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仕切りたがり屋が多いことについて。wikiの私物化
編集誰でも参加できるのは結構なことだが、仕切りたがりが多いように思えてならない。 たいていどこのページも、一人かもしくはごく少数の人物で完全に仕切られていると思われる。自分の意に沿うかどうか常に見張っていて、意に沿わないような書き込みならあっさり削除。仕切りたがり屋は、自分は正しいと思っている。 実際、「坂本龍馬」とか「相対性理論」とか「タイガーウッズ」とか、誰かが何かを書き込んだとして、残るのか? 残らないだろう? 仕切りたがり屋に、即効で削除されるはずだ。 管理人というのは、人格が人並みの平均と比べて、一ミリたりとも優れているわけじゃない。好きだからやっているにすぎず、2chでもそうだが、だいたいにして自分の胸先三寸で恣意的に仕切っている。 ダイオキシンにしてもだな、日本人はみんなダイオキシンは毒だと思わされているが、実際、ダイオキシンの被害者はいない。マスコミの嘘報道で完全にだまされているのだが、wikiのダイオキシンページでは、まるであたかもダイオキシンは毒であるかのようにしか思えない書き方が成されている。 日本人は、マスコミにだまされている。そういう重要な事実をトップに書きたくてもだな、どうせ仕切りたがりが存在しているので、俺が書き込んでも即効で削除されるだろう。 まぁノートに書き込んだ内容に誰も反論つけないようなら、俺がトップに書いてやるが、どうせ消されるんだろうな。 --123.227.108.163 2010年1月30日 (土) 16:18 (UTC)署名って何だよ。やり方わかんねぇよ
- (123.227.108.163さんの履歴を見る限りですが)議論もせずにそう判断するのは拙速過ぎませんか。仕切るとかそういう話に飛躍するのではなく、Wikipedia:論争の解決に従ってノートページなどで合意形成をするべきでしょう。ただし、ノートでの議論が既に行われていて記事での取り決め(ローカルルール)が定められている場合もありますので、その場合はまずローカルルールに目を通し(それが形成される議論の経緯まで読んでおくと尚良し)、変えるべきならばローカルルール改訂の提案をすればいいわけです(ダイオキシンの件は123.227.108.163さんが合意形成をすればいい事ですし、ごく普通の意見衝突レベルの問題だと思います)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年1月30日 (土) 17:26 (UTC)
その通り、議論もせずに決め付けるのは早すぎる。俺がwikiに書き込むのは、このアドレスでの書き込みが最初じゃないよ。そりゃそーだろ。いくらなんでも、書き込んだ経験もなしに、言えることじゃないからね。書き込んだ経験に基づいて、言っているわけだ。たった今、アカウントとやらを、作ってみたよ。--言葉の断片 2010年1月30日 (土) 17:40 (UTC)
- それは失礼いたしました。ただ、過去の「書き込んだ経験」でどの程度議論されたか存じませんが、仮にこの記事の場合はこうだった、あの記事の場合はああだったと事例を例示して考えてみると、結局は合意形成やその結果はケースバイケースであって、この場で総括的な結論を出す事は出来ないのではないかと思います。言葉の断片さんが感じている「仕切り行為」について紐解いて検証してみると、記事によってその「仕切る」(と感じられている)行為・内容はさまざまで、一つの結論で片付くようには思えません。問題であると感じるならば、やはり各記事のノートなどで根気よく解決した方が適切な気がします。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年1月30日 (土) 18:25 (UTC)
- 記事の私物化は良く見ますね。程度の低い人ならまだしも現実の情報アクセス能力が高い人(蔵書が多い等)の場合はどうしようもありません。結局は専門性への情熱や能力の比較・競争になりますので、根本的に間違った編集方針・編集態度でもないかぎり放置するしかないですね。もっとも、こういうことはWikipediaに限ったお話しじゃないですよ。ヌシがいるので品質が保たれている記事もあるわけですし。--大和屋敷 2010年1月30日 (土) 19:05 (UTC)「空気嫁」的な編集者がヌシになってる記事も複数知っていますが、結局はこちらとの能力勝負になるわけでして、リアルな話ですが。ネットの匿名性を離れて現実社会の利害関係を考慮した上で「なんとかしなければならない」ような事態(名誉や著作権など)でもないかぎり、編集に関与することをあきらめるのもまた一つの態度かも知れません。そんなたいそうなモノでもないですよWikipediaは。--大和屋敷 2010年1月30日 (土) 19:11 (UTC)
- ダイオキシンについては私も少し疑問かなと思うところがあります。しかし、やはりそうであるならば文献を挙げなければなりません。
- ダイオキシンについて疑問を提示している人は結構いると思いますし、彼らの意見を書くことは可能ではないでしょうか?
