陽侯令珍
陽侯 令珍(やこ の れいちん/りょうちん)は、奈良時代の官人。姓は史(毘登)。但馬守・陽侯真身の子。官位は外従五位下・日向守。名は玲珍とも記される。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 玲珍 |
官位 | 外従五位下・日向守 |
主君 | 孝謙天皇→淳仁天皇 |
氏族 | 陽侯史(毘登) |
父母 | 父:陽侯真身 |
兄弟 | 令珍、令珪、令璆、人麻呂 |
経歴 編集
天平感宝元年(749年)東大寺大仏造営に際して、弟3人と共にそれぞれ銭1000貫を貢進し、従七位上から外従五位下に叙せられる。のち、淳仁朝において、漆部正や伊賀守・日向守といった地方官を歴任した。
その後、神護景雲2年(768年)一族64名が史(毘登)姓から忌寸姓に改姓した際、弟・人麻呂が一族の代表とされていることから[1]、それまでに没したか。
官歴 編集
『続日本紀』による。
脚注 編集
- ^ 『続日本紀』神護景雲2年3月9日条