Wikipedia:井戸端/subj/人文科学系の記事において、特定の説を「トンデモ説」として排除することについて
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人文科学系の記事において、特定の説を「トンデモ説」として排除することについて
編集人文科学系の記事において、記事の主題に対し、複数の異なる意見・説が唱えられているときに、一方を「トンデモ説」であるとして排除(しようと)することの妥当性について、多くのユーザーの方からご意見を頂きたいと思い、こちらで話題提起させていただきました。
この話題提起には、きっかけがあります。こちらのコメント依頼や、日中戦争#中国勢力の犠牲者数などもご参照いただければ幸いです。
上述のケースに限らず、多くの記事でこれまでも発生したようなケースであろうかと思います。
自然科学系の記事の場合は、例えば「アインシュタインの相対性理論は間違っている」など、過去の実験と研究の過程で「トンデモ説」と学術的に認定された学説を、他の学説と同等に扱って記載する事は好ましくないでしょう。しかし、人文科学系の記事の場合、その学説が「トンデモ説」であると認定することは、自然科学系の記事に比べて難しいと思われます。
事実関係や、現在広く流布されている学説・情報について論争がある項目において、一方の説(主流でない説?)を、出典がない、独自研究である、などの理由ではなく、出典があるにもかかわらず、ウィキペディアのユーザーが「トンデモ説」(または「右派の言論」)と認定することは、ウィキペディアにおいて妥当性がある行為と言えるのでしょうか?
以下の二点について、皆様のコメントを頂ければと思います。
- 人文科学系の記事において、特定の意見・学説を、ウィキペディアのユーザーが(個人的に)「トンデモ説」と認定して排除しようとする行為の妥当性について。
- ウィキペディアの記事において、いわゆる「右派」の立場から発信された情報(出典)を記事から排除する行為の妥当性について。
よろしくお願いいたします。--Rienzi(会話) 2013年2月7日 (木) 05:28 (UTC)
- コメント 掲載基準に思想は全く関係なく、出典が何かでしょう(誰が言って、どこが発表しているのか)。釈迦に説法でしょうが、トンデモ説だと指摘されたのであれば、より強力な出典とするのも論争を避ける1つの手段かもしれません。なお、第2次世界大戦(こう書けば中立です)での日本、原発などは、赤旗やチャンネル桜だけでなく産経は勿論、読売・朝日・毎日などの大手でも温度差が大きいので、「読売新聞によれば~」とした方が良いでしょうね。なお自然科学でさえ、創造科学や原発推進団体の主張など、私の基準でトンデモ説が多々掲載されていますが、出典が「専門の学者の意見」なので、機械的に削除はできません。--JapaneseA(会話) 2013年2月7日 (木) 06:26 (UTC)誤字修正--JapaneseA(会話) 2013年2月7日 (木) 14:47 (UTC)
- コメント 「認定」や「右派」と断ずることに出典がないのであれば、排除は出来ないと思います。人文科学系の説であっても、九州王朝説の過去の合意のように、出典を付した上で、複数の研究者から批判され研究史をまとめた学術書で一切の言及がないことを冒頭で明記するとしたものもあります。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年2月7日 (木) 08:35 (UTC)
- コメント 対立するいくつかの意見があって、そのそれぞれに出典があるとき原則的には排除は出来ないでしょう。しかし、対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すこと、言い換えれば、ある「説」が記事の主題に関する諸説のなかのひとつとしてどのような重みを持っているかを誤認させるような書き方をすることも、同時に否定されています。したがって記事全体のバランスとの関係で、ある「説」を記述するだけでもそうした誤認を生じさせるのであれば、書く必要はありません。WP:NPOVでは「対立する説を排除するな」という点ばかりが強調されます(間違いではない)が、その逆に排除しないことも場合によっては否定されていると考えます。--ikedat76(会話) 2013年2月7日 (木) 10:56 (UTC)
