Wikipedia:井戸端/subj/出演作品の出典について

出演作品の出典について

編集

どうも、こんにちは。私の質問に対して、みなさんの意見を聞かせてください。お願い致します。

喜多村英梨さんの記事で利用者:180.48.5.37さんが、出演作品の出典を除去しているのを私が差し戻して注意を促したところ、こんな意見を返してきました。

  • 他の芸能人の記事には出典がない
  • 発売済のものには出典を付ける必要はない。放送済のもの・発売済のものに出典を付けなければいけないという決まりはないし、放送された時点・発売された時点で検証可能性は満たされている。出典を付けるために差し戻す行為をしないでほしい。
  • 出典を付けなければならないというのはあなたの一方的な解釈である

Wikipediaに出典は義務ですよね? でも180.48.5.37さんの意見は、出演作品に出典を付けるのは間違っているということになります。私の行為は間違っているのでしょうか。--香辛料会話2012年7月28日 (土) 02:01 (UTC)[返信]

アニメ放送後、即声優記事に役名を加筆していく人がいるので公表されているものか区別するために出典は必要ではないでしょうか。--多摩に暇人会話2012年7月28日 (土) 02:31 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性に例外の規定はありませんから、あらゆる情報に出典は必要です。極端に明らかな事実に関して出典記載の手間を省くことは許容されるかもしれませんが、すでにある出典を除去する理由にはなりません(それに、声優の出演経歴がそれほどに明らかな事実とは思いません)。読みやすさの観点から細かすぎる出典明記を嫌う考えもあるようですが、これは出典の記載方法を工夫して解決するべき問題で、出典を除去する理由にはなりません。--Trca会話2012年7月28日 (土) 03:49 (UTC)[返信]
  コメント もちろんあらゆる情報についてできるだけ出典は明記すべきであり、それを除去する行為は記事の品質を下げるだけで、多くの場合無意味どころか有害な行為と言えるのではないでしょうか。ただしweb出典がリンク切れとなった場合、長期的には除去が検討される場合はございますし(代替出典を求める意味でそれなりに長期間、そのままリンク切れを宣伝しておくのが良い様です)、また信頼できる情報源と見なせない出典については相応の処置を行う必要がございますことは確かですため、一応ご留意ください。念のため。まずは当該記事のノートおよび当該IPの会話ページで井戸端へのご案内を行っておくとよろしいでしょう。--Hman会話2012年7月28日 (土) 09:20 (UTC)[返信]
  コメント一般論としては出典の提示は必要ですが、問題になっている部分は作品としての別途のWikipedia記事が存在し、且つ、そちらの記事には著作権情報は完備している状態です。つまり内部に二次情報が存在する三次情報あるいは関連項目リストにまで出典表記が必須かどうかという話になります。言い換えると、引用における出典とは親子関係を明示するものであり、子より子孫の関係の出典情報(孫や曾孫)は、必ずしも親に明示しなくても、親子の引用の出典(この場合はWikipediaの内部リンク)が明示されていれば、ふつうの出典提示の慣習からすれば、十分なようにも考えます。したがいまして、当該プロジェクトやポータル等でご検討された方が良いと考えます。--あら金会話2012年7月28日 (土) 10:04 (UTC)[返信]

作品リストや出演リストについては日本語版だけでなく英語版Wikipediaにおいても事実を羅列するため、個別に出典を記載しないのが一般的です。フォーマットに従い事実を必要十分にシンプルに記載することが好ましいと考えられています。

放送が終了した後の放送内で明記された情報は意見ではなく事実です。 意見や事実についてはWikipedia:信頼できる情報源の用語やWikipedia:中立的な観点を参照願います。 事実は検証が可能であり、論争の余地のない主張であるため単なる意見のように扱うべきではありません。 本来は事実を記載する出演リストに放送前の出演情報が記載されることがありますが、こちらは事実ではなく意見であるため検証可能性を満たすため(意見を事実として記載するため)には特別に出典が必要とされます。放送終了後は意見の元となった出典(出演するタイトル、役名と出演者名が記載された記事等)のみでは意見についての事実を検証は出来ますが、実際に出演したかどうかの事実を検証することは出来ませんから参考資料としては使用できますが事実の出典としては相応しくなくなったため、利用者:180.48.5.37さんは削除した方が良いと考えられたと推測されます。