- もし削除されたとしても、これこれこういう文献にこういう意見が載っているのを書いただけだ、と言えば向こうも無断で消す理由はないんじゃないでしょうか。
- そして、正当な理由がないにも関わらず削除し続けるような「記事の監視者」がいたならば、ブロック依頼をするという方法もあります。
- 私も、提案のテンプレートを貼ったら勝手に消された経験があります。あまりに腹が立ったのでもうその項目は見ないようにしていますが・・--グラン 2010年1月30日 (土) 20:27 (UTC)
- 私もグランさんの意見に同意します。どんな項目であれ、出典の明記された文章は除去されるはずがありません。まずは(クールダウンも兼ねて)図書館にでも行ってみるのが最良かと。--めいじろ 2010年1月30日 (土) 23:24 (UTC)
独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。 そのような定義は見たことがありません。「信頼できる媒体」とは何のことですか」『大人先生伝』を老子について語っているとはどこの信頼できる媒体を根拠にしているのですか。『大人先生伝』の原文のどこに老子のことが書かれていますか?あなたは『大人先生伝』の原文を読まれたことはないですね。信頼できる媒体もあなたも間違っています。Wikipediaの意義が分かりません。学者が書いた百科事典が信頼できる媒体ならその百科辞典をコピーして貼り付ければすむことではないですか。ナンセンスなことだ。--安川幸男 2010年1月31日 (日) 02:22 (UTC)
私も大和屋敷さんと似たような認識を持っています。そういう人がいたときは、コメント依頼とかで援軍を求める手もありますが、最も楽なのはとりあえず放置して、1年なり3年なり5年なり10年なり後に再訪してみることです。運がよければその仕切っていた人がウィキペディアに飽きて去っているかもしれませんから、そのときゆっくり編集しなおせばいいのです。心強いデータを挙げますと、少なくとも現時点までには、飽きることなくウィキペディアの編集に10年以上携わった人は存在しません(笑)--114.145.183.12 2010年1月31日 (日) 02:32 (UTC)
- すぐ上の2つの書き込みは、議論の流れを妨害するために意図的に書き込まれたものでしょうか?
