[19]。
抗議団体からは「底流に『演歌だから仕方がない』という諦観が横溢している。演歌そのものを点検する必要がある[14]」「酒、女、涙・・・・・考えれば演歌がセクハラの推進をしていることが多い[18]」と"演歌調"なのが問題源ではないかという意見が現れてきた。
官製「名古屋の歌」が混迷する間に盆踊りシーズンが近づき、アマチュアの市民が結集して「名古屋マップソング」という民製盆踊り用ご当地ソングを制作、カセットテープで販売を始めた。名古屋市昭和区の男性が作詞したこの曲は専門家考証済の極めて正確な名古屋弁と大須観音・名古屋港などの名所の歌で構成されており、「城」や「どんとこい名古屋」のような物議を予防していた[20]。
8月7日には全国の女性団体に呼び掛けて集まった「こんな歌要らない」という2000名の署名が名古屋市役所に提出されている[21]。
全国三紙及び中日新聞紙上で確認し得る「どんとこい名古屋」公開歌唱例は、1990年8月12日名古屋市中川区夏祭り会場内の小企画『演歌DE夏祭り』で角川博が歌った、との記事を最後に途絶えている[22]。
現況
編集この騒動は名古屋のご当地ソングが少ないことやその歴史を詳述するときにしばしば引用されるが[24][25]、1991年TBS・筑紫哲也NEWS23が『くたばれ中央!地方の逆襲』というJNN地方局のスタジオから生放送する企画を行った時、名古屋CBCからの放送回で小堀勝啓アナウンサーがご当地ソングの少なさと当騒動を紹介するさい、1990年4月9日神野美伽が西尾名古屋市長とともに「どんとこい名古屋」の~城がなければただの町~のフレーズを歌っているVTR映像が歌詞テロップ付きで使われた(1991年3月26日放送分「くたばれ中央!地方の逆襲②」)。
騒動からわずか3ヶ月後の1990年6月、神野美伽は佐賀県藤津郡嬉野町(現・佐賀県嬉野市)が制作した"温泉や茶などを織り交ぜた情緒ある[26]"ご当地ソング『嬉野川恋唄』(石本美由起作詞、 三木たかし作曲)を発表、名古屋同様にカセットテープで一般販売されたが[27]、騒動を起こすことなく今日なお嬉野で歌い継がれている[28]。
1991年9月21日、市とは無関係に、名古屋のご当地ソングと標榜して「揺れてなごや」(歌・松本真理 品番:CEDC-10076)がセンチュリーレコードより発売されたが、西尾市長は「ワーッとした演歌詞じゃなくてあっさりしていて覚えやすい、名古屋にピターッと合っている」とコメントを寄せた[29]。
1994年、テレビ愛知が開局10周年を記念し歌詞一般公募のうえ「夢の降る街/鈴木ユカリ」 と演歌歌手伍代夏子の「ふれあい」を「名古屋の歌」として発売した。伍代は同年11月14日に名古屋市長を表敬訪問した際、歌唱はしなかったが市長から「美人」と言われている[30]。
騒動から2024年9月までの間、神野のアルバムに「どんとこい名古屋」が収録されたことは一度もない[31]。神野は1999年にキングレコードに移籍したが、2010年キングレコードから発売された名古屋ゆかりのご当地ソングを集めたオムニバスCD『名古屋の歌だがね 名古屋開府400年記念CD』にも「城」「どんとこい名古屋」ともに収録されていない。
「愛知・名古屋マイソング」の歴代最優秀曲の幾つかはレコード化され一般販売されている(『みんな名古屋で」<チェリッシュ>)+『拝啓,ここは名古屋です』<川崎少年民謡隊>) 1986年6月21日発売 リバスター音産 7RC-0068)、(『おひさしぶりだね ナゴヤ』<芹洋子 ソロ> 1987年8月2日発売 キングレコード K07S-10204))が、オリコン20位以内にランクインした曲は一つもない[32][信頼性要検証]。