作品リストの在り方としてWikipedia:指示の肥大化を避けるKISSの原則に従いフォーマットに合わせて事実をシンプルに記載し、冗長にしない方が良いと思います。もちろん補足や例外など理解を助けるために脚注や出典を記載されることは良いことです。 出典の削除についても出典や脚注の信頼性や記述内容を精査し、問題のある出典や脚注であれば削除しても問題はないでしょう。 香辛料さんの仰っている作品リストに個別出典が必要か否かについては作品リストのフォーマットや扱い方の問題でもありますので個別により大きなプロジェクトで提案された方が宜しいかと思われます。--ブローノ会話2012年7月28日 (土) 12:36 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」は、本文中で「何某によれば、何々である」「何某は何々と主張している」といった記述をする際に注意するべき内容であり、出典の要不要を判断するための注意ではありません。単なる事実であっても、ウィキペディアの記事はその事実を何に依拠して記載しているのかを明確にする必要があります(Wikipedia:検証可能性)。この検証可能性における検証とは、その事実を利用者個人が直接に確認することではなく、記述が適切な情報源に基づいていることの検証です。過去に放送された閲覧困難な番組に関する記述であっても、信頼できる情報源によってある声優が出演したことが論争の余地なく確認できる場合には、意見ではなく事実として記載するべきです。
記事を読みやすくするための工夫は必要ですが、だからといって出典がいらないことにはなりません。今回のケースであれば、ref group機能で脚注をまとめる、作品リスト冒頭に「以下のリストは個別に明記のない限り何々に基づく」と記載する、general referenceを使う等の方法を使って簡略化することは検討に値しますが、出典を単に除去するのは論外です。ついでに、Wikipedia:指示の肥大化を避けるは方針等のプロジェクト文書に関する私論であり、記事内容を定めるものではありません。
なお信頼性やリンク切れを理由に出典を除去する場合には、無出典のままにするのではなく、{{要出典}}等に置き換えるのが適切だと思います。--Trca会話2012年7月28日 (土) 13:26 (UTC)[返信]
  コメントIPユーザーの方の言い分は正しいとは思いますが、やってることは無茶でしょう。「必要がない」と「削除しなければならない」とは、意味が全然違いますから。「必要がない(けど別にあっても構わない)」というはずですけど。必要がないというのは、この場合、出演した作品のクレジットや公式サイト(つまり、一次資料)で出演の有無を確認できるからですね。一般的にはわざわざ出典はつけないと思います。ただ、件の記事のように出演したすべての作品を無差別にリストアップすることにはあまり意義が感じられないです。WP:IINFOなのであって、百科事典的でなく単なるデータベースになってしまっています。こういうときは第三者言及(二次資料)の有無で、記事にわざわざ載せるべきかどうかを判断するという手もあるのでは。--Bugandhoney会話2012年7月29日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
WP:PSTSには『分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。』とあり、WP:Vには『記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。』と書かれています。これを、一次資料に基づいて記述して良い場合もあるが出典となる一次資料は明示しなければならない、と私は理解しています。Wikipedia日本語版の現状は、一次資料を基にした独自研究が疑われる記述への対応が優先されており、解釈を伴わない記述への出典追記が追いついていないだけだと思います。
Bugandhoneyさんは「出演した作品のクレジットや公式サイト(つまり、一次資料)で出演の有無を確認できるからですね。一般的にはわざわざ出典はつけないと思います。」と書かれています。一次資料に基づく記述に出典を付ける必要は無い、ということですね。利用者:180.48.5.37さん、ブローノさんも(除去すべきかどうかという違いはありますが)同様のお考えのようです。
