このページはWikipedia:井戸端での過去の議論などを保存したものです。

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ここでの議論を継続するときにはWikipedia:井戸端にてお願いします。


Interwikiのみの記事

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下記の点につき、広くご意見を賜りたいと思いますのでよろしくおねがいします。T. Nakamura 18:15 2003年12月6日 (UTC)

ノートでの議論

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利用者ページでおっしゃっている4番の趣旨には賛同しますが、ここは、日本語百科事典を作成するサイトですので、Interwikiのみの記事の作成はやめていただけないでしょうか? せめて数行の定義・紹介文だけでも日本語で書いて頂けますようお願いします。参考: Wikipedia:完璧なスタブ記事 Ojigiri 17:57 2003年12月6日 (UTC)

この点に関しては、かねがね広くいろいろな方々の意見を伺う必要があると考えていました。丁度よい機会ですので、井戸端で議論するとよいのではないかと思います。T. Nakamura 18:10 2003年12月6日 (UTC)

その後の議論

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近いうちに執筆しようと思っている記事であれば、最初の数日間ひとことだけだったり、Interwikiだけだったりしても構わないと思います。

ただ、参加者の数や守備範囲などから考えて、Interwikiだけでも張っておけばいずれ誰かがやって来て記事を書いてくれる、というわけにはいかないでしょうね。これはもちろん、記事の主題にもよるわけですが。

それから、Interwikiは、多言語プロジェクトとしてのウィキペディアの重要な機能ですし、文字化けが起きないようにリンクの表記を調整したり、リンク先から日本語版へのリンクを張ったり、といった作業をしている方もいますし。いかに効率的にリンクを張るか、いろいろ工夫の余地があるところだと思います。

そういう、誰でも簡単にできることではないような貢献は、一言だけの記事などよりも重要だと思います。ただ、日本語以外の言語で記事が読めない人にとっては、クリックしてみたら空記事なのでがっかり、ということになると思うので、そういう記事が増えることにはマイナス面もあると思います。

あと、井戸端はページのサイズが大きくなってしまうことや、ログ化も面倒ですし、井戸端BBSで議論するのはどうでしょうか? Tomos 19:21 2003年12月6日 (UTC)

Interwiki作成に意義がないとは言いませんが、だからといって、一分も記事を書かずにスタブ宣言もしない理由には到底成り得ないと思いますが、いかがでしょうか。218.217.38.122 22:29 2003年12月6日 (UTC)
スタブ宣言はしたほうが良いと思います。この点は修正したいと思います。T. Nakamura 00:21 2003年12月7日 (UTC)

Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)で問題提議をしたものです。

スタイルマニュアル (人物伝)の問題点は、英文のルールの和訳をそのまま日本版のルールとしたのが原因でしょう。上のInterwikiの議論も似たような側面があると思います。

私はT. Nakamuraさんが利用者ページの4番で言われることがよくわかります。Ojigiriさんが言われることももっともなことなのですが、現実問題として日本語WIKIPEDIAは特定分野を除いては記事が量的にも質的にも充実してはいません。英語版WIKIPEDIAは日本語版の10倍以上の記事があり、各記事もボリュームあるものが多いです。一足飛びに英語版並みに飛躍するのは無理でしょうから、とりあえずinterwikiを置いておくというのは意味あることと思います。私も初めて記事が空白のものをみたときは戸惑いましたが、英語版に飛んでみると、これが便利なのですね。簡潔な文体で書かれた英文なので、他の海外webサイトよりもはるかに読みやすくわかりやすいです。関連項目へすぐジャンプできるwikiのよさもたっぷりと楽しめます。

もちろん、英語版から和訳して日本語版に移入するとか1から記述するとかすれば、それがベストでしょうけれど、結構な時間とエネルギーと能力が必要です。とりあえず、対応するinterwikiが判明したのであれば、それだけでもまず置く、というのも有益です。

このあたり、英語版の立場を考えてみれば、他に英語版より充実した言語版は現実として存在しないのだから、このような場合(あるいはinterwikiの使われ方)は想定もつかないでしょうから、Wikipedia:完璧なスタブ記事のようなルールが作られるのだと思われます。日本語版には日本語版の事情と特性を考えて運用するのが望ましいと思います。Reds 20:02 2003年12月6日 (UTC)

以上、井戸端から移動


こんにちは。私は、さほど外国語を読めないくせに、interwikiの便利さ・有意義さには大賛成で、interwiki作業をせっせとしております。
ただし、日本語版Wikipediaには日本語で記事を書くというのが大前提です。英語版Wikipediaへのリンク集ではありません。(あちらは日本語版の10倍の記事があるのですよ?) 日本語版で新規記事を起こすのであれば、「数行の定義・紹介文」を「必須とする」くらいの必要を感じています。自分でその数行が書けない人は、その記事を書かないで欲しいのです。
Wikipedia:あなたが精通していること、または学習しようとしていることについて寄稿するに、「たった一文の記事は、作らないでください」とあります。 Yas 23:37 2003年12月6日 (UTC)