2017年「国内主要8都市で行きたくない街 第一位」との調査結果を受け、名古屋市は定例会見で「歌で名古屋の魅力を惹起せしめ、行きたくない街ナンバーワンから脱却」と述べ、騒動から27年ぶりに市予算でご当地ソング作成に取り掛かると発表した[33][リンク切れ]。
脚注
編集出典
編集- ^ 観光と旅編集部 編『郷土資料事典 愛知県・観光と旅』(1版)人文社〈県別シリーズ ; 21〉、1966年7月、17頁。「--愛知県文学散歩 詩・小説--不思議なことに中京を舞台にした小説やドラマが少ない。卑俗な例でもいわゆる歌謡曲にも中京を題材にしたものがきわめて少ない。東京・大阪・京都はもちろん、横浜・神戸・福岡などがさかんに取り上げられるにもかかわらず、なぜ中京がこうも少ないのか、考慮する要のある問題の一つであろう」
- ^ 名古屋市役所市長室 1991, p. 35「岐阜や大阪だったらいくつもの歌があるのに、名古屋には市民に歌われる歌がないので、議会の方で作ったらどうかというご質問があり『それはやらないかん』ということで始まったんですねえ」
- ^ "名古屋の歌と名古屋帰化の詩"『中部財界』(株式会社中部財界社)1984年4月号 p90
- ^ a b c d e f g h 「名古屋市長を怒らせた 100周年記念市歌 ♫城がなければただの町?」『週刊文春』文芸春秋、1990年3月22日、188–189頁。国立国会図書館書誌ID:000000010807-d3376341。
- ^ a b c d 「《列島視界》名古屋市 名古屋の歌がカセットに BMGビクターから発売」『地方自治ジャーナル』第11巻第145号、公人の友社、1990年3月、3頁、国立国会図書館書誌ID:000000037417-d1393899。
- ^ 「《列島視界》名古屋市 名古屋の歌がカセットに BMGビクターから発売」『地方自治ジャーナル』第11-145号、公人の友社、1990年3月、3頁。「大都市のイメージソングで演歌調は珍しい」
- ^ a b 「『名古屋の歌』初披露(青鉛筆)」『朝日新聞』1989年9月27日、朝刊名古屋版 第1社会面、23面。
- ^ a b 「1990年4月号【6】情報パック列島縦断 名古屋の歌のカセットテープを配布」『月刊 晨』第9巻第4号(通号90)、ぎょうせい、1990年4月、68頁、国立国会図書館書誌ID:000000039971-d2858607。
- ^ 「名古屋の『イメージ演歌』カセット発売 市が購入しPR配布へ」『中日新聞』1990年1月19日、朝刊市民版、18面。
- ^ a b c d e 「男も悲しければ泣けばいい スレ違う女性感覚と市政感覚 『名古屋の歌』のおかしさを追求する奥村和子さん」『あごら』第152号、1990年5月、65-69頁、国立国会図書館書誌ID:000000063829-d1846456。
- ^ 「名古屋市議会の2月定例会は7日も本会議 金山総合設備計画 新年度中に地元へ公表 6氏が個人質問 市議会で市側答弁」『中日新聞』1990年3月8日、市民版朝刊、18面。
- ^ 「--名古屋市制100周年記念の歌--「城がなければただの町...」「西尾さん怒る」と週刊誌報道 市議会委、なんと一時空転」」『中日新聞』1990年3月16日、朝刊東海版社会面、29面。
- ^ 「『市長は怒っていません』 100周年記念歌で答弁」『中日新聞』1990年3月16日、朝刊市民版、18面。
- ^ a b 小畑利安「【愛唱歌】女性たちが問う名古屋の「市政感覚」」『朝日ジャーナル』、朝日新聞社、1990年5月25日、95頁、国立国会図書館書誌ID:000000039816-d1811934。
- ^ 「お騒がせ百周年の歌熱唱」『中日新聞』1990年4月10日、朝刊 東海社会面、25面。
- ^ 「市製作の『名古屋の歌』 普及に協力は困る 団体が要望」『中日新聞』1990年4月27日、朝刊市民版、18面。
- ^ 名古屋市役所市長室 1991, p. 35.