上記方針からすると、このお考えは明らかに間違いでしょう。
しかしこの誤解はさほど珍しいものでは無いようで、別の記事で一次資料による出典を除去し外部リンクに移動されたのを知り編集した方にその根拠をお尋ねしましたが明確な御回答を頂けないでいます(利用者‐会話:Cross-j#コメント依頼のお知らせ)。そこでBugandhoneyさんにお教えいただきたいのですが、どのような理路をもってして"一次資料に基づいた記述に出典は不要である"という結論に至ったのでしょうか?方針文書に誤読を誘う曖昧な点があるのならば改善の余地があると思います。--Ujmtfc会話2012年7月30日 (月) 09:29 (UTC)[返信]
意味が分からないです。書き方が悪かったかもしれないですけど、"一次資料に基づいた記述に出典は不要である"というのは、その作品(一次資料)そのものに関する記事のことです。ウィキペディアには、WP:PLOTSUMのような、一次資料を元にした記述に関するガイドラインがあり、あらすじは通常、作品そのものを出典にして執筆されます。その場合、作品そのものが出典であることは自明ですから、通常出典は明記しません(複数巻に分かれているような長い作品は別です)。さらに、映画作品の記事であれば出演者をリストアップするということもよく行われていますが、この場合も出典は付けません。DVDパッケージなど、作品に出てくるクレジットで出演が確認できる限り。DVDパッケージに書いてあったとか、エンドロールに名前が出てきたとか、出典を明記しようとすればできますけど、ほとんど意味がないからでしょう。出典が必要になってくるのは、カメオ出演などでクレジットが確認できない(けどウィキペディア編集者が出演に気付いた)といった場合になると思います。この井戸端のトピックでは、記事主題は作品ではなくてそれに出演した声優なので、このような事態にはそのまま当てはまらないですが、それでも、作品そのものに当たれば出演した事実が容易に確認できるのであれば、出典を明記することにはほとんど意味がないです。たとえば、ガイ・ピアースの出演作リストに『英国王のスピーチ』が入ってますが、「出典は映画『英国王のスピーチ』」と書こうと思えば書けますけど、意味がほとんどないから行われていません。--Bugandhoney会話2012年7月30日 (月) 14:53 (UTC)[返信]
ちなみに、「利用者‐会話:Cross-j#コメント依頼のお知らせ」も見ましたけど、更新されて元の内容が確認できなくなったからと、出典になっていたURLを削除するのはだめです。なんら問題ないと書いている編集者がいましたけど、大いに問題ありです。他の人がその記述を検証するための手がかりがなくなってしまいますので。このケースは厳密にはリンク切れには当たりませんが、WP:DEADREFに従って、リンク切れの修復、それが不能な場合は記述そのものを削除するべきです。公式サイトを「外部リンク」節に書き出すというのは検証可能性とは直接関係のない、ウィキペディアの単なる習慣だと思います。WP:ELYESにあるとおりです。この場合は記事本文にある出典としての外部リンクと「外部リンク」節にある公式サイトとしての外部リンクとして重複しても構いません(と英語版には書いてあったはず)。--Bugandhoney会話) 2012年7月30日 (月) 17:43 (UTC)(さらに追記)すいません。日本語版にもありました。公式サイトは参考文献節と外部リンク節に重複掲載してもよいというガイドラインはWP:ELDUPです。--Bugandhoney会話2012年7月30日 (月) 21:15 (UTC)[返信]
Bugandhoneyさん、「作品そのものに当たれば出演した事実が容易に確認できるのであれば、出典を明記することにはほとんど意味がないです。」ということですね。御返答頂き有難う御座いました。
Wikipedia:あらすじの書き方は承知していました。インテキストでの参照を例示(「第一章では・・・」「第三話以降では・・・」)していますが、参照が必須と受け取られる書き方はしていませんね。うっかりしていました。"あらすじを除いて"と限定しておくべきでした、ごめんなさい。