- そうではないなら、安川幸男さんには、もう少し謙虚にウィキペディアについて趣旨を理解する努力をして頂きたいと思いますし、具体的に阮籍の記述に問題があるとお考えなら、「要出典」を貼るといった作業をして頂きたいと思います。
- また、IPさんの書き込みは、ウィキペディアの歴史が10年に足りないものでしかないことを踏まえた冗談なのでしょうが、IPでこのような書き込みをするのは、無責任な印象を与えるのではないかと思います。--山田晴通 2010年1月31日 (日) 03:38 (UTC)
- どれが冗談でどれが冗談じゃないとか宣言するのは野暮なのでいやなのですが、念のため。私の上の発言で冗談なのは最後の一文だけであり、残りの部分はいたってまじめにこの節の議論に参加しているつもりです。--114.145.183.12 2010年1月31日 (日) 03:59 (UTC)
- 10年前からこんな話してるんですね。10年後も全く状況は変わっていないし、飽きずに仕切っている人は存在するのが現実でした。次の10年後を楽しみに待ちましょう。59.190.151.74 2021年11月23日 (火) 23:49 (UTC)
予想に反して、まともな議論になってる。自分が挙げた議題が的外れではなさそうだ、というのは結構なことなのだが、つまるところ、対策は無いということになる。掲示板やサイトによって、モラルは異なる。最善はwikiのモラルが向上することなのだが、不特定多数が集まればモラルは人並みの平均になるし、mixiのように自分のIDにモラルが求められるわけでもない。自分の発言に責任が伴わない限り、どんなに変な理屈を言い張っても本人は互角に議論をしている気でいる。言い返せなくなれば、無視を決め込み、結局管理することは止めないし、反省もしない。私は誰かと議論をして、合意に達することがあるなどと考えていない。議論というものは、自説の押し付け合いだ。だってそりゃそうだろう。国会で誰かと誰かが合意に達しているところを見たことは無いし、朝まで生テレでも、学者同士が議論をして合意しているとこも見たことは無い。自分の考えが間違っていても、人はそれを指摘されて認めるという屈辱を拒否する。俺もナローバンド時代から掲示板で書き込みをしているが、真剣に議論をし始めた奴らがどうなるかと言えば、たいていは喧嘩別れだ。公正な議論ができる人間といえば、自分とソクラテスぐらいしかいないのではないかと思ってるぐらいだ。とりあえず、ダイオキシンページでは、事前に相手のモラルを喚起してみる戦術を取ってみるが、おそらく無駄だろう。どうせ相手を100%説得できなければ俺の書き込みは削除されるに違いないし、100%説得することは、不可能だ。--言葉の断片 2010年1月31日 (日) 11:32 (UTC)
- そこまで悲観しなくてもいいのでは。言葉の断片さんが仰る「自説の押しつけ」というのは(一寸きつい表現な気もしますが)まさにその通りだと思います。ただ、私の経験からコメントさせていただくと、確かに折り合いがつかずに喧嘩別れしたり、泥沼化して議論停滞する事もありますが、意見交換をすることで互いの説を補い合って結論に行きつくこと(「折衷」とも言う)もあります。相手の意見から、自説では分からなかった問題点や見方を発見できる事もあるので、一度相手の意見を咀嚼し自説と照らし合わせてこれはこう、あれはああと言ったように反論や検討をして(当然相手も同じことをして)最善策を導くのが合意形成ではないでしょうか(基本的に合意形成とはそのようなもので、相手が自説を取り下げたならともかく、自説100%の合意など稀というか理想論と考えていますし、説得とは自説の押しつけに限る事ではないと思います)。基本的に後述する「相手に負けたくない」と考えない方とは折衷できると思います。
- あとは各人の意識の違いでしょう。「自分の考えが間違っていても、人はそれを指摘されて認めるという屈辱を拒否する」というのは(心情的に)誰もが考える尤もな事でしょう。しかし、(国会とか生テレとかはともかく)Wikipediaの議論においてそのような感情を持ったまま参加されるのはどうかとも思います。それは既に「正しい結論を主張したい」ではなく「相手に負けたくない」というレベルに堕落した、一種の手段の目的化とも言える不毛な議論です(内容如何によっては方針『Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しない』に抵触する行為です)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年1月31日 (日) 15:26 (UTC)
- そもそも今回のケースは議論をする必要性すらないのではないでしょうか。なぜなら、「ダイオキシンが有害である」ことと「ダイオキシンが無害である」ということは同一項目内に共存しうるからです。(もちろん、どちらの情報も根拠が必要)
- 「ただし、毒性に懐疑的な研究者もいる。有毒説、無毒説参照」
- 根本的解決にはなりませんが、このような記述をダイオキシンの一番上にでも加えるのが、言葉の断片さんの要望に最も叶うものと思います。参考までに。--めいじろ 2010年1月31日 (日) 15:41 (UTC)
- 朝まで生テレビなんて娯楽番組なのですから、あんなものを参考にするべきではないでしょう。国会中継は見ていると悲しくなってきますが。まあ、実際ウィキペディアでは、50%説得できれば、50%内容が残るということもありうると考えます。また、自分だけが公正に議論できるとか、自分のモラルが絶対に正しいとか、もしそういう風に考えるのであれば、相手を見下すものであり、それも独善的な態度といえるのではないでしょうか?つまり、単に相手に成り代わって自分が仕切りたいだけ、という意識があることを否定できるでしょうか?