以下の記事は、Yasさんの記事を読む前に書いたものなので、その点に関する言及がありませんが、論旨が大きく変わるわけではないので、とりあえず投稿します。T. Nakamura 23:51 2003年12月6日 (UTC)


こちらに移動していただいたようですね。

さて、お二方から貴重なご意見をいただき、どうもありがとうございました。Tomosさんは、数日後に日本語記事を作成することを前提としてであればInterwikiのみの記事もよいだろう、しかし、その後はやはり日本語記事が作成されるべきというご意見、Redsさんは、後日日本語記事を作成する前提がなくとも、Interwikiのみの記事をとりあえずどんどんつくっていってよいのではないかというご意見だったと思います。

結局、Wikipedia:完璧なスタブ記事のルールの改正の要否・解釈・運用の問題に帰着すると思うのですが、その前に、ひとつ指摘しておきたいことがあります。

問題となっているのは、日本語訳の冒頭部分、つまり、「スタブ記事はウィキペディアの池にいるみにくいアヒルの子です。部外者達はそれを笑いのネタにして、ウィキペディアにあるひどい質の情報の暗いコメントを残していきます。ベテランの寄稿者たちは、スタブを邪魔者とよく考えます。スタブ記事の出現により記述されていない記事があるという情報を消してしまうからです。」という部分であると思うのですが、英文の対応する部分は、次のようになっています。

「Stub articles are the ugly ducklings in the Wikipedia pond. Outsiders scoff at them, and make dark comments about the abysmal quality of information to be had on Wikipedia. But they are also seeds for better ones. Every article on Wikipedia, in one way or another, began as a kind of "stub" -- even the City pages added from a US government database were "stubs" which provided a base for editors familiar with these places to elaborate with greater and deeper content.(改行)Some salty veteran contributors may consider stubs a nuisance because they prevent missing coverage from appearing as missing articles.」

つまり、英文では、「But they are also seeds for better ones. Every article on Wikipedia, in one way or another, began as a kind of "stub" -- even the City pages added from a US government database were "stubs" which provided a base for editors familiar with these places to elaborate with greater and deeper content.」という部分が入っています。これが、日本語の方では完全に落ちてしまっています。しかも、「ベテランの寄稿者は・・・と考えます」という部分も、英語では「Some salty veteran contributors may」となっています。ニュアンス的には「ベテランの寄稿者には、・・・・と考える辛辣な方々もいらっしゃるかもしれません」というようなことだったのだと思います。

要するに、英文のほうの「Wikipedia:Perfect stub article」は、スタブ記事一般がダメだということを言っているわけではなく、スタブにはよい面も悪い面もあるということをいっているのだと思います。だから、そのあとでどういう記事がよいスタブであり、どういうのが悪いスタブであるか、という話になるわけです。ちなみに、この側面は、ドイツ語の「de:Wikipedia:Stubs」ではますます強調されています。

ドイツ語版の冒頭・二段落目 「Stubs haben ihre Vor- und ihre Nachteile. Die Vorteile uberwiegen, je mehr Information in dem kurzen Artikel steckt.」(スタブには、メリットもデメリットもあります。短い記事の中に含まれる情報が多ければ多いほど、メリットのほうが勝ります)

ドイツ語版の目次

  1. 例 Beispiele
  2. デメリット Nachteile
  3. メリット Vorteile
  4. どのような場合にスタブは成長するか? Wann wachsen Stubs?
  5. それではスタブとどう付き合うか? Wie also umgehen mit Stubs?
  6. 正しい(真の・良い)スタブはどのようなものか? Wie sieht ein richtiger (echter, guter) Stub aus?

これらを総合的に考えると、スタブに関する注意書きには、スタブをつくるなという命題は入っていないと考えるのが妥当ですし、また、スタブに対する否定的なニュアンスもないと考えるのが妥当でしょう。まずはこの点を確認しておく必要があります。