しかし私は、やはり、(あらすじを除いて)出典となる一次資料は明示しなければならないと考えています。一次情報は単一では無いからです。Bugandhoneyさんが挙げられた一次資料は、公式サイト・DVDパッケージに書いてあった・エンドロールに名前が出てきた、と複数にわたります。それ以外にも作者/制作スタッフへのインタビュー記事、作者/制作スタッフが作品について記述したエッセイなども作品を解説するうえで重要な一次資料です。もちろん作品本編も一次資料です。実際のところ、百科事典に収録されるような特筆性ある作品の場合、一次資料は沢山有り、全部でいくつあるのかを把握することは困難です。複数ある一次資料のどれかに基いて記述するがその資料を明記することはしない、という編集方針は検証可能性を満たすものとは言えません。
もちろん広く知られている常識的なことであれば、わざわざ出典を提示することに意味はありません。しかしガイ・ピアースが『英国王のスピーチ』に出演していることは"空が青い"ことと同程度に知られていますか?そうでないのならば出典を提示すべきでしょう。「意味がない」なんてことはないです。--Ujmtfc会話2012年8月9日 (木) 09:23 (UTC)[返信]
すいません。書き方が悪かったです。出典の明記が省略されている、と書いたほうが正確でした。ガイ・ピアースが『英国王のスピーチ』に出演したことは映画『英国王のスピーチ』で確認できます。つまり、出典は(一次資料である)映画『英国王のスピーチ』です(ウィキペディアでは動画も出典になりえます)。「出典は2010年の映画『英国王のスピーチ』」と出典を明記することもできますが、ウィキペディアの記事『英国王のスピーチ』ではそれを行うことにあまり意味がありません。出典が記事主題そのものであることは自明なので。ガイ・ピアースの記事では微妙です。「出典はガイ・ピアース」とはなりませんから。この場合は、二次資料を用いて、出演の経緯やその作品への出演が彼のキャリアに与えた影響などを記述するほうが好ましいと思いますが、それを省略して出演作品リストに載せるだけだとしてもあまり問題になることはないと思います(ガイ・ピアースが『英国王のスピーチ』に出演したことを確認するのは簡単なので)。一方、『アイアンマン3』を見ると、ガイ・ピアースはこれにも出演したと書いてあります。これは変な話です。『アイアンマン3』はまだ公開されてませんから、ピアースの出演を確認することができませんので。この場合は二次資料による出典が必要であり、Iron Man 3では実際そうなっています。映画が公開されるとこれらの二次資料の出典は取り除かれます(Ex. Iron Man 2 )。一見出典が明記されなくなったかのよう見えますが、これは出典が二次資料から一次資料の映画そのものへと置き換わり、明記することが省略された、ということです。英語版の映画記事では「あらすじ」でも同じことが起きます。The Dark Knight RisesのPlotを公開前の版と見比べてください。二次資料だと明記した上で記述されていた制作側が発表した断片的なストーリーが、映画公開後には映画そのもの(一次資料)を出典とした充実したものへと変化しており、出典の明記は省略されています。Ujmtfcさんが問題視していたガンダムAGEでの編集もこの線で理解されるとよいと思います。つまり、公開前の製作側の資料による断片的な記述を、公開後に作品そのものを出典として充実させる、ということです。この場合、作品そのものを主題にした記事では出典の明記を省略するのが一般的です(シリーズものの場合はどのエピソードが対応しているのか明記したほうが好ましいです)。一次資料が記事主題そのものではない場合はこの限りではなく、出典の明記が必要です。たとえば、例に出ていた製作スタッフのエピソードが作品のDVDに収録されていた場合、いつどこから発売されたDVDなのか明記する必要があります(DVDはエディションによって編集が大きく異なることがありますので)。--Bugandhoney会話2012年8月9日 (木) 19:05 (UTC)[返信]