- 折角なのでIkedat76さんに便乗すると、もしトンデモ認定に信頼のおける出典があるのであれば、疑似科学と科学を対等に扱うのかってことですよね。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年2月7日 (木) 12:18 (UTC)
- 「全て論争をフェアに説明する」(Wikipedia:中立的な観点/FAQ#疑似科学と科学を対等に扱うのか)ですね。もうひとつ、ついでのおまけにウィキペディアがどんな偏った見方を提供すべきかについては論争すべきではありません。「親日」「反日」「親北(中・韓)」「親北(中・韓)」「右派」「左派」、何だって構いませんが、どんな立場に偏るべきかなどというのはまったく話になりません。--ikedat76(会話) 2013年2月7日 (木) 12:37 (UTC)
- 折角なのでIkedat76さんに便乗すると、もしトンデモ認定に信頼のおける出典があるのであれば、疑似科学と科学を対等に扱うのかってことですよね。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年2月7日 (木) 12:18 (UTC)
コメント インデント戻します。Rienziです。皆様、コメントいただきまして、本当にありがとうございます。Wikipedia:中立的な観点に照らして考えたときに、特定の言説を、(外部の出典に基づく記述としてでなく)個人レベルで「トンデモ認定」する事に、妥当性が全くないことがよくわかりました。日中戦争#中国勢力の犠牲者数をめぐって起きたケースに、皆様のコメントを当てはめて考えてみると、当該セクションの「中国側の発表を無批判に受け入れるわけではない」立場からの記述は、記事全体に対する影響力や「重み」のバランスからみて、今後検討は必要でしょうが、現時点では安易に排除すべきものではなさそうです。(むしろ、このケースの場合は「記述しない」ことによって生じる「内容の偏向」のリスクの方が大きいかと・・・)また、記事内容における「偏向」は、思想の左右などを問わず、Wikipediaには相容れないものであることも再確認できました。・・・ところで、ある特定の「説」を「トンデモ認定」して排除しようとする根拠に、著しく「政治的に偏向した立場」の書籍が出典として挙げられている場合は、Wikipedia的にはどう対応すべきなのでしょうか・・・。--Rienzi(会話) 2013年2月7日 (木) 13:51 (UTC)
- smallタグで囲まれた部分については、私のコメントやリンク先をほんとにお読みになった結果とは思えませんでした、と述べるにとどめます。方針に忠実に従うのであれば、どの利用者も「偏向」を云々するのではなく、ウィキペディアにおける「中立的な観点」を気にしなければなりません。論争的な記事というのはあるものですが、当事者たちは、WP:NPOVに「敵のために書く」とあるように、自分の都合や好みを押し通すために方針を引き合いに出すことがどれほど方針の精神からかけ離れているかを理解するべきでしょう。NPOVを、気に入らない意見を排除したり、気に入る意見を過度に押し出したりするために使うのは誤謬以外のなにものでもありません。
- もうひとつ言うと、出典があってもそれが信頼できないものであれば使うべきではありません。歴史の記事での一般論で言いますが、歴史学者なり政治学者なり、あるいは民俗学者や宗教学者でもいいですが、歴史上の出来事に関して専門家として認められた人の書いた文献でない限り、信頼できる情報源ではそもそもないという点は、特に論争的な記事ではいくら注意しても足りないということはないでしょう。WP:NPOVを云々する前に、そもそもの出典が信頼できないものだったら、まずその時点で「それなりの扱い」を与えるべきです。--ikedat76(会話) 2013年2月7日 (木) 14:34 (UTC)
- コメント ikedat76さん、どうも私の読解力が足りなかったようで、大変申し訳ございませんでした。私自身「中立的な観点」よりも「政治的偏向」の方にばかり気を取られていたように思います。出典の信頼性についても、明解なコメントを頂きまして、ありがとうございました。--Rienzi(会話) 2013年2月7日 (木) 14:41 (UTC)
