Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス/大日本急行電鉄
大日本急行電鉄(だいにっぽんきゅうこうでんてつ)は、日本の鉄道事業者の一つ。JRグループ各社を除けば、近畿日本鉄道(近鉄)を凌いで、最大距離の路線を有する。通称は「大日」(だいにち)。「大鉄」(だいてつ)と呼ばれる場合もある。
沿革と概要
編集もともと、大正時代から日本電気鉄道として東京~大阪間、東海道電気鉄道として東京~名古屋間などという、東海道第2幹線の鉄道敷設構想が何度か出されたが、いずれも立ち消えになっていた。
大日本急行電鉄の前身となる大日本帝国鉄道は、その様な流れの中で三菱・三井など諸財閥の支援を受け、中国方面への進出を図る上で東海道・山陽の両本線に並行する路線を敷設することで、旅客や物流、軍事輸送への寄与が大きいとして、その敷設のため1925年(大正14年)8月31日に設立された。
鉄道省は、当初自省の保有する路線に並行する路線の敷設に強い抵抗を有していたが、軍部からの後押しもあって、東京~下関間の免許を1926年(大正15年)4月1日に収得する事に成功した。この時、大阪~京都~名古屋間においては京阪電気鉄道の子会社新京阪鉄道の保有路線と、京阪が計画している名古屋急行電鉄へ乗り入れること、大阪~神戸~姫路間でも同じように阪神電気鉄道・山陽電気鉄道への乗り入れを行うことが定められた。
建設は免許収得の2カ月後に開始され、1927年(昭和2年)1月5日に初の路線(後の大日本線)である大日静岡~大日焼津間が開業した。翌年5月5日には、静岡県の二大都市を結ぶ大日静岡~大日浜松間を開業させ、急行電車が1時間10分で走破するようにもなった。この時、社名を日本の大幹線における急行輸送を行うための会社ということで、「大日本急行電鉄」と改称している。
その後、大日では京阪の経営難に伴い、計画が頓挫していた名古屋急行電鉄の免許と新京阪鉄道を1929年(昭和4年)4月1日に買収、新京阪鉄道の路線を自社の京阪急行線(後に大日本線へ編入)とした。翌月には阪神電気鉄道と山陽電気鉄道を傘下に収め、阪神が保有していた第二阪神線の免許も大日に譲渡した。
満州事変直後の1931年(昭和6年)10月5日、大日浜松~大日豊橋~大日金鯱(後、大日名古屋と改称)間を開業させる。しかし愛知電気鉄道(愛電)との競合線ということもあって、建設に際しては愛電から横槍が多く入った。豊橋~金鯱間の所要時間は、これに伴って日5往復の運転が開始された急行電車によれば、55分であったという。
その後、名古屋急行電鉄の免許線に当たる金鯱~大津~京都間の建設を推し進める。名古屋急行電鉄の免許線は京都南部の伏見を経由し、西向日駅にいたる物であったが、大日では京都市を地下線で貫通して、大宮の大日京都駅に至るよう計画変更する。京都市では市街を貫通させる事に対して賛否両論があったが、結局は南部を経由して開業した場合に、市街が衰退することを懸念したために、認可が下りた。また、第二阪神線についても神戸市内における路線建設を巡って都市計画との兼ね合いから紛糾が起こったが、結局は地下線の計画で妥結した。
1932年(昭和7年)1月11日、大日名古屋(この時大日金鯱から改称)~大津琵琶湖湖畔(後の新大津)~烏丸四条~大日京都間が開業する。これに伴い、京阪の保有する京津線が平行線となるため廃止され、石山線の浜大津駅は大津琵琶湖湖畔駅へ統合されることとなった。翌2月3日には天神橋~梅田(京阪の未成線である梅田線の活用)~千鳥橋~三宮~兵庫~西代間も開業し、接続した山陽電気鉄道を大日が統合、これによって静岡~姫路間が直通可能となった。
そして、東京への進出と山陽方面の延伸を計画する。東京方面への延伸は、東京横浜電鉄(東横)がターミナルを築いていた渋谷駅が妥当とされ、玉川電気鉄道(玉電)を買収してそれを高規格化し、更に西へ延伸することにした。玉電は1937年(昭和12年)7月7日に、東横総帥の五島慶太との確執がありながらも大日への合併に成功、そして静岡~三島~沼津~御殿場~平塚~綾瀬~大和~二子玉川の免許も合併直後の1937年(昭和12年)9月1日に収得、更に東京市が保有していた地下鉄免許の譲渡も受け、東京駅地下までの建設も行う事になった。西への延伸はそれとは別に推し進められ、1935年(昭和10年)4月に岡山、1938年(昭和13年)11月に広島、1942年(昭和17年)には下関までの延伸を見た。