- また ノート:ダイオキシン類 での書き込みですが、あのように、いきなり相手に難癖をつけるのはいかがなものかと思います。けんか腰の態度では、議論がうまくいかないのは明らかなのではないでしょうか?ウィキペディアには様々なルールがあり、それに従えばたいていの場合うまくいくようにできているはずです。困ったときには、まずそれらを参照すべきでしょう。この場合 Wikipedia:記事の所有権 があって記事の私有物化は否定されています。が、一度反論されただけでいきなりそれを持ち出すのは、いかがなものかと思います。
- --Calvero 2010年1月31日 (日) 16:26 (UTC)
コメント検証可能性のルールがあるので、Wikipedia以外で執筆者以外の見解をもとにした記述しかWikipediaへ加筆できないのが原則と存じます(ダイオキシンの提案のことを言っています)。なので検証可能性を提示されないご提案については議論の仕様がありません。ダイオキシンが毒性物質であるという根拠はダイオキシン類対策特別措置法という法律の存在です。法令で毒性物質として取り扱うと定義されているので私説でもなんでもなく国策です。--あら金 2010年1月31日 (日) 15:45 (UTC)
- そういう法律があり取り締まられているということと、ダイオキシンが実際どの程度の毒性を持っているかということとは、全く関係がないことなんじゃないんでしょーか(ぎろっと睨む)。
- ダイオキシン類が盛大に社会問題になっている頃から、おれは「疫学的・統計的データとして、ダイオキシンの発がん性は立証されておらず、ダイオキシンで死んだやつがいるという立証もない」と主張してきていたのですが、「ない、ということの証明」はむずかしくて頭抱えてました。法律あたりが無駄に安全側に倒すなんて普通にあることなんで、法があるなんてことは危険性の立証にはならんと思います。
- 記事に書いてモメゴト引き起こそうとは思いませんが、ダイオキシン類って実に多様なものがあったりして、どれがどのように毒性があるかとかを突き止めるのはかなり厄介です。枯葉作戦あたりにおける催畸形性あたりにしても、どの成分がどのように影響したのかは突き止められていません。ついでにダイオキシンは、試薬として使えるレベルの精製をしようと思ったら重量比でダイヤモンドなんかくらべものにならないくらい高価なものになってしまいそうであり、毒性研究をするにしてもコストパフォーマンスが悪くてやってらんないもののような気もいたします。
- 無駄に危機感を煽るスタイルの環境屋ならとにかく、真面目に根拠を探して説明をしようと思う場合には、ダイオキシンってほんっと頭が痛くなるような厄介な存在なんすよ(ためいき)。あんまし安易に毒性があるとかないとか言わない方がいいんじゃないかと思う。もちろん安易に「安全である」とか言っても、それは同じくらいにお馬鹿なんですけどね。--Nekosuki600 2010年1月31日 (日) 16:07 (UTC)
- コメント かつて立川涼が「ダイオキシン類は高温焼却で分解できるからそうすべし」と唱えたときには「環境屋」から批判を受けました。また中西準子がリスク論を唱えたときにも「環境屋」から批判を受けました。ただ「環境屋」が間違っていたのは、「彼らはダイオキシン類の有害性を無視している」と考えたことだけなのね。彼らは有害性を無視も軽視もしていなかった。ところが「反環境屋」は、彼らの所論までをも論拠にして「それみろダイオキシン類が有害だなんてデマだ」と言い立てる。まったく、ダイオキシンだの温室効果ガスだのの問題って、頭が痛くなるような厄介な存在ですね。 --Hatukanezumi 2010年2月1日 (月) 15:14 (UTC)