この次に、各国語版の記事は、どのようなスタブがよく、どのようなスタブが悪いのかという点を検討するわけですが、この点、「英語版でそうだからといって、日本語版にもそれが最適だとは限らない」というRedsさんのご意見はまことに傾聴に値するものだと思います。そこで、とりあえず今のルールに拘束されずに、上のお二人のご意見も含めて考えてみます。そうすると、Interwikiのみの記事を置くメリットとしては、①質・量ともに勝る英語版などの外国語版から情報を取得できるようになる、②執筆が容易になる、の二点がありますが、逆に、Interwikiのみの記事を置くデメリットとしては、見た場合に一瞬戸惑うことくらいしか考えられません(外国語を読めない方が情報にアクセスできないのは、赤リンクでも同じ)。つまり、Interwikiを作成するのは、有益にこそなれ、有害にはほとんどならないと思われます。これ以降は、メリットとデメリットの検討をもう少し続けると議論が煮詰まってくるのではないでしょうか。 T. Nakamura 23:51 2003年12月6日 (UTC)

さて、Yasさんのご意見についてですが、確かにWikipedia:あなたが精通していること、または学習しようとしていることについて寄稿するのルールからは、「Interwikiのみの記事」は問題になりそうです。しかし、そもそもこのルールも英語版からの翻訳のようですが、英語版には、冒頭に「Both of these guidelines are controversial.」(いずれのガイドラインについても争いがあります)と書かれています(これは日本語版では落ちています)。ですから、このルールを出発点として議論を立てることはできず、その実質的な理由を溯って示す必要があります。

付け加えますが、わたしはいまいち「日本語のみの記事にInterwikiを付けるのはいいが、Interwikiのみの記事に日本語をつけるのはダメだ」という考えがよくわかりません。どんな本でも論文でも、最初に参考文献リストできて、そのあと内容が書かれるわけで、それと同じに考えれば、むしろ「Interwikiのみの記事に日本語を付けるのは、日本語の記事にInterwikiを付けるという流れよりも自然である」と思うわけです。T. Nakamura 00:01 2003年12月7日 (UTC)

スタブ記事の是非の話になってしまうと議論がずれてしまう心配があります。
良いスタブ記事なら歓迎です。「interwikiのみの記事」はスタブ記事とも言えない、それ以前のものだと思っています。(「スタブ記事の決まり文句」も無い、「明確なトピックと正確な定義もしくは記述」がない。それ以前に日本語がないのですから。) たぶん、書かれた方にもスタブ記事という意図も無いのではないのではないかと思っていました。
Wikipedia:完璧なスタブ記事には、「反論を書くことなどなしで、できる限りこのガイダンスに従って下さい。一般的に、最も短いスタブにでも、二つのセンテンスが必要です。ただし、それら二つは「良い」センテンスでなければなりません。(そして、もしあなたが二つの良いセンテンスを書くためのトピックを十分に知らないのであれば、スタブ記事を書こうなどと決して考えてはなりません。)余分な時間と集中力が必要となりますが、ダメな記事になるよりも、高い確率で、何かを作り上げるきっかけになるという成果を上げるでしょう。 」とありますよ。
「interwikiだけではなく、日本語を書いて欲しい」というお願いは、せめてスタブ記事としてくれ、ということです。日本語を書きたくない理由がわかりません。 Yas 00:35 2003年12月7日 (UTC)

論点のずれのご心配はもっともですが、中の問題は共通だと思うので、長文を書かせてください。育つスタブが多数あるのは事実ですし、スタブを育てる方法を考えるのも大切でしょう。その点には賛成します。しかし、ウィキペディアの内部ではそう言えても、利用者の立場からは別の見方があるはずです。

一般利用者にとっては、スタブは「騙された」という気持ちにさせられるものです。私は自分で記事を書きはじめる前に、何度もこれに「騙され」、苛立ちを感じました。今はなんとも思いませんが、それは私がウィキペディアンだからです。

必要があって調べる人は、メールの中のスパムを厭うように、ウィキペディアの中のスタブを厭うのではないでしょうか。どちらも一つ一つはたいした損になりませんが、数が多いと苛々します。

グーグルで検索した人に、日本語版ウィキペディア経由でのinterwikiを勧めることは、善意であっても騙していることにならないでしょうか。ウィキペディア内部からの利用者にとって、赤リンクはそこに記事がないことを示す情報なのに、スタブ記事はその情報を消し去ります。少数の利用者はinterwikiから数秒の検索時間短縮を稼ぎ出すかもしれませんが、かわりに多数の利用者が数秒の時間を奪われます。

とはいえ、人はスタブを書いてしまうものです。駆除より育成に意を用いるべきです。しかしベテランに書いてほしいものではありません。Interwikiは記事の質を高める一筆ですから、既存記事へのinterwiki付加は大いに歓迎します。Kinori 00:56 2003年12月7日 (UTC)

私の意図が正確には伝わらなかったようですね。私の発言の意図はYasさんとだいたい一緒です。
他言語版から該当記事を探し出してinterwikiを作成する能力をお持ちなら、日本語で数文の定義・説明文を書くのはたやすいことではないのか?その程度のこともできない理由はなんでしょうか?ということです。そして、interwikiのみの記事は、日本語表記もないわけで、Wikipedia:完璧なスタブ記事が要求する「スタブ記事」の水準にすら達していないではないのか(つまり、interwikiのみの記事は「スタブ記事」とも呼べないのではないか)?ということです。Ojigiri 05:27 2003年12月7日 (UTC)

