陽侯人麻呂
陽侯 人麻呂(やこ の ひとまろ、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は史(毘登)のち忌寸。但馬守・陽侯真身の子。官位は外従五位下・豊前介。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 外従五位下・豊前介 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 陽侯史(毘登)→忌寸 |
父母 | 父:陽侯真身 |
兄弟 | 令珍、令珪、令璆、人麻呂 |
経歴 編集
天平感宝元年(749年)東大寺大仏建立に際して、令珍ら兄弟3人と共に銭千貫を貢進し、人麻呂は従八位下から外従五位下に叙せられている[1]。
その後、神護景雲2年(768年)一族の男女63名とともに史(毘登)姓から忌寸姓に改姓している[2]。
宝亀8年(777年)正月25日、市正 となり[3]、宝亀11年(780年)3月、吉田古麻呂の後任の豊前介に任じられている(この時、同時に豊前守に任じられているのは小野滋野)[4]。以降の事績については知られていない。
官歴 編集
『続日本紀』による。