あら金、って名前が見えるのは、ここで議論をする気になったということでいいのか? だがはっきり言って、ここで議論をするのは筋違いだぞ。するなら向こうでしなければ、こっちが脱線する。分かってるのか? あんたは向こうで反論しなければならない。返答する気があるならな。ここで返答するのは、不自然だ。けどまぁいい。脱線することを承知で1回書こう。まず最初に言う。議論をする上でのルールというか、極めて根源的な理屈だ。「『無い』ことは証明できない」。ダイオキシンで被害が出ていないという文献を、俺が探してくるのか? だが、無い、ってことを証明している文献なんてものは、どこにもない。世の中のあらゆる患者のデータを引っ張り出してきて、ここにも記録が無い、ここにも記録が無い、という風に俺が虱潰しに確認して、その膨大なデータを掲示するのか? 不可能だ。証明する義務があるのは、常に、「ある」「である」と主張する側だ。そうでなければ、議論は成り立たない。俺は以前、キリスト教の布教をしている輩と議論をしたが、俺が神を否定したとき、一言そいつが言った。「では、神はいないということを証明してください」。不可能だろが。んなこと。ダイオキシン問題に関して言えば、証明はできないが、どう考えても人間に被害者がいないのはほぼ確実だ。ダイオキシン問題は、マスコミの過剰報道によって、証明する側が逆転してしまっているのだ。もとより、証明する義務を負うのは、毒性がある、と主張する側だ。動物実験ではなく、現実に、人間相手に! はっきり被害がでている、ということを証明するべきだ。それが筋だ。ところが実態は、ダイオキシンに弱そうなねずみにすら、被害者ならぬ被害鼠はいまい。「あら金」なる人物に言いたいが、あんたはダイオキシンに関してこだわるあまり、そういう根源的な理屈を守ることができていない。「実験で毒性があるというデータがでました」。「法律ではちゃんと毒物だと明記されています」そんな理屈は、完全に理論武装だぞ。現実に、被害者が出ていないことについて、あんたはどう思っているんだ。あんたは実は、俺の疑問にまだ一度も返答していないんだよ。関係ない数字や、後付で造られた意味の無い権威を持ち出しているだけだ。あんたにモラルがあるならば、「研究室ではこうなってます」「法律はこうなってます」じゃなくて、「実際にはっきりこうなってます」と議論してくれ。学者やジャーナリストに限ったことじゃない、人前で自分の意見を語るには、そういう矜持があるべきだろう。法律なんて、どう考えても無意味な法律や、悪法はやまほどあるぞ。人と議論をするときに、「法律はこうなってます」と言う輩がたまにはいるが、はっきり言って下劣だ。相手の質問に対して、ちゃんとした返答を返してくれ。あんたはさぞやデータが好きらしいから、俺よりも遥かに権威のある人物を持ち出してみるならば、「武田邦彦」「和田功」といった人物がいるぞ。ダイオキシンは無害だと唱えてらっしゃるようだ。学者の間では、ダイオキシンが無害、少なくとも恐るるに足らずということは、常識っぽいんじゃないのか? あんた、こんな一般人が集う場所じゃなくて、学者が100人集っている討論会の場でも、ダイオキシンは毒だ、と言えるのか? あんたがwikiでダイオキシンは毒だ、と言っていられるのは、ここが責任を負わないですむ場だからじゃないのか。俺の主張はこうだ。繰り返すぞ。ダイオキシンは、まったく恐れるような物質ではない。現実に被害者もいない。だが日本人は、明らかにこの物質を間違って認識している。wikiでダイオキシンを取り上げるとするならば、物質の性質をあれこれ書く前に、「一般人は、この物質のことを大きく勘違いしています」と明記することこそ、一番重要なことではないのか? ある程度の毒性があるということは、この際認めてやってもいい。そんな些細なことよりも、人に知らしめる事柄には、優先順位があるだろう。--言葉の断片 2010年1月31日 (日) 19:07 (UTC)
