利用者:Kanbun会話 / 投稿記録 / 記録さんの行為について、コメントを依頼します。

これまでの経緯

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利用者:Kanbun会話 / 投稿記録 / 記録さんは、樺太朝鮮人虐殺事件およびノート:樺太朝鮮人虐殺事件#Kanbunさんの編集および警告についてで、論文の報告者を明示する編集について、一貫して反対の議論をなされてきました。そして、それを明示するべきだというほかの論者と強い対立関係にありました。 そして、樺太朝鮮人虐殺事件の概要で、本文で触れられているソースを含めた事件のまとめを書いたところ、

  1. 本文に触れられていることを概要に書くと言うのは「自己参照」であり許されないと主張し、複数のノートに警告タグを貼られました。
  2. さらに、『××のよれば事件がおこったと「される」』と書くのは、ソースにかかれていない「捏造」からだめだと主張されています。
  3. そして、上記を理由として警告タグを複数の箇所に貼る。

などの行為をおこなわれました。--以上の署名のないコメントは、Nakata88会話投稿記録)さんが 2011年2月16日 (水) 10:48、10:49、10:53、11:03 (UTC) に投稿したものです(T_suzuによる付記)。

依頼者コメント

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依頼者として、まず、問題だとおもうのは、ノート:樺太朝鮮人虐殺事件#Kanbunさんの編集および警告についてにおける、Kanbunさんの、1.の自己参照の解釈です。そもそも、概要である以上、事件内容の詳細が書かれえている本文のまとめ的内容になることは明らかで、これは自己参照にはあたりません。また、概要にもソースが明示してあるため、「ウィキペディアの記事の自己参照」でもありません。

このような「自己参照」の意味をあやまって解釈し、警告タグを複数の場所に貼るのは議論の進行に有害です。

また、2.の点も、、『××のよれば事件がおこったと「される」』と書くのは、ソースにかかれていない「捏造」からだめだと主張されています。しかし、「される」と書く場合、「される」という部分は、参照を示しているのは明らかで、ソースに新たな情報を付け加えたわけではありません。まして、「捏造」ではありません。

Kanbunさんは樺太朝鮮人虐殺事件の編集で、ところどころ、上記のように重大な、ウィキペディアの用語についての誤解や、誤理解が存在するため、他の編集者と議論になることが多いのですが、今回は「タグ」の不正使用に当たると考えられるため、許容限度を超えたと判断しました。コメントをお願いします。--以上の署名のないコメントは、Nakata88会話投稿記録)さんが 2011年2月16日 (水) 10:48 (UTC) に投稿したものです(T_suzuによる付記)。

被依頼者のコメント

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私は検証可能な文献に基づかない依頼者の加筆を差し戻しているだけですので、とくにコメントすることはありません。出典の捏造行為などはやめて、一日も早く依頼者が検証可能な文献に基づいて議論して下さるよう望むだけです。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 13:41 (UTC)[返信]

あとNakata88氏による上のこれまでの経緯は彼の観点で書かれており、事実と異なります。早とちりして誤解してらっしゃる方もいるようですので、より正確だと私が思う経緯を載せておきます。

  1. KanbunとNakata88氏の間で編集合戦→記事保護
  2. 編集保護が自動解除される。
  3. 記事内容についての議論中にもかかわらず、出典のない箇所にNakata88氏が出典を確認せずに出典情報を書き加える。しかも直後のノートのコメントで出典を確認していないことを明言
  4. Kanbunは即座に手許にあった文献を参照。すみやかに出典情報が誤っていることを確認する。
  5. 上記の出典箇所を確認せずに出典情報を加える出典情報の「捏造」行為を止めるため、Kanbunが警告テンプレートを記事のノートとNakata88氏の会話ページに貼る。
  6. Nakata88氏、当然されるべきノートでの出典の明示をせずに編集を強行→編集合戦に
  7. Kanbun保護依頼を出す→記事保護
  8. Nakata88氏、出典の捏造ではないと強弁。しかし、Kanbun自ら初版を書いたときに使った[Kanbun注 1]文献によれば出典情報は明らかに誤り。出典を確認せずに出典情報を追加したことが明白となる。