作品リストの記載についてはガイドライン等により標準的な記載方法となっており、統一された書式として使用されているページは非常に多いです。日本語版のWikipedia:作品リストでは方針またはガイドラインとして提案中ですが参考にされている方は多いと思います。英語版のガイドラインとなっているen:Wikipedia:Manual_of_Style/Lists_of_worksに従って書かれた作品リストに個別出典がないからといって検証可能性を満たせない、無出典であるといった考えは間違いだと思います。
現状の作品リストのフォーマットに従っている場合は特殊なケースを除き、作品の一次資料を出典として必要十分な情報の明記がされており、検証可能性を満たせていると考えられます。そのガイドラインに従った記載は推奨されており、参考にすべきページとして紹介もされています。多くの人がプロジェクトで話し合い合意に至った内容として尊重すべきだと思います。--ブローノ会話2012年8月11日 (土) 22:59 (UTC)[返信]
一般的にはそれでいいと思いますけど、個別の記事でそういう原則が当てはまるかどうかも重要だと思います。ガイ・ピアースの記事に関しては、外部リンクにあるIMDbという外部文献で簡単に出演作品リストを確認することができますが、喜多村英梨さんに関してはその限りではないです。これはウィキペディア編集者が作成したリストであることは明らかなのであって、中にはウィキペディアの記事になっていない作品、ゲームの主要ではない役柄なども含まれています。試しにいくつかチェックしてみましたが、公式サイトでも出演の事実が確認できないものがありました。これでは検証可能性を満たしているとは言えないでしょう。英語版ガイドラインは作品リストの検証可能性に関して、Complete lists of works, appropriately sourced to reliable scholarship (WP:V), are encouraged, particularly when such lists are not already freely available on the internet.と書いてあります。ゲームなどの細かな出演作品リストはどちらかというとこの範疇に含まれるかなあと。--Bugandhoney会話2012年8月13日 (月) 21:31 (UTC)[返信]
検証可能性はあくまで検証が可能か否かであって、Wikipedia:検証可能性のアクセシビリティの項目に「この検証可能性の原則は文献へのアクセスが容易でなければならないことを意味するものではありません。」と記載があるように検証可能性は検証が容易かどうかで判断するべきではないと思います。作品リストに記載がある場合において言えば、記載されているその作品を検証可能であれば問題なく、販売元や開発した企業が公開されているゲームは信頼出来る情報源として扱っても問題ないと考えられますので英語版ガイドラインの内容に反していないと考えられます。--ブローノ会話2012年8月18日 (土) 13:06 (UTC)[返信]
ゲーム自体が信頼できる情報源になるんですかね...。いちおうWP:RSには「マルティメディアも含まれる」とは書いてありますけど。あるいは、何の文献にも書いてなくて、ゲームをプレイしなければ確認できないようなことをわざわざウィキペディアの記事に書く必要があるのでしょうか。公式サイトの役名のところに記事とは異なる声優が書いてあったら(喜多村英梨でランダムにピックした作品の一つがそうでした)、単純に言ってウィキペディアの記事が間違っているか、公式サイト以外の資料(たとえばそのゲーム?)で確認できる(けどなぜか公式サイトには別人が載っている)ということだと思いますけど。この場合は出典を明記しなければならないと思いますけど。--Bugandhoney会話2012年8月24日 (金) 21:32 (UTC)[返信]
  コメントWikipedia:検証可能性はウィキペディア三大方針のひとつです。「この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」と宣言されているものです。記事の編集活動や読者による利用上において出典の記載は極めて有用でありますし、他の編集者が労力(時には経費がかかるものも)をかけて調査して記載している出典情報を一方的に除去することは極めて不適切ではないかと思います。