- 言葉の断片さんの思想信条感想に論評をつけるほど私は下品ではないうえ、とりあえずは無意味なことは誤解の元なので上記の内容についてはコメントする予定はありません。つまり議論の対象は検証可能な事実です。記事では毒性について具体的な数値で示されているので、検証可能な事実とはその本文の具体的な数値と比較できる新事実をここではなくノートへご提示くださいということです。--あら金 2010年1月31日 (日) 19:42 (UTC)
- ダイオキシンが物騒だということに相応の理由があるならとりあえず出ないように願いたいですね。--大和屋敷 2010年1月31日 (日) 19:28 (UTC)
あんた相変わらず、人の意見に一切付き合わないのな。いるよ。あんたみたいなのがネットにいくらでも。典型的に、自分の正しさだけを主張しようとする輩だ。けど、議論の基本は、相手の言っていることに返答する、という、子供でも分かる理屈だ。あんたが俺の言っていることに一切返答しようとしないのに、俺だけ返答しないといけないのか?「議論は検証可能」「毒だというデータが出ている」というあんたの理屈ばかりに。あんたさぁ、まず、俺が先に質問したんだから、俺の質問のほうに具体的に答えてくれよ。しかもあんたが今言ったことは、とても拙劣だ。「議論は検証可能」については、そもそも、それが不可能な場合があることを、これ以上はないほど明瞭に説明したはずだがな。目がついていないのか? あんた。「毒だというデータがはっきり出ている」に関しては、全面的に認めよう。で、その実験データ通りの被害が、自然界で生物相手に出ているのか? そこを聞いているんじゃないか。答えてくれ。ここで答えない、というなら、向こうに行こうか。これ以上はここで書くのはやめようか。けど、あんた、また返答が早すぎる。多分異常だよ、あんた。--言葉の断片 2010年1月31日 (日) 20:08 (UTC)
- このページ(井戸端)は、ウィキペディア日本語版について、「運営」や「方針」、「新しいアイディア」や「作業の仕方」、「その他様々なことで質問や提案、議論、意見交換を行なう」場所です。ウィキペディア日本語版、もしくはウィキメディア・プロジェクトと「関係のない話題」を投稿するのはご遠慮ください。--大和屋敷 2010年1月31日 (日) 20:47 (UTC)
- ◆上の話、議論としては分かりますよ。知識が無いのに仕切りたがる人はいます。しかしダイオキシン類のノートで言葉の断片さんが書かれている「ダイオキシンに毒性が無い」というのは端的に言って間違いです。「ヒトに対して今まで考えられていたほどには毒性が無い」というだけのことです。なるほどダイオキシンを摂取して死んだ人がいない以上、人に対する致死量は分からないわけだけれど、日本公衆衛生協会というところの情報によれば、1.6 mg相当を体内に吸収した女性が(命に別状はなかったとはいえ)かなりの健康被害があったと書かれている。ダイオキシンは猛毒なのかというページによれば2mgを食べた人がやはり健康被害にあっている。これって結構な毒性だと思いますよ。「毒性が無い」とおっしゃるなら、「これだけ摂取しても健康被害は無かった」というデータも出せるはずであり、それを示さずに議論するのは科学的ではない。--Freetrashbox 2010年1月31日 (日) 22:00 (UTC)
- 他の方も仰っていますが、ここでは「仕切りたがり屋」の件について意見がある場合にコメントするべき場所だと思います。ダイオキシン類について、仕切りたがりの事例として挙げる程度ならともかく、ダイオキシンそのものの話題(有害無害の話)をするのは場違いです。その類の話はノート:ダイオキシン類で行うべきです。ここでは両者の意見衝突の内容(有害か無害か)ではなく(というか、一記事の話題を井戸端でやるのはあまりよろしくない)両者の意見衝突の態度(合意形成の仕方など)の視点から議論すべきではないでしょうか。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年2月1日 (月) 09:11 (UTC)追記--ButuCC+Mtp 2010年2月1日 (月) 09:17 (UTC)
