池田方教

江戸時代中期の旗本。池田政方の五男(実は十一男)。屋形池田家7代

池田 方教(いけだ まさのり)は、江戸時代中期の旗本通称は角次郎、隆之助。

 
池田方教
時代 江戸時代中期
生誕 明和2年(1765年)または明和8年(1771年
死没 寛政3年9月24日1791年10月21日
別名 角次郎、隆之助(通称)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 池田氏(利政流)池田氏(政済流)
父母 池田政方池田政朗
兄弟 政香政直本間季農政宣竹中重寛方教頼功大関増備正室、
内藤忠見継室、島津久般正室、
京極高厚継室、酒井忠啓正室、
稲垣照敦室、牧野成賢室、池田直好養女、逸見長祥正室、依田守甫室ら
池田政朗
政富池田政朗
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略歴 編集

明和2年(1765年)、池田政方の五男(実は十一男)として誕生。「池田氏系譜」では明和8年(1771年)生まれとなっている。これは、兄・隆之助元智(竹中重寛)が幕府に無届で旗本竹中家に養子に入ったことに際し、既に提出されていた兄の丈夫届の辻褄を合わせるために、方教が「隆之助」であるとし、その届け出の生年を称したためである。なお、方教も丈夫届が既に出されていたため、通称の「角次郎」で出されていた届けは、弟の池田頼功が引き継いだ[1]

池田政朗の婿養子となり、天明2年(1782年7月4日、遺領を継ぐが、寛政3年9月24日1791年10月21日)、27歳(実際は21歳)で死去した。跡を養子の政富池田政勝の三男)が継いだ。

脚注 編集

  1. ^ 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(角川書店、2004年)p.107-113
先代
池田政朗
屋形池田家当主
7代
1782年 - 1791年
次代
池田政富