以上です。私から見ると、Nakata88氏の編集行為はウィキペディアでは到底許し難いとんでもない行動と思えますので、私へのコメント依頼を出されたことも含めて何をおっしゃっているのやらというのが正直な感想です。また本心を言えば、このような編集行為を他の記事で行っていた可能性もあり、Wikipediaが共同作業であり、相互に検証可能性を保証しつつ利用者同士が記述を積み重ねていくという前提に立てば、その基盤を揺るがしかねないという意味でこれは大変問題であると思います。同時に、樺太朝鮮人虐殺事件は私が初版を書いた時点では100%検証可能な記事でしたが、2011年2月現在、検証不可能な記述が付けくわえられ、とても元のレベルを維持しているとは言えません。このような悲しい事態を招いているのも、ひとえにNakata88氏のような出典を確認せずに勝手に思い通りの記述を書く一部の心ない編集者のためであると慨嘆しておるところです。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 09:52 (UTC)[返信]

感謝

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まずコメントを下さった皆様に心から感謝します。 この点はうまく言えないところでありますので、ここで表明しておきます。私は納得できないことは認めることは出来ないので、疑問点は聞きますし、皆様のコメントで納得できない点は再コメントいたします。だからといって、私は皆様に敵意を抱いているとか皆様を信頼していないわけではありません。私は皮肉屋でまたたしかに冷徹な言い方をしているように感じられることもあるかもしれませんから、意図せず敵意を抱いていると思われてしまう方もいるかもしれませんが、私はむしろ皆様を深く信頼しており、皆様の言葉一つ一つ心に響くところがあり、だからこそ疑問に思える点・わかりづらい点ははっきりさせて皆様の忠告をちゃんと聞きたいのであります。私にはもちろん私の観点というものがあり、皆様にもそれぞれそれがあります。私はできれば皆様の観点を正確に理解したいし、そのうえで皆様にも私の観点をわかって欲しいのです。 だからこそ正直に言いますが、私にとって今回のコメント依頼は出された根拠が分からず、不本意です。皆様の言っている点も私からすると一方的で事実に反すると思われる点があり、私はそういう点についてはやはりおかしいと思うところを指摘します。しかしこれは皆様の観点をもっとよく理解したいからです。こういうコメント依頼は皆様と編集方針について相互に確認し、また自分の行動を整理できるよい機会ですから、提出されたきっかけは不本意ですが、コメント依頼自体は感謝すべきものと考えています。本当に感謝していますので、どうぞ心のこもった忠告とご指導をお願いいたします。皆様、本当にありがとうございます。またコメント依頼において、納得できるところがあれば素直に認め謝罪したり撤回することを約束いたします。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 15:09 (UTC)[返信]

  1. ^ こう書くのは現在の記述は初版以降の編集で検証不可能な中立的でない観点を示唆する記述が追加されており、この意味でも明らかに検証不可能になっていることは明白。その記述に出典を付けくわえるなどそもそも物理的に無理な話である。なぜなら、情報の改変によって、すでに出典自体がないからだ。