「リンク記事」決り文句の暫定案

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既存するルールを重視するか、存在する便益を重視するか、で意見が分かれるようですね。私の意見は後者です。interwikiを付加できるが、簡潔な一文説明が作れない人もいるでしょう(長文説明より一文説明の方が難しい場合もある)。そのような際に記事作成を排除するべきではないと考えます。的外れの日本語のなにがしかの説明が入って逆に混乱させる場合もないとは限りませんし。

されどYasさんやOjigiriさんが言われることももっともです。「スタブ記事」の定義からは外れています。そこで提案をします。新しい状況には新しい項目を立てればよいでしょう。

interwikiしかないものは、「スタブ記事」ではなく、「リンク記事」とします。あるいは「interwiki記事」。注意書きの決り文句には「スタブ記事」のものを使わず、別の「リンク記事」用のものを新たに作り、それを付加します。これで、interwikiしかない記事を排除することもなく、またinterwikiしかない記事をみたときに戸惑わせることもない解決策だと思います。

「リンク記事」の決り文句の案:
この記事には、まだ日本語の説明文ができていません。しかし海外版WIKIPEDIAには充実した説明が掲載されています。海外版の記事をみるには、記事の上の「他の言語: Dansk | Deutsch | English | Esperanto | Francais | Nederlands | Polski | Portugues | Slovensko | Svenska」などとある言語名をクリックしてください。

Reds 05:54 2003年12月7日 (UTC)

私はその提案には反対です。interwikiのみでなくただの一文がなぜ書けないのかと疑問に思います。もしその一文が書けないのであればその記事は「その時点」の「その人」が書く必要はないのではないかと考えます。
もしinterwikiのみの記事の存在を積極的に許すとしたら、wikipediaはすべての書かれる記事が最初に用意されている事典に変化するのではないでしょうか?
また日本語の記事としては適切でなく、つまり日本語記事では立てようがなく書きようもない、他言語だから初めて成立するという記事まで立ってしまうように思います。(利用者:yas/2のことが頭に浮かびます。)これらの理由から私は決り文句をつけることに関係なくinterwikiのみの記事を作ることに反対します。
一文も書けない例を提示していただければ意見を変えるかもしれませんが。tanuki_Z 06:18 2003年12月7日 (UTC)
現実に状況としてあるものをどう対処するかの視点で考えてみてください。私の暫定提案に反対ということは、
  1. 「リンク記事」でも従前通り「スタブ記事」の決り文句を付加することができるように、既存の「スタブ記事」の定義を書き換える。
  2. 「リンク記事」は禁止する。といっても新規の記事作成は防ぎようがないので、「リンク記事」が出現しだいに削除依頼をだす。同時に書き込んだ利用者にノートで叱責する。
このようなどちらかになってしまうでしょうが、どちらもあまり建設的ではないように思われますね。Reds 06:42 2003年12月7日 (UTC)
私は「積極的にinterwikiのみの記事を肯定する」ことに反対で決り文句をつけるぐらいなら見つけ次第できるだけ一文を書くという対処方でいいのではと思います。書き込んだ利用者を叱責するというよりはその利用者が定着次第「interwikiだけでなく、せめて一文の定義を書いてくださいませんか?」とお願いする形になると思います。tanuki_Z 06:57 2003年12月7日 (UTC)

皆さん、いろいろなご意見ありがとうございました。わたしは、Redsさんの建設的なご意見がよいと思いました。

「Interwikiのみの記事」に反対する方々のご意見ですが、お気持ちは良く分かるのですが、どうも前提に違いがあるようです。「Interwiki のみの記事よりは、スタブ記事を書け」ということのようですが、ここには、「Interwikiよりもスタブ記事のほうが優れている」という前提があるようです。しかし本当にそうか? Kinoriさんがおっしゃっていたように、「そこに記事がないことを示す情報」を示すことが大事だとすれば、むしろスタブ記事こそ忌むべき存在なのではないでしょうか。「Interwikiのみの記事」というのは、クリックすれば、明らかにこれから書かなければならない記事だとわかりますが、スタブ記事ではある種の安心感を与えてしまいます。この安心感があるから、スタブ記事は発展の可能性を殺いでしまうのではないかとわたしは考えるわけです。そうであれば、むしろ、Interwikiのみの方がよい。がっかりする人も多いでしょうが、それならちょっとInterwiki を辿ってみようと考える人もいるでしょうし、それなら記事を書いてみようと思う人も出てくるかもしれません。