- コメント ・・・すみません。一つ、追加させてください。これまで頂いたコメントから、特定の言説を記事から取り除くべきかどうかは、「政治的に偏向しているかどうか」などという基準ではなく、Wikipedia:中立的な観点(除去が検討される記述が、出典がつけられた記述の場合はWikipedia:信頼出来る情報源も含めて)に当てはめて判断するという事になる、と言うふうに理解していますが、ウィキペディアの方針に基づいて、記事から特定の記述を取り除くかどうかは、ユーザー個人の判断ではなく、当該記事のノートにおける議論の結果(決議)としてなされたほうがよいでしょうか・・・?とても基本的な事柄で、「そんな事を今さらここで訊くな」とお思いになるかもしれませんが、今回の話題提起のきっかけとなったあるユーザーさんは、非常に議論を軽視する傾向があるものですから、あえてここで質問させていただきました。--Rienzi(会話) 2013年2月7日 (木) 15:01 (UTC)
- コメント掲載基準に思想は全く関係なく、出典が何かでしょう(誰が言って、どこが発表しているのか)というJapaneseAさんの言葉に集約されていると思います。記事主題に合わせて、もっとも信頼のできる著者とはどのような人々で、その人たちは自説を発表するためにどのような媒体を選ぶだろうか、ということを常識的に判断すれば、何が信頼できる文献で、何が排除されるべきトンデモなのかはおのずと分かるのではないでしょうか。個人レベルで「トンデモ認定」する事に、妥当性が全くないとありますが、文献の信頼性・妥当性の判断にはウィキペディア編集者による常識的な判断が欠かせません。ウィキペディアの歴史記事においてもっとも信頼のできる著者とは第一に歴史学者になると思いますし、その人たちは自説を発表する場としては査読のある専門誌(歴史学雑誌)や専門書を選ぶのではないでしょうか。それで、日中戦争#中国勢力の犠牲者数ですけど、問題になった一文:
- 日本軍による三光政策や南京事件などにより、中国の住民に多くの犠牲者が出たという見方が存在する[59]。一方、これらは中国側のプロパガンダであり事実ではないする見方もある[60][61][62][63]。
- にこの考え方を当てはめて見ますと、この書き方は中立的とは言えないです。[59]は、山川出版が出した一般向け世界史解説本で著者は『「世界の歴史」編集委員会』となっています。具体的にどういう人たちなのかは調べれらなかったのですが、同書はおそらく歴史学の訓練を受けた人々によるコンセンサスを反映しているのではないかと思われます。後段([60][61][62][63])の著者は、産経新聞教科書問題取材班、藤岡信勝、小林よしのり、黄文雄の各氏が、それぞれ一般全国紙と一般向けの単著として出版した書籍となっています。このうち、歴史学者と呼べるのは黄さんだけで、それ以外の人たちは歴史学について専門的な訓練を受けたわけではないです。ウィキペディアの歴史記事で、歴史学者のコンセンサスを反映した文献と歴史学者によらない、専門的な媒体に発表されたわけでもない文献を同列に並べて比較するのは中立的とはいえません。ラーメン大学名誉教授さんによる書き換えがベストだとは言いませんが。(というか、存命人物に対して、出典もなく「極右」というようなレッテル張りをするのはWP:BLP的には全然だめです。)--Bugandhoney(会話) 2013年2月7日 (木) 16:40 (UTC)
- コメント専門性がある程度高い記事で、その道の専門家でない人物の主張や意見を記載する場合は、件の人物の発言であることが分かるように明示すべきかと思います。著名人の発言で出典があるからといって、専門でないことについて口出ししたことについてまで記載するのは情報の無差別な収集であり、wikipediaの品質を大きく劣化させる行為です。--Takuraman(会話) 2013年2月15日 (金) 13:51 (UTC)
- コメント Rienziです。皆様、コメントいただきましてありがとうございます。出典の信頼性の問題と、ウィキペディア利用者による、存命人物へのレッテル貼りの問題とを、私自身のほうで混同しておりました。出典の信頼性、ということに関しては、日中戦争の記事の例示した記述については、現状のままでも非中立的である可能性が高いということでしたので、今後、当該記事のノートにおいて意見交換が必要かと思われます。専門家が書いた文献と、著名人ではあるものの門外漢が書いた文献を、同列に扱う事がどういう事なのかがよくわかりました。私自身は、普段はクラシック音楽系の記事を執筆していますが、自ら執筆をする際にも、出典の信頼性や扱いの軽重について、これまで以上に慎重でありたいと思います。--Rienzi(会話) 2013年2月20日 (水) 07:28 (UTC)