被依頼者以外のコメント

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  •   コメント 他の場所でのお二人の議論が長すぎて、全部に目を通したわけではありませんが、こちらで提起されている問題についてのみコメントいたします。まず、依頼者・被依頼者による編集合戦で二度もこの記事が保護されていますが、これは好ましいことではありません。このような結果になったのは依頼者・被依頼者双方の責任です。次に、議論以前の問題ですが、Kanbunさんの態度には問題があると思われます。このように一方的に相手の編集を捏造とか記事破壊呼ばわりした上で警告タグを用いるのは、書かれた側としては気持ちの良いものではありません。相手の発言を中二病的な妄想などと書きたてる行為についても同様です。たとえNakata88さんの編集に誤りがあるとしても、このような論調では誰の支持も得られないでしょう。この点に関してはWikipedia:議論が白熱しても冷静にをご参照頂き、素直に反省していただきたいと思います。さて、コメント依頼へ至った経緯とされる行為について意見を述べます。
  1. 「自己参照」という言葉が自己言及を示すとしたら、記事の本文にある内容を概要欄にも記述することは自己言及にはあたりません。そのような場合は<ref name="出典1"></ref>などと出典元に名前を付け、概要・本文の両方から引用できるようにすれば済む話です。自己参照というのは、「ウィキペディアの〇〇という記事にはこう書いてあるが」などと本文中で記述することを指します。
  2. おこったと「される」と記述するのは、それ自体は問題ではありません。それが許されないのならば「宇宙はビッグバンから始まったとされる」などと書くのもダメなことになってしまいます。例として「ニュートンの運動方程式では力が質量と加速度の積に等しいとされる」という記述を検討してください。この運動方程式は現在では誤りとされていますが、この記述がニュートンやその他の研究者の著作を持って検証できるので、それは「捏造」とは呼ばれません。評価が定まっていない歴史上の事件について記述する場合は特に、断定的な記述は避けて検証が可能な記述に徹するべきです。
  3. 上にも書きましたが、警告タグの使用は不適切です。荒らしなど、明らかに悪意をもっていると分かる場合以外は使用しないでください。
結論として、双方に反省すべき点があり、また方針文書の理解が浅いように感じました。お二方どちらも精力的にウィキペディアへ貢献されているようですので、これ以上の争いはお二方にとってもウィキペディアにとってもマイナスです。お互いに非を認めて仲良くやっていくか、この記事の編集には今後一切関わらないと互いに約束することが得策であると思います。--T_suzu 2011年2月17日 (木) 21:08 (UTC)[返信]
  • コメントありがとうございます。内容についてはほぼ同じ意見です。Kanbunさんに対する記述についてはきつく書いたつもりはないんですが、どうも微妙にきつくなってるのかもしれないです。それは気をつけるようにこころがけます。なお、Kanbunさんともこの件以外についてはそれほど対立しているわけではありません。しかし、この件では対立が続くようでしたらそのような解決も提案してみようと思います。Nakata88 2011年2月17日 (木) 21:30 (UTC)[返信]
(Tomo_Suzuki氏へ)出典を確認せずに出典情報を記載することは出典の捏造ではないかと思うのですが、違うのでしょうか。「中二病的な妄想」と断定されるのは少し穏やかではありませんから、詳しくお聞かせ願います。また出典の示し方についてはウィキペディアでは、たとえば「Bである」という記述が文献Aにある場合、「Bである<ref>A</ref>」と書くのであって、「Aによれば、Bとされる」とはふつう書きません。例外はそれが信頼できない情報源の時ですが、今回の崔氏の文献は学会の査読を受けた論文集に採録されているものですから、信頼できる情報源の条件を完全に満たしています。ともかく、まず「出典の捏造」という私の主張が「中二病的な妄想」とされる根拠について詳しくお聞かせください。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 21:35 (UTC)[返信]
「中二病的な妄想」というのはKanbunさんご自身がNakata88さんになさった発言ですが…。ご自分の発言の説明をT_suzuさんに求められるですか?--はぬまん 2011年2月17日 (木) 22:10 (UTC)[返信]
これは失礼しました。ちょっと早とちりしてたようです。撤回します。ご指摘ありがとうございました。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 22:14 (UTC)[返信]
私がTomo_Suzukiさんに返答を求めているのはNakata88氏が出典を見ずに記事の不適切な個所に出典情報を追加していることを「出典情報の捏造」と私が言ったのが当たらないとすれば、その根拠は何かということです。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 22:17 (UTC)[返信]

Tomo_suzukiさんのコメントを読んでいて、私にはよくわからない点が一つあるのですが、Nakata88氏は出典を確認せずに記事に勝手に出典情報を加えていますが、これを出典情報の捏造だというのは不適切ということでしょうか。たとえばあるウィキペディアの記事の出典を確認しないで、その記事を参照して、同じ記事あるいは他の記事に新たな加筆をすることは私は認められないと思いますが、Tomo_suzukiさんはそういうことは可能だとのご判断なのでしょうか。そこのところを詳しく伺いたく思います。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 21:26 (UTC)[返信]

こんにちは。Wikipedia:コメント依頼/Kanbun 20110216ですね。私はNakata88さんが挙げたKanbunさんの参加姿勢のみにしかコメントしていませんので、Nakata88さんの編集の問題点については詳しく知りません。ちょうどWikipedia:コメント依頼/Nakata88を眺めていた所ではありましたが。「出典の捏造」という定義は私にはよくわかりませんので、どのような捏造が行われたのか具体的にお示し頂けないでしょうか。ウィキペディアの記事そのものを出典とすることは不適切ですが、ウィキペディアの他の記事にある出典付きの記述を、その出典も含めてコピーするというのは、GFDLとCC-BY-SAのライセンス上の問題がなければ可能であるとは思います。--T_suzu 2011年2月17日 (木) 21:42 (UTC)[返信]