論点は若干ずれるのですが、実はわたしも、Interwikiに導かれて日本語ウィキペディアに参加した一人です。ある英文記事をよんでいて、ある特殊な文脈でGeopolitikなる語(わざわざこれだけドイツ語で書いてある)が使われていたので、これをインターネットで調べようとしたわけです。最初はドイツ語で調べていたのですが、どうも知りたい情報は出てこない。そこで、今度は英語のgeopoliticsを調べてみたわけです。そうしたら、何番目だったか忘れましたが、Wikipediaの英語版に行き当たったわけです。ところがこれにはスタブしか書いてない。ところが、そのときふと「日本語」と書いてあるのが目に付いたので、日本語もあるのかと驚いてクリックしてみました。そうしたら、英語の記事よりも詳しいんで、もっと驚いた。地政学という学問の認知度から考えれば、英語のほうが当然詳しいだろうという風に決めてかかっていたので、日本語の記事のほうが詳しいことに、ある種の感動を覚えたわけです。結局欲してる情報は出てこなかったのですが、これがわたしが日本語ウィキペディアに参加することになったきっかけです。

話を元に戻すと、Interwikiのみの記事は、それだけで極めて便利な存在なわけです。そこに、わざわざスタブ記事を付けることに、わたしはほとんど意味はないと考えるわけです。そもそも英語版でスタブが良いものであることを要求しているのは、その後の発展を促すためです。つまり、いい記事が育つためには、いいスタブでなければならないが、それは、スタブしかさしあたりよりどころがないからであるわけです。しかし、日本語版から見れば、これは必ずしも当てはまらない。少なくとも英語版という立派な見本があるわけで、これを手本にして書けばいいわけですから、記事が育つかどうかという観点からは、スタブはむしろ必要ないのです。もっとも簡単に、英語からコピー・アンド・ペーストして、それを参考にして日本語を書いたとしても、例えば人名は生年月日の順番を逆にしなきゃいけなかったりして、結構面倒くさい。もちろん意味のある作業ならやりますが、この作業にはほとんど意味はない。なぜなら、ワン・クリックすれば、氏名を欧文でどう綴るかとか、生年月日はいつかとかいう情報は簡単にわかるわけですから。しかも、専門外のことであれば、記事を書くことは極力避けたいわけです。こういうことをしている時間があるなら、新しい「Interwikiのみの記事」を書いたほうが効率が良い。

それでは、なぜ効率を求めるのかというと、それは、自分自身の生活を見直すためです。もし記事投稿していくとなると、ちょっとウィキペディアに費やす時間が多すぎて、これはちょっと問題だと考えるわけです。しかし、ウィキペディアはなかなか面白いプロジェクトだから、何かお役に立てることを毎日ちょっとの時間だけでもしたいなあと考えているわけです。ニュースを提供するというのも考えて、実際ちょっと実行してみましたが、これもやはり時間がかかる。 Interwikiのみの記事なら、時間はかからないし、役にも立つし、いいんじゃないか、これがわたしの出発点であるわけです。ウィキペディアの執筆の敷居をあまり高くすると、ウィキペディアの発展にとってもよくないんじゃないかと思います。

それから、翻訳には翻訳専門の方々がいらっしゃるのだから、そういう方々の手を借りるのがまっとうなんじゃないかという考えも根底にあります。たとえば、翻訳学校に通う方々などは、翻訳の腕を試したくてうずうずしているでしょうし、そういう方々の生活は存じないのですが、もしかしたら、結構時間をおもちかも知れません。もしそうであれば、喜んでウィキペディアの外国語記事の翻訳に携わってくれると思います。翻訳学校などに「ウィキペディアでは翻訳者を募集しています」というような広告を出せば、結構人が集まるのではないでしょうか。そういう方々にまずは翻訳していただいて、あとから専門的な観点から校閲を加える、というかたちが望ましい分業のかたちだと思います。