東京延伸線の完成は1940年(昭和15年)1月15日、遂に日本の二大都市間を結ぶ第二幹線が完成した。東京~大阪間は特急で所要6時間50分、東京~広島間は11時間55分で結ばれた。この年は皇紀2600年にあたり、聖地巡礼が奨励されていたこともあって、大日は大阪電気軌道(大軌)などとも提携し、参拝客輸送に大きく貢献した。下関への延伸後、朝鮮半島へのトンネル開削による北京・昭南進出も目論んだが、これは実現していない。
太平洋戦争勃発後、大日本線は軍事輸送の面でも活用されることとなるが、戦争末期の空襲などで甚大な被害を受けた。戦後、第二関門トンネル開削と筑豊電気鉄道の買収により、博多への延伸を目論み、1970年(昭和45年)に大日博多駅まで開業させている。
また、明石海峡大橋・瀬戸大橋を経由して徳島・高松に至る路線も画策し、1999年(平成11年)に舞子~洲本~鳴門~徳島~高松~岡山間を全通させた。
その他の建設路線としては、成田空港への連絡を狙った成田新線(1981年開通)、北陸方面への進出を狙った北陸新線(1977年開通)などがある。建設の一方で、高度成長期以降は航空機や自動車など他種交通機関に対する競合対策から、既存線区の高速化(高規格新線の貼り付け)も推し進められ、2007年(平成19年)現在では330km/h運転が行われている。これらの高規格新線は、北陸新線などと共に高速運転が可能な「新しい」・「幹線」ということで、「新幹線」と呼ばれるようになった。この既存線に部分的に高速運行が可能な路線を順次貼り付けていく手法は日本国外にも広く用いられ、結果としてはTGVやICEなどの高速鉄道を生む契機ともなった。
大阪市交通局谷町線の起点である大日駅は、戦前に市営モンロー主義をとった大阪市に対し、市内縦貫鉄道への足がかりとして建設されたものであったが、計画が頓挫し、一部着手されていた地下線は交通局に引き継がれた。野田阪神駅と並ぶ、公営地下鉄の駅名に民鉄の名前が使われるという珍しい例になっている。
保有路線概要
編集- 大日本線 東京~大日博多 1121.5km
- 南四国線 大垂水~大日徳島 75.5km
- 北四国線 岡山~大日徳島 159.8km
- 成田線 東京~成田空港 68.9km
- 北陸南線 大日大津~富山中央
- 北陸北線 大日秋田~富山中央
- 第二関越線 大日新宿~新潟
- 箱根線 北山北~小田原
- 伊豆線 三島~南下田
- 静岡市内線 大日静岡~大日清水
- 東海道新線 渋谷~西名古屋、大日佐屋~京都、高槻市~新大阪
- 京都接続線 京都~高槻市
- 山陽新線 新大阪~西博多
- 出雲線 北赤穂~新鳥取~東出雲
- 志筑朔日線 大日渋谷~西池袋
- 馬架線 玉川~横浜地下
路線主要駅
編集- 大日本線
- 東海道新線
- 渋谷-横浜港都-小田原-熱海-三島-太郎-富士-本静岡-掛川-新浜松-西豊橋-名古屋分岐、北名古屋-桑名-南草津-新大津-東山、西向町-新大阪
- 志筑朔日線
- 大日渋谷-原流行ノ宿-新日本帝都ノ宿-高田婆-目ヲ点似白-西池袋
- 馬架線
- 玉川-有為(うい)-木経(きへ)-低亜(ていあ)-横浜地下
主要列車
編集新幹線
編集- 「富士」 大日東京~大日博多 日29往復(特別一等車連結)
- 「金鯱」 大日東京~大日名古屋 日5往復
- 「通天閣」 大日東京~大阪梅田 日15往復
- 「やましろ」 大日東京~四条河原町 日2往復(特別一等車連結)
- 「四国」 大日東京・大阪梅田~高松 日30往復
- 「関門」 大日名古屋・大阪梅田~大日博多 日10往復
- 「八雲」 四条河原町~東出雲 日11往復
- 「北陸」 大阪梅田~新潟 日15往復
- 「越後」 大日新宿(新日本帝都ノ宿)~新潟 日30往復
- 「太郎」 太郎~富山中央 日50往復(特別一等車連結)
在来線
編集この記事の中身は嘘っぱちでデタラメです。
ジョークは楽しむためものです。本気にしないでください。