たとえば、喜多村英梨#ディスコグラフィの一覧中、「天使爛漫 Love Power」の歌手名義にキャラ名が記載されていますが、アルバムでのクレジットはユニット名の "瀬戸花えんじぇるず" だったはずですよね(「未来へGo」の方はちゃんと "DEKABANCHO" になっているのに)。それがどのような資料に基づいてその記載内容になっているのか、それが何かしらの資料に基づく正確な情報なのか、それとも単なる誤記なのか、この記述に対する出典が示されていないためこれでは読者側で判断がつきません。
『フレッシュプリキュア! ボーカルアルバム2 ~笑顔のおくりもの~』の「Dreaming Flowers」の歌手も正確には "キュアベリー(喜多村英梨)" ではなく "キュアフレッシュ! & 飯塚雅弓(as ミユキ)" のはずですが(「Let's! フレッシュプリキュア! 〜Hybrid ver.〜 for the Movie」の方はちゃんと "茂家瑞季 & キュアフレッシュ!" になってるのに)、情報源が示されていないとどこまでが信頼できる情報なのか、どういう意図でそういう表記になっているのか、あるいは単なる表記上の齟齬なのか、これもつぶさに見分けがつきません。
あるいは「ありがとうがいっぱい(映画version)」("キュア・レインボーズ with プリキュアオールスターズ21")は歴代プリキュア声優がコーラス参加している楽曲で喜多村さんの名前もクレジットされていますが、記事の一覧にはありません。これが何かしら資料に基づく線引きで省いてあるのか、編集者の独自判断で省いたのか、それともこの楽曲の情報も一覧に書き加えてよいのか、きちんと出典が提示されていないと他の編集者・読者には適切な判断材料が無い状態です。
そもそも出典なしの加筆がOKだとしたら『瀬戸の花嫁 歌謡全集 任侠篇』の収録曲「Love Hearts」(歌手名義 "cookie")も記載して良いのか?ということになります。声は桑谷夏子さんと喜多村さんに間違いないと思いますが、しかしアルバムの歌詞カードなどに名前のクレジットは無いので客観的な検証手段は提示できません。つまりウィキペディアの運用スタイル上、「単純にそれが事実かどうか」ではなく「第三者が記事上で検証可能かどうか」ということを基準に据える必要があり、出典の記載が大きな役割を持つわけです。--ディー・エム会話2012年7月29日 (日) 07:53 (UTC)[返信]
〈追記〉そういえば『とらドラ! BEST ALBUM √HAPPYEND』の「恋クラゲ」も抜けてる。などと、自分が編集ミス連発の注意力散漫体質なのを棚に上げて他の人の間違いを偉そうに指摘してる場合じゃないのですが……とにかく単純なリストデータだから大丈夫だろうとたかをくくらず、できるだけ情報源を示して多くの人の目でチェックをして頂ければ。--ディー・エム会話2012年7月29日 (日) 09:06 (UTC)[返信]
  コメント 迷惑者の LTA:HAT を調子づかせるようなことは仰らんで下さい…… このままディー・エム氏の話題を進めると、あれの靴下がやってきて、きっと収拾がつかなくなりますよ。--Starchild1884会話2012年7月29日 (日) 22:39 (UTC)[返信]
すみません。なぜかたまたま部屋にCDがあったのでつい。まだ事情がよくわかってないので誰に言っていいのかわからないですが、とにかく、どうか調子づかないで下さい。--ディー・エム会話2012年7月30日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
  コメント 出典が作品本体であった場合、検証可能性自体に変化はないかもしれませんが、「作品自体(一次資料)を根拠に記述した、という出典を特定する情報の欠落」、「出典の表記を含めて執筆者の著作であり、正当な理由(ここにいちゃもんが付けられているわけですが)なく編集除去すべきでない」という意味で、削除不当。出典が二次資料であれば、検証可能性を毀損する行為であることは明らか。腹を立てる必要もなく、落ち着いた気持ちで、淡々とリバートしてよいでしょう。分からず屋なのか愉快犯なのか確信犯なのかは判じかねますが、がっぷり四つに組んで議論する方が生産性の無い労力となるのではないでしょうか。--ジャコウネズミ会話2012年7月30日 (月) 00:56 (UTC)[返信]