ちなみに、Yasさんのご意見ですが、「反論を書くことなどなしで、できる限りこのガイダンスに従って下さい。一般的に、最も短いスタブにでも、二つのセンテンスが必要です。ただし、それら二つは「良い」センテンスでなければなりません。(そして、もしあなたが二つの良いセンテンスを書くためのトピックを十分に知らないのであれば、スタブ記事を書こうなどと決して考えてはなりません。)」とあるのは、ほぼ誤訳です。原文は「It is possible to follow these guidelines without writing a treatise. Generally, for the shortest of Perfect Stubs, two sentences will do fine--as long as they're two goodsentences. (And if you don't know enough about a topic to write two good sentences, consider not writing a stub.)」というものです。つまり、「別に論文を書かなくたって、上記のガイドラインに従うことは可能です。〔実際、〕ふつうは、完璧なスタブ記事であるためには、二文あれば十分うまくいくのです――〔もちろん〕それらが良い文であることが前提ですが(そしてその二文すら書けないくらいにしかそのトピックを知らないのであれば、スタブを書こうとは考えないでください)。」ということです。決して「ごちゃごちゃいってないで、このガイドラインに従え」という強圧的なものではないし、二つのセンテンスの位置づけも、最低でも二文書けということではなく、二文で十分だということをいっているわけです。しかも、このルールは英語版を念頭においてつくったものであるわけで、日本語版としては、「Interwikiだけで、今後の発展は十分確保されています」というルールを採用することは十分可能なのです。T. Nakamura 08:10 2003年12月7日 (UTC)

実はあまり読んでいないのではずしているかもしれませんが一言。InterWikiのみの「情報」に価値があるのは大いに丸っと100%認めますが、それを「記事」と同列に扱われることが多くの人にとって幸福であるとは、ごっそり100%認めません。自分にとって明らかに無駄な記事をクリックで開く時間を惜しむ人、百科事典としての品格が回復困難なレベルまで落ちることを憂える人などを、私は責めたくありません。決して議論の上の空論でなく、実際に 対立が存在する ことを主張しておきます。個人的な希望としては、やはり技術的解決を先に検討してから行うべきと思います(それは素人には歯がゆいかもしれませんが)。Mulukhiyya 08:55 2003年12月7日 (UTC)

まず、翻訳に関して言えば、T. Nakamuraさんの訳は誤っています。"for the shortest of Perfect Stubs"は、「最も短い完璧なスタブ記事」と訳すべきであり、「最低でも二文」書くことを要求しています。
T. Nakamuraさんは、「Interwikiだけの記事」も「スタブ記事」あるいはそれに準ずる扱いにすることを主張なさっているようですが、それは不可能なことなのです。Wikipedia日本語版は、「日本語で百科事典をつくることを目的としている」というのが大前提ですので、日本語を含まない記事は例外なくWikipediaから排除すべきなのです。(もちろん、近い将来、日本語で記述されることが保証されるなら、この限りではないでしょう。)
それから、「interwikiだけの記事」をつくる能力がありながら、日本語でたった二文の文章もつくりたくない理由というのもわかりません。たとえば、人名の生年月日は記載することが推奨されていますが、わからなければ書かなくてもよいのです。Ojigiri 09:00 2003年12月7日 (UTC)