以後、ダイオキシンに関しては、向こうで発言するので、経過が知りたい者は向こうに言ってくれ。freetrashboxへの返答も向こうで行う。--言葉の断片 2010年2月1日 (月) 13:14 (UTC)
一応は、ノートでの議論が収束した。つまるところ、何の合意にも達しておらず、そもそも、ほとんど何の意味も無い議論だった。
俺はこれから、ノートから離れて本ページのほうを修正する作業に入る。でも結局、書いた端から誰かが消していくのかな。あら金あたりが、普段から用意している別IDを使って。いくらなんでも今作りたてのIDじゃぁ、あいつに疑惑が向くからな。普段からそれだけの容易はしていることだろう。
そして、書いた端から誰かが消すことについて、ノートに俺がコメントをつけてみても、反応は返ってきそうにないように思える。
なんか、トトカルチョでもできてしまいそうだ。俺の修正は残るのか? 残らないのか? どっちなんだ? はらたいらさんに、3000点だな。--言葉の断片 2010年2月4日 (木) 14:04 (UTC)
- 出典がしっかりしていて、公式な方針に違反せず、記事のバランスを崩さない記述であれば誰も削除しませんよ。もし、それでも削除されるのでしたらご一報下さい。--akane700 2010年2月4日 (木) 14:13 (UTC)
さっそく削除されたぞ。電光石火の早業だ。あら金だろうなぁ。自ら率先してノートに書いてるぐらいだ。
まさにぴったり私物化してるんだが、あいつ……。
俺がこれまでにwikiで書いた文章、何も残ってないよ……。そんな大量に書いたわけでもないが。
あいつ、「実際にダイオキシン被害が出ていないという事実にたいしてどう思ってるんだ」などなど、俺が何を何度聞いても無視して答えないくせに、俺のほうが議論を無視していると主張しているんだが。
「ダイオキシン類」のノートを読めば、俺とあいつと、どっちが議論を無視しているのか、一目瞭然だぞ。
俺はこういう編集合戦とか、ブロック申請合戦とか、やったことないのでね。誰か応援を求めたいもんだが。--言葉の断片 2010年2月4日 (木) 16:38 (UTC)
- コメントそれよりも記事を書くことが先決です、と思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月5日 (金) 06:15 (UTC)
あ~。敗北宣言だ。
何をどうしようが、返答しない連中相手に何言ってもしょうがない。管理人も返答しないんだからしょうがない。何をどうしようが、俺の書き込みは機械的に削除してくれることだろう。
労力を投入する気にならなくなった。
ダイオキシンページは、あのままでよい。みなさ~ん、ダイオキシンは猛毒です。異論はありません。何かを燃やせばたいてい発生するため、毎日の料理でも街中の歩いていても、人間はダイオキシンに汚染されています。それでもやっぱり注意しないといけない猛毒らしいです。おさわがせしましたね。どうも。ダイオキシンページが、wikiが信用を損なう象徴としてのページとして、反映しますように。
以上、負け犬の遠吠えだ。--言葉の断片 2010年2月8日 (月) 10:38 (UTC)
- お疲れ様です、大変でしょう。ダイオキシンは有害性もありますが多分有害性に着目した報道過熱による誤認識があるときわめて個人的に思うため、その点は正したほうがいいと思われますね。CO2報道とエコ宣伝に似たものを感じます。労力を投入する気にさせなくするのもある意味「仕切りたがり派」の「知の集結」ですから、冷静な視点を失わず、冷静な議論を心掛けたいものです。ちなみに、かなり個人的にはダイオキシンに詳しくないし興味が沸かない為、議論参加は控えたいと現時点では考えています。お力添えになれず申し訳∀ありません。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月10日 (水) 16:40 (UTC)