このトピックは香辛料さんの問題提起で始まり最初は出典の記載が必要とのコメントが集まったのですが、8月になってからも出典が必要だと主張しているのは私だけです。他の方々は「出典が必要」との主張を諦らめて議論を離脱し、編集経験の少ない私だけがいつまでも「納得」しないという状態に陥っているのではないかと不安になっています。しかしWikipediaの方針・ガイドラインおよびそれらのノートページを調査したのでもう少し意見を表明したいと思います。

  1. Wikipedia:検証可能性#方針には一次資料は出典明示の例外とするという規定はありません
  2. Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#結論には(一次資料を含む)すべての情報源を明示するよう規定されています(英語版にも同様の文言があります)
  3. 「一次資料に基づく記述に出典の提示は不要」と主張される編集者は存在します(そう主張するに至った根拠は不明)
  4. 前項の「一次資料に基づく記述に出典の提示は不要」という主張が認められ、合意に至った議論を見つけることはできませんでした(もしどこかに合意があったとしても、ローカルな合意では方針とガイドラインを覆すことはできません

よって本トピックの最初に示された利用者:180.48.5.37さんの意見は誤りで、香辛料さんの理解が正しいです。

Bugandhoneyさんが幾つかの実例を示されたように、現状では一次資料に基づく記述に出典の示されていない記事は多数あります。これはWikipediaが百科事典として未完成の状態にあるためです。逆に言えばフィクション関連の記事はまだまだ出典の追記が必要であり、私のような新規参入者にも編集の余地が沢山残されているということですね。

このような検証可能性を充実させる編集を実施する過程で(香辛料さんのように)「一次資料に基づく記述に出典の提示は不要」と主張される編集者さんと出会うことは充分に予想されます。そのような場合はWikipedia:検証可能性#方針Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#結論を御案内し、粘り強く説得して検証可能性を充実させる編集者の仲間を増やしていく、ということが望ましいでしょう。どうしても納得して頂けずに出典を追記した版をリバートされる場合は、その記事への出典追加を諦めて他の記事の充実に励んだほうが良いでしょう。(今は検証可能性が満たされなくても、将来Wikipediaの完成度が上がれば出典の追記が受け入れられます)--Ujmtfc会話2012年8月27日 (月) 22:59 (UTC)[返信]

そういう理解でいいと思いますよ。WP:Vはウィキペディアの原則なので。ただまあ、どれだけRigorousに出典をつけるかというのは、記事主題や記述の性質にも拠りますよね。BLPには事細かに出典をつけることが求められますけど、スタブ記事はそうではないです。そういう意味では出典をどれだけ付け加えるかは編集者の裁量にゆだねられている部分もあるとは思います。一次資料が記事主題そのものである場合は、出典の明記を省略することが合理的な場合もあります(例外的だとは思いますが)。日本語版では私の知る限り、一次資料に基づく記述には出典を明記しなくてもよい、などというガイドラインはないですが、英語版にはあります。(en:WP:FILMPLOT: Since the film is the primary source and the infobox provides details about the film, citing the film explicitly in the plot summary's section is not necessary.)(強調引用者、仮訳:「あらすじ」節の中ではその映画自体が主要な情報源であり、インフォボックスにはその映画に関する詳細な情報が明記されているので、「あらすじ」節にはその映画が出典であることを明示する必要はありません。)
あと英語版だと、en:WP:CHALLENGEも参考になるかなと。他の編集者が出典が必要だと考える記述、ないしそうだと判断しそうな記述には出典を必ずつけるということです。(逆にいうと、誰もが出典が必要だと思わないような記述には出典がなくてもよいということでしょうが。)誰かに「出典を付けてください!」と言われたにも関わらず、「出典を明記する必要はない」などというのでは正当ではないでしょうね。個別の記事で議論がうまくいかないときは、諦める代わりにコメント依頼に出すことをお勧めします。関わる編集者の数が多ければ多いほど、議論は妥当な線に落ち着きますので。--Bugandhoney会話2012年8月28日 (火) 13:14 (UTC)[返信]