個人的には、T.Nakamuraさんの話はとても参考になりました。共感したり、納得させられる点もありましたし、ただ勢いに任せてInterwikiだけの記事を乱発しているといったことではないこともよくわかりました。(まあ、何か理由があるのではないかとは思っていたのですが。)
読んでいて一つ確かめたくなったのですが、要するにT.Nakamuraさんの場合には、「よい記事があればInterwikiを張る、そうでなければ張らない」ということなのでしょうか?
それから、貢献ということであれば、既存の記事のInterwikiとか、専門分野に関連した記事の加筆修正とか、他にもいろいろあるように思うのですが、いかがでしょうか?
あと、リンクのみの記事の作成を避ける方法として、「執筆して欲しい記事とそのための参考資料(=Interwiki)」をセットでどこかにリクエストしておくとかはどうでしょうか?
ところで、スタブに関して今まで出ていないらしい論点をひとつ出してみます。(と、書いている間にMulukhiyyaさんに先を越されてしまいましたが。。) 少し長期的な問題として、「ウィキペディアは記事の内容が乏しかったり、他の50カ国語の記事のどれかに対するリンクだけであったりするものがおおいので、読んでも仕方がない」というような状態になっては困ると思いませんか? いわばウィキペディアの「ブランドイメージ問題」です。その意味で、「Interwikiだけ」というのは、積極的に推奨すべきものではないと思いますが、どうでしょうか。これは「完璧なスタブ」未満の記事一般について言えることですが、スタブ未満の記事を推奨すると、長期的にはウィキペディアの平均的な質は落ちるだろうと思います。
たとえば、漫画家関連の記事には、名前、漫画家であること、代表作の3つぐらいしか書いていない記事が結構あるように思います。(それらの内ひとつだけしか書いていない記事もあります。)特別:Ancientpagesから辿ると日本語版の活動が本格的にスタートした2月に作成されたきりになっているものも少なくないことがわかります。
こういうスタブやスタブ未満のものは、僕は、放置しておけばどこからか書き手がやってきて、加筆してくれるのではないか、と以前は思っていたのですが、今はもう少し慎重に考えた方がいいんじゃないか、と思いはじめています。「ウィキペディアでは何でもいいから書き込んでくれれば他の人がいつか続きを書いてくれます、何か一言どうぞ」みたいなわけにはいかないんだな、と。(女優とかアイドルでもそういうページが多いという印象がありますがどうでしょうか?)書き手の層が厚くなるスピードはスタブ未満のページが増えるスピードよりも遅く、スタブ未満のページは残りますが、書き手はウィキペディアから去ってしまうことも多いですし。
その意味では、多少執筆の敷居が高くても、スタブ未満の記事はできるだけ作成しないで欲しい、もしも執筆が面倒ということであれば、校正とか、既にある記事へのちょっとした加筆とかをしてもらう方がいいんじゃないか、と今は思います。
まあ、お粗末な記事が全体の1、2%なら別に気に病むこともないかな、と思うのですが、そういうレベルに収まる保証もないですし、現に収まっていないような気もします。
それから、翻訳関連の件で、T.Nakamuraさんの指摘された、完璧なスタブ記事をめぐる英語版と日本語版のガイドラインの違いについてひとつ。これは、両ページの履歴を辿るとわかりますが、日本語版にSetuさんがこのガイドラインを持ってきた当初は、英語版にも「一部の辛口のベテラン勢は」みたいな文句がなかったことが大きいと思います。日本語版は英語版の過去の版のガイドラインを採用している、というか。意図的に翻訳しなかったとか、訳漏れがあったということではないと思います。基本的には。
また、ポリシーの違いということで言えば、英語版の削除方針[1]を見ると、スタブ以下であれば削除されることもあるという方針になっているのですが日本語版では放置です。その意味では、日本語版ではスタブは歓迎しないように言ってはいるもののできてしまったものについては寛容、英語版は日本語版に比べてスタブに寛容であるかに見える部分もありつつ、実際にはそうではない、という風にもとれます。
そのせいなのかどうかは知りませんが、日本語版はどうやら他言語版に比べてかなり短い記事の多いウィキペディアになっているようでもあります。[2]
ただ、要するに大事なのは理由であって、英語版のガイドラインが優れたものであれば採用すればいいのだし、そうでなければ独自のものを作ればいいのだと思います。先人の知恵として参考にこそすれ、変更してはならない、ということではないでしょう。この点はみなさん同じ意見だろうと思いますが。
それから、ふと思ったのですが、Redsさん、T.Nakamuraさんとしては、Interwikiだけのものがよいのと同じ理由で、外部サイトへのリンクだけからなる記事でもいいんじゃないか、という意見でしょうか? Tomos 09:15 2003年12月7日 (UTC)

まず、Tomos さんの最後の質問は「違います」。
私は、wikipediaは、各国語がせっかく並列して同じシステムで動いているのだから、データベースとして融合しているとみたほうがより面白く価値があると考えます。このあたりの考え方は、あくまでも日本語版はそれだけで単独で独立しうるものだと考えておられるOjigiri さんとは相容れない考え方かもしれません。外部サイト云々の回答の理由です。

もういちど繰り返しになりますが、私の暫定案を採らないならば、 現実に状況としてあるものをどう対処するかが問題となります。運営の課題を議論するとはそういうことです。その場合の対処は、先のリストにtanuki_Z さんの対処案も入れると三択となり、

  1. 「リンク記事」でも従前通り「スタブ記事」の決り文句を付加することができるように、既存の「スタブ記事」の定義を書き換える。
  2. 「リンク記事」は禁止する。といっても新規の記事作成は防ぎようがないので、「リンク記事」が出現しだいに削除依頼をだす。同時に書き込んだ利用者にノートで叱責する。
  3. 見つけ次第できるだけ一文を書く。書き込んだ利用者が定着次第「interwikiだけでなく、せめて一文の定義を書いてくださいませんか?」とお願いする。

となります。最後の案では、確かに形の上では「スタブ記事」となり、既存のルールに合致して揉め事はなくなりますが、はたして課題は「解決」したでしょうか?一文だけの役に立たない記事であるようりも、むしろ私は「この記事の日本版はまだできていない」と正直に告白し、この記事はinterlinkしかないことを読者に明示するほうが、より誠実だと考えます。もちろん、日本語版の記事が日本語の記事で充実することを望むのは私も皆さんと同じ考えです。それは動かない。しかし現実への対処は必要です。そして自らの力(日本語版の記事執筆者の量と質)を自惚れずに直視し把握しておくことも、(一足飛びに英語版並みになれるわけではない)、必要でしょう。 Reds 09:47 2003年12月7日 (UTC)