Nakata88氏はこの編集で記事の別のところの出典情報を他の出典のない箇所に書き加えています。Nakata88氏は出典を読まずに記事を読んでそこに出典を追加したと自分で言っています[1]。これは明らかに出典情報の捏造だと私は言っているのです。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 21:48 (UTC)[返信]

なるほど。では、他のところでこの問題を議論される際もこのようにご説明いただくと論点が明確になると思います。Nakata88さんを非難する意味も込めて捏造と言っておられるのだと思いますが、かえって第三者にとっては分かりにくくなってしまいます。さて、その「捏造」に関してですが、確かに文献を実際に確認せずにそれをあたかも見たかのように別の記述に追加することは正確性を担保する上で問題があるかも知れません。ただ、ライセンス上の問題がある訳でも無いのでケース・バイ・ケースでしょう。例えば、ある人物の発言が出典付きで引用されている場合、その発言と出典情報を同じ記事の別のところで利用したとしても、問題が生じる可能性はあまりありません。ただ、お示しのこの編集については、1945年8月17日に起きたとされる事件の出典を、新たに追加する「虐殺事件の始まり」とする記述の出典に使うことは、出典が新たな記述の十分条件とはならないため論理的に誤りとなる可能性があります。ただ、その事を指摘するには実際に出典とされる書籍を取り寄せて確認しなければならないので難しいところではあると思います。--T_suzu 2011年2月17日 (木) 22:18 (UTC)[返信]
私は件の記事の初版執筆者であり、文献は手元にあり確認しています。そもそも私の初版においてその記述は別の箇所を見て書いたものであります。また今回の件はGFDLライセンスは関係ないと思いますが。そうではなくて検証可能性の上で出典を偽ることは明らかに問題のある行為だと思いますが。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 22:20 (UTC)[返信]
私のノートページに頂いていた2011年2月17日 (木) 21:26 (UTC)から始まるコメントですが、こちらに移動いたしましたのでご了承ください。最後のコメントに関してですが文献をお持ちであり、かつNakata88さんの引用内容が誤っていることが確認できるのであれば、その旨を的確に指摘すれば良いのではないでしょうか。それを捏造などと呼ばれたので、話がこじれてしまったのだと思います。文献を直接確認せずにそれを他の記述の参考文献として使用することは適切でない可能性はありますが、必ずしもそう言い切れるものでもありません。私は今回の件の文献を確認できないので、Nakata88さんの行為が問題であるかどうかは判断致しかねます。--T_suzu 2011年2月17日 (木) 22:51 (UTC)[返信]
  • T_suzuさん。『お示しのこの編集については、1945年8月17日に起きたとされる事件の出典を、新たに追加する「虐殺事件の始まり」とする記述の出典に使うことは、出典が新たな記述の十分条件とはならないため論理的に誤りとなる可能性があります。』と、書かれていますが、そこで、わたしが、そこで、書いているのは、本文にある、二つの事件の前後関係をまとめたもので、事件全体がいつはじまったかを断言するものではありません。そのいみで、本文のまとめとしての記事です。そういう趣旨にもとれるのであれば、そう読めないように、改良の余地があると思います。
  • 引用関係が問題がないのはおっしゃるとおりだと思います。「捏造」というのは明らかにちがいます。
  • Kanbun さんへ。あなたがこの記事の原執筆者であることをわたしは今まで確かめていませんでした。したがって、記述内容にこだわる理由もある程度、心情的にはわかる気がします。しかし、あなたが「~とされる」という文体が妥当でないとするこだわりは、ほかの記事には適用できないものです。多くのあなたが加わっていない記事でどういう編集がなされているかをもう一度お読みになってください。決して「~である」という文体が多用されているわけではないのがわかると思います。
  • わたしがこのページで求めているのは、「タグ」の使用が適切でないことについての理解です。その点で、合意できるのであれば、この議論は収めることができます。しかし、「タグ」の使用にこだわるのであれば、先に進まざるを得ません。もし、御理解いただけるのであれば、タグの使用について撤回していただけませんか? 
  • もし、撤回していただけるのであれば、この議論はここで、わたしとしては終了し、もとのノートで議論を継続すればいいと考えています。Nakata88 2011年2月17日 (木) 23:35 (UTC)[返信]
タグの使用とはなんでしょう?私はタグなど使っていないので、撤回と言われても何の話か分かりません。警告テンプレートの話ならば、編集合戦を招く行為を止めるため注意喚起のために必要な処置であったと私は思っています。出典の偽装を止めるために注意喚起が必要でしたから。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 23:55 (UTC)[返信]
タグではなくKanbunさんが利用したこのようなテンプレートのことですね。
Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないにもありますが、他の利用者の行為を荒らし(と見なされる)と指摘すること、および警告テンプレートの使用にはかなり慎重になる必要があります。今回の議論がやや感情的になってしまったのは、このようなテンプレートの使用が原因ではありませんか?今からでも、ご自分で除去されれば、より建設的な議論ができるようになる可能性が残っています。大人の対応が期待されています。--T_suzu 2011年2月18日 (金) 00:26 (UTC)[返信]
釈然としないので、撤回するのはもう少し議論して争点が明確になって私が納得してからでよろしいでしょうか。私がテンプレートを貼ったのは編集合戦を回避するためであり、その点について私に落ち度があったとは私は思っていません。テンプレを貼って編集合戦を止めるようノートで訴えても、Nakata88氏は強行されました。警告テンプレートを貼っても効果がなかったのですから、私にはあのテンプレートが争点になっているとは思えません。あるいはそれがNakata88氏を刺激し、彼のさらなる編集強行を招いたという論理であれば、やはり直接的には私の編集合戦の中止を呼びかける警告を無視してまで、編集強行したNakata88氏に問題があるように私には思われます。出典を偽って記載することを指摘されれば、ふつう出典の文をノートに引用して明示するのが正しい手順のはずです。私にはあの警告テンプレートがなんで争点になるのかさっぱりわかりません。--Kanbun 2011年2月18日 (金) 12:57 (UTC)[返信]
(Tomo_Suzukiさんへ)私はNakata88氏に出典箇所の開示を求め、手元に文献があるので確認できる旨伝えています。今回の場合、加筆の過程で出典に基づかない観点が入っている記述を、出典を確認せずに本来の出典とは別の箇所を出典として示すという二重の偽装を行っているので、私には出典情報を捏造して自身の都合の良いように記事内容を改変しているとしか思えません。文献を確認する以前に、Nakata88氏が検証可能なことのみ書くというウィキペディアの方針に反していることは明白です。私がNakata88氏に議論の最初から求めているのは検証可能な文献に基づいて加筆する、議論も検証可能な文献に依拠してほしいという当たり前のことだけです。そこをNakata88氏にはよく理解してもらいたいです。ただ私のほうにも言い過ぎがあるというのであれば、それは素直に認め、改善したいと思います。
最後に細かい日本語表現の問題ですが、例として挙げられた「ニュートンの運動方程式では力が質量と加速度の積に等しいとされる」を使って「~とされる」という記述の説明します。「ニュートンの運動方程式によれば、力が質量と加速度の積に等しい」と「「ニュートンの運動方程式では力が質量と加速度の積に等しいとされる」の違いを考えてみてください。前者はニュートンの運動法則が妥当であるという表明をしており、後者はニュートンの運動法則を相対化しています。今回のケースの場合、「崔氏によれば、1945年8月18日(もしくは17日)に敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク)と、同年8月20日から8月23日にかけて真岡郡清水村瑞穂(ホルムスク)で事件が起こった」と「崔氏によれば、1945年8月18日(もしくは17日)に敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク)と、同年8月20日から8月23日にかけて真岡郡清水村瑞穂(ホルムスク)で事件が起こったとされる」を比べてみれば、後者は崔氏あるいは加筆者は事件がなかった可能性を考えて相対化していることになりますが、事件がなかったとか事件が疑わしいと述べる検証可能な文献は一つもないので、検証可能な文献に基づく限り、事件は100%あったものとして「崔氏によれば、1945年8月18日(もしくは17日)に敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク)と、同年8月20日から8月23日にかけて真岡郡清水村瑞穂(ホルムスク)で事件が起こった」と記述するのが適当です。なぜなら、後者の「崔氏によれば、1945年8月18日(もしくは17日)に敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク)と、同年8月20日から8月23日にかけて真岡郡清水村瑞穂(ホルムスク)で事件が起こったとされる」という記述は崔氏自身が事件に疑念を持っていると記しているか、あるいは別の検証可能な文献で事件の可能性が疑われない限り、検証不可能な観点を含むので中立的ではないからです。--Kanbun 2011年2月17日 (木) 23:55 (UTC)[返信]
この件は主に記事内容に関することですので、記事のノートでなさったら良いのではないでしょうか。この問題提起は、非常に冷静で議論の的が絞られていると思います。最初からKanbunさんとNakata88がこのようなトーンで会話をしていたら、今回のような事態にはならなかったでしょう。--T_suzu 2011年2月18日 (金) 00:26 (UTC)[返信]
  • T_suzuさん。わたしとしても、警告テンプレートの使用をKanbunが撤回されるならほかの問題はノートで議論できると思っています。しかし、Kanbunさんはその点を撤回されていません。テンプレートはいまだ貼られたままです。したがって、議論を継続しなければならなくなっています。テンプレートを貼った者以外がはがすことは自分のノート以外はできないはずなので、Kanbunさんがこのまま撤回しないのであれば管理者に求めていくこともふくめてやらなければなりません。
  • Kanbunさん。タグとは、おっしゃるとおり、警告テンプレートのことをさしています。その点について、「偽造」ではないということ、したがって、そのテンプレートの使用が誤りであったということの理解をKanbunさんに求めているのです。その点については上記および、下記の記述を参照ください。
  • まず、『「崔氏によれば、1945年8月18日(もしくは17日)に敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク)と、同年8月20日から8月23日にかけて真岡郡清水村瑞穂(ホルムスク)で事件が起こった」』と『「崔氏によれば、1945年8月18日(もしくは17日)に敷香郡敷香町上敷香(ポロナイスク)と、同年8月20日から8月23日にかけて真岡郡清水村瑞穂(ホルムスク)で事件が起こったとされる」』は、実質的に同じ文章です。また、Kanbunさんが「よれば」とかいているのと、「よれば」と「される」と書いているのは、まったく引用としては同等です。後者が参照をより強く示しているという違いがあるだけです。また、「とされる」というのは、引用をする場合の語尾です。
  • また、「後者は崔氏あるいは加筆者は事件がなかった可能性を考えて相対化していることになりますが」と書かれていますが、ここで書かれているのは、引用を明示するだけです。前者であっても、崔氏の論文が信頼に足らないのであれば、この記述の信頼度は落ちることになり、また、後者であっても崔氏の論文が信頼に足るのであれば信頼できる記述になります。ウィキペディアでは信頼できる情報源に依拠していますがその場合の信頼できるとは、まさに崔氏の論文の信頼度なのです。崔氏をよく知っている方がこの文章の信頼度を上げる方法は簡単です。崔氏が信頼できる人であるという副次的情報を補強していけばいいのです。したがって、記述方法の違いを、「偽造」というのは明らかに間違いです。
  • 心情的に、この記事にこだわる理由はわかる気がしますが、報告者を明示する記述をしたら「偽造」だというのは論理的に飛躍があります。そこが、多くの人に理解できない点になっていると思います。警告テンプレートを継続されるのであれば、対応を続けざるを得ません。Nakata88 2011年2月18日 (金) 00:32 (UTC)[返信]
T_suzuさんとKanbunさんのやり取りを見ていてひとつ気になった事があったのでKanbunさんに質問いたします。Nakata88さんが出典として貼られた部分の文章と、参考文献とでは明らかに内容が異なるものなのでしょうか?参考文献をお持ちのKanbunさんから見てNakata88さんの貼られた文章の出典足りえない内容なのでしょうか?文献を参照しているかいないかといった話にシフトしてしまったので分からなかったのですが、出典として間違っているかいないか、その点に絞ってお教え願います。--はぬまん 2011年2月18日 (金) 10:22 (UTC)[返信]
問い合わせの件にお答えします。まず初版の記述は崔吉城「樺太における日本人の朝鮮人虐殺」pp.288-289の「はじめに」節とp.291の記述に基づいて書かれています。Nakata88氏のこの編集は出典を誤って上敷香の事例を林氏のみにしています。また、同様の事件が瑞穂村で起きたという事実は崔氏や林氏が立証しているのではなく、1946年にソ連KGBが行った裁判の調書によって明らかにされており、また事件の被告たちによって認められたということでありますから、表現の上で改変するならば、「瑞穂村でも同様の事例があり<ref>崔、林</ref>、ソ連の裁判調書により確認することができる<ref>崔</ref>。」とするのが適切と思います。この崔の論文は学会発表されたものであり、2004年度の国の科学研究費補助金を受けた調査に基づいています。--Kanbun 2011年2月18日 (金) 12:46 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。つまり崔氏の文献では敷香町、清水村両方に触れられており敷香町への検証性が林氏の文献のみであるかのような記述は誤りとなる、という事ですね。Nakata88さんへのご指摘も表現の変更文章も納得できるものではあると思うのですが、質問の趣旨としては記述の根拠足りえないような内容なのか、という事でありまして、別の所でつけられている出典を改めて別の所で注釈とする必要性があるか記述形式としては多少疑問が残りますが、細かい誤りこそあれ全く見当違いであった訳でもないように話の流れからは感じられるのですが。荒らしと初めから発言してしまわずご回答いただいた内容を説明していれば編集合戦は避けられたのではとも思えます。--はぬまん 2011年2月18日 (金) 18:17 (UTC)[返信]
記述の根拠にはなりません。前半は明らかにNakata88氏の挙げた箇所には書いてないことが書いてあります。さらに後半の文もNakata88氏の編集の文ですと、出典に虚偽があり、ほかにも重要なことは崔氏の論文では朴亨柱の報告が挙げられていますが、そういった細かい事実関係を無視して彼が言う客観的な根拠のない「報告者二人」説に必要以上に近づけた記述になっています。これでは出典の内容を正確に反映しているとは全然言えません。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 00:43 (UTC)[返信]
そういった内容に対しての説明がノートではなされておらず、一緒になって編集合戦を演じ3RRを犯したのは少なからず批判されてしかるべきものであると思います。Wikipedia:善意にとるに則っていれば避けられた事態であると。Nakata88さんにまったく非がないとは言いませんが、例え相手が悪くともどんな態度で接してもよいという事ではありません。--はぬまん 2011年2月19日 (土) 12:33 (UTC)[返信]
私の議論での最初の発言がこれです。私はただ一点、Nakata88氏の主張を裏づける検証可能な文献を示して下さいと言っているのです。彼は一ヶ月弱にわたるこの議論で一度も検証可能な文献を示さないばかりか、検証不可能な記述を検証可能だと偽る捏造行為まで行っているのです。これまでの議論を踏まえれば、明らかにWikipedia:善意にとる範囲を越えています。どこをどう善意にとれるのでしょう?なるほど、善意によって記事を自分に都合の良いように改変するために、出典を偽ったということですか。ちなみに彼は私の「捏造行為は故意なのかそうでないのか」という質問に明らかに故意にやったと認めているのですよ。彼の行動は明らかに検証可能性という方針文書への無理解か冒涜です。私は彼に出典を確認すれば誤解は解けるだろうと言いましたが、彼は一度も出典を確認していないのですよ。出典も確認せずに記事の記述だけで持論を組み立て、ゴネる。これは明らかに議論の仕方として間違っているでしょう。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
またWikipedia:善意にとるを挙げるならば、私の警告を発してまでの静止を無視した彼はどうなのでしょう。保護された事情を知っているにもかかわらず、議論途中で編集に再び手を染めた彼の行動は善意にとれる範囲でしょうか。あるいはテンプレどおりに彼にサンドボックスでの編集を勧めるべきだったと?それこそ侮辱でしょう。ウィキペディアの検証可能性という大原則を理解しないで記事破壊を続ける人物を甘やかしてはいけないのではないかと私は思います。彼は自分で研究者だと言っているのですから、ちゃんと文献を確認するという基本的な行動だけは守る責任能力は十分あると私は思いますし、それを守る義務がウィキペディアンにはあるのです。善意に取るのと甘やかすのは同じではありません。そして善意に取ったからその行為を強い調子で批判できないとしたら、それは本末転倒であって、今回のような明らかな背信行為は絶対に許されるべきではないでしょう。彼が文献を読み誤ってページ数を間違えたならわかりますが、文献を読んでいないことをあらかじめ明言して出典を書き加えるというのは明らかに不当な編集行為です。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 13:27 (UTC)[返信]
冷静にお願いします、今回の編集合戦となった編集に議論を絞ってお話しております。捏造行為と断じNakata88さんを荒らしだとしてしまっているのが善意にとれていないのではとお話しているのです。長い議論でウィキストレスが溜まっているのは分かりますが、「甘やかしてはいけない」というのと編集合戦を一緒になって演ずるのは話が違います。例え相手が実力行使をしてきたと思えても同じになって実力行使に出ては議論の正当性も何もなくなってしまいます。--はぬまん 2011年2月19日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
私は冷静です。Wikipedia:善意にとるには次の記述があります:「この方針は、悪意をあらわにしている状況においてさえも善意にとり続けることを要求するものではありません。善意を失わせてしまうものには、破壊行為、個人攻撃、及び編集合戦などがあります。善意にとることは、また、編集者が行動を起こさないからと云って批判を受ける、というものでもありません、何か言われたからといって敵意を抱くべきではない、ということを単に言っているだけです。その気もない人を善意がないと責めることは、そのこと自体、自動的に、善意にとることに失敗している、ということになってしまいます。」Nakata88氏はこの記事が保護解除された途端、記事内容で議論が続いているにもかかわらず、故意に編集合戦を仕掛けました。これは善意にとる範囲を越えています。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 13:52 (UTC)[返信]
補足しておきますと、今回の場合私が「警告」を貼ったからNakata88氏が編集を強行したのではなくて、Nakata88氏が先に編集を強行したから、私が「警告」を貼ったのです。また編集合戦を演じるのは私の本意ではないゆえ、私がただちに保護依頼を出したことも確認して下さい。それに対し、Nakata88氏は3RR成立未満にもかかわらず、私を3RR違反としてブロックさせようと試みています。私にはどちらのほうがより悪意にとっているか明白のように思えるのですが。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
Kanbunさんが3RR違反したのは紛れもない事実です。Nakata88さんがそうなるようにわざとしむけたかのようなご主張は主観から来るレッテル以外の何物でもなく、例えそのような状況に陥ってしまったとしても自分がリバートしなければ済む話です。保護依頼を出した事はほとんど関係がありません、編集合戦を自分からやめれば保護する必要もなかったはずです。編集合戦はどちらかが絶対的に正しくどちらかが絶対的に悪であるというものではありません。演じた両者が非難されるべき行為です。--はぬまん 2011年2月27日 (日) 15:22 (UTC)[返信]
  •   コメント「自己参照」とは意味が不明です。「される」と書くのが「捏造」というのも、度を超した非常識な見解です。出典を明記した脚注を削除する行為は許されません。やるなら適切な形に改めるべきです。記事は書かれてしまえば原執筆者の手から離れ、誰でも改善することができます。「誤り」は正されるべきですが、粛々と改善すればよいことです。改善もせずに差し戻した上で「捏造」呼ばわりするような人とは一緒にやっていけません。被依頼者はウィキペディアが「共同作業」であるということを根本的に理解されていないようです。記事を改悪し、議論をグダグダにし、ウィキペディアのコミュニティーを疲弊させています。冷却期間を置くだけでは済まないように感じます。--КОЛЯ 会話 2011年2月18日 (金) 15:32 (UTC)[返信]
КОЛЯさんへ。私は「される」と書くことが捏造だと言っているのではありません。出典を見ずに、出典のない文に出典を即ける行為はウィキペディアの検証可能性に反すると申しているのです。「共同作業」であるからこそ、出典を偽る、出典情報を捏造するという行為は大変問題があるのです。なぜなら、他の編集者がその記述をチェックする際は、出典で確認するのですが、その出典情報が誤っていれば検証作業は余計な手間がかかり、また出典情報を偽ることによって検証不可能な情報がウィキペディアに記載されることになるからです。これはウィキペディアの信頼性を損ね、プロジェクトを後退させるでしょう。Nakata88氏がこういう編集行為を他の記事で行っていたことは議論の流れから十分考えられますから、もし彼がこのような行為を他で行っていたとすれば、ウィキペディアの信頼性を大きく傷つける行為であることは言うまでもなく、翻って他の誠実なウィキペディアンの編集行為の良心的な記述にもいらぬ嫌疑をかける素となるでしょう。共同作業であればこそ基本方針に立ち返って、このような行為は許されるべきではないのです。--Kanbun 2011年2月19日 (土) 00:43 (UTC)[返信]