- ^ a b 名古屋市役所市長室 1991, pp. 31–37
- ^ 「ニュースボックス 男はだまっていられない 名古屋市制100周年の"余計な蹉跌"騒動」『中部財界』、株式会社中部財界社、1991年5月1日、65頁。
- ^ 「あだにええナモ『名古屋マップ・ソング』 古今の名所ふんだんに歌い込み 盆踊りうた決まった!カセットが店頭に 熱田さん 観音さま パリモードの久屋広場も」『中日新聞』1990年5月11日、朝刊市民版、18面。「名古屋の地名と名古屋弁をふんだんに盛り込んだご当地ソング『名古屋マップソング』がこのほど発売された。昨年のデ博から歌の方がちょっとした名古屋ブームだが、この歌は"例の"市制百周年記念の『名古屋の歌』と違い、『名古屋をバカにしている』とか『女性をものとみている』といった物議は醸しそうにない。安心してお楽しみを...。作詞・■■■■さん(70)=昭和区塩付通六丁目。大須観音、名古屋港、中村大鳥居というおなじみの場所を盛り込んでいる。名所を網羅するのに曲の部分だけでは足りず、セリフを入れて補うほどの凝りようで、しかも学者のチェックを受けた『正統名古屋弁』というおまけ付きだ。」
- ^ 「『名古屋の歌』騒動第2章 女と男もっと語ろう市長さん 名古屋の女性グループ 抗議本を出版 「こんな歌不要」署名添え再要望」『中日新聞』1990年8月4日、夕刊 第二社会面、12面。
- ^ 「涼夜も涼し 6000人盆踊り ナゴヤ球場の駐車場 露橋学区夏まつり」『中日新聞』1990年8月13日、市民総合版朝刊、11面。
- ^ 「お答えします はやらぬ?名古屋演歌」『中日新聞』1996年6月30日、広域地域版、8面。
- ^ 川合登志和. “歌を作るも作るも結局自己満足♪~名古屋 (名古屋の情報サイト TOPPY.NET)”. 2024年9月17日閲覧。
- ^ 瀬尾良隆『ご当地ソング、風景百年史』原書房、2011年、130-146頁。
- ^ 嬉野町制作のご当地ソング、カラオケに
- ^ 『地方議会人 未来へはばたく地方議会』(全国町村議会議長会 編)平成二年八月号 p65
- ^ 嬉野伝統芸能保存会
- ^ . 株式会社 中部財界社. (1991-10-1). p. 19.
- ^ 「◇西尾名古屋市長◇午後に名古屋の歌「ふれあい」の歌手、伍代夏子さんが表敬訪問。『なかなか美人だなあ。名古屋の歌をうたってくるのはありがたい』などと上機嫌だった」『毎日新聞』、愛知版。
- ^ 神野美伽オフィシャルサイト
- ^ 週間オリコンチャート
- ^ “"行きたくない街ナンバーワン"から脱却へ、名古屋市が歌詞を募集”. asahi.com. (2017年12月5日) . "「行きたくない街ナンバーワン」から脱却しようと、名古屋市がご当地ソング作りに乗り出した。『名古屋ゆかりのヒット曲がない』と嘆く河村たかし市長の肝いりで、市民から歌詞を募っている。市は過去にも歌を作ってきたが定着しなかった。今度こそ、となるだろうか。『かねがね悲しんどる。東京や大阪にはあるのに』。河村氏は13日の記者会見で、東京の『有楽町で逢(あ)いましょう』、大阪の『月の法善寺横丁』、長崎の『長崎は今日も雨だった』などを引き合いに、名古屋ゆかりのヒット曲がないことを嘆いてみせた"
参考文献
編集- 名古屋市役所市長室 ; 「名古屋の歌」いらない参加グループ「『名古屋の歌』について市長と話し合って-」『あごら』第161号、1991年3月、31-37頁、国立国会図書館書誌ID:000000063829-d1846465。