Redsさんのおっしゃることはもっともで(特に「正直に告白」の部分)、おおかた当初のわたしの考え方を代弁してくださっていますが、わたしはもう少し柔軟に考えてもいいんじゃないかと思います。特に、 Tomosさんの「リンクのみの記事の作成を避ける方法として、「執筆して欲しい記事とそのための参考資料(=Interwiki)」をセットでどこかにリクエストしておく」というのは、注目に価する方法だと思います。Tomosさんが、長年の経験から、スタブ記事は簡単には育たないことをご指摘なさっていること、それから、多くの方々が、Interwikiのみのページは百科事典としてのブランド・イメージを損ねるとお考えであること、を考え合わせると、わたしとしては、何となく、Tomosさんの案が落としどころなのではないかなという気もします。二つのデメリットを防ぎつつ、Interwikiの便利さを享受できるわけですからね。

そこで、もしこの選択肢を採用するとすれば、どのようなものであるかをシミュレートしてみます。ご提案のようなリクエスト・ページは、おそらく一覧記事のようなものになるのでしょうが、そのページから「言語:記事名」(二重の角括弧で囲む。以下同じ)でInterwikiを張ると、Interwiki はすべてページの上部に来てしまいます(「en:Germany」と「en:Italy」というように、記事名が別であれば、同じ言語に関して異なる記事に対するInterwikiも張れるようですが、いずれにせよ)。ということは、あまり一覧記事に向いていないということです。もちろん、「http云々」とやればいいのでしょうが、これは、スタブを書くのと同じくらい(あるいはそれ以上に)面倒だと思います。この点に関して技術的に解決が可能であれば、ぜひこの選択肢に従いたいと考えていますが、技術的にはどうなのでしょうか? あるいは、その代りとなるような案があれば、どなたでも是非出してください。

それから、新たな論点を惹起してしまい、議論が混乱しそうなのでちょっと嫌なのですが、Tomosさんからお伺いがあったのでお答えしておきます。 Interwikiの議論を推し進めていけば、リンクのみのページもありだということになりそうだということですが、わたしは、一応この推論を肯定したいと思います。外国語版でも外部リンクは厳選されていて、Googleで検索をかけるよりもよっぽど効率的で、たいへん重宝しています。わたしも実際、日本語記事→Interwiki→目的サイトという経路を辿ります。この結果として、逆に、Interwikiさえあれば、少なくとも海外サイトへのリンクは不要であるという結論になります。スタブ段階(あるいは「それ以前」)で、リンクを付け加えるべきとしたら、それは、日本語のサイトで特に目ぼしいものがある場合のみでしょう。

それから、Ojigiriさん、質問が同じことの繰り返しになっています。もう一度わたしの回答を読み返していただいて、それでも疑問があるようでしたら、何が明らかにされていないのかを添えて、もう一度質問を出してください。わたしは別にOjigiriさんと論争をしようと思ってこの問題を提起したわけではなく、広く議論をしてコンセンサスを固めるべき事項と思ったから、このようなかたちで問題を提起したのですよ。

T. Nakamura 11:32 2003年12月7日 (UTC)

いい忘れましたが、Tomosさんのご質問に、Interwikiを張る基準は何かというのがありました。わたしは、記事の良し悪しではなく、日本語ウィキペディアにとって、当該記事が必要かどうかで記事を作成するかどうかを決めています。リンク先がスタブでも、必要な項目だと判断すれば、 Interwikiを張るということにしています。T. Nakamura 11:51 2003年12月7日 (UTC)

T. Nakamuraさんが何についてコンセンサスを得たいのかがわからないのです。「一文も日本語がない記事」を作成することに関してであれば、「日本語で百科事典をつくる」という目的に合致しないので、受け入れられる可能性は極めて低いでしょう。代替方法を考える必要があります。
代替案としては、Tomosさんの方法で十分でしょう。以下のような一覧記事をつくることが技術的に可能です。Ojigiri 12:14 2003年12月7日 (UTC)

なるほど。Ojigiriさん、どうもありがとうございました。それから、先刻は、わたしの回答をきちんと読んでいただいているのかわからなかったために、若干挑発的な言い方をしてしまい、たいへん失礼致しました。それでは、Wikipedia:執筆して欲しい記事とそのための参考資料(Interwiki等)というページをつくります。以降、わたしはこのページに寄稿することにします。今日はもう面倒なので、さしあたりドルトムントとエッセンをコピーして終わりにしておきます。T. Nakamura 12:33 2003年12月7日 (UTC)

百選系の著作権

編集

日本百名山一覧ノート:日本百名山一覧の部分で著作権問題に関する議論が起こっております。百選などはここに限らないと思われ早急に対処すべきだということでこちらにも書いておきます。0null0 09:12 2003年12月3日 (UTC)

削除依頼に出すので、リンク先を修正しました。ご容赦ください。Tsk 06:25 2003年12月7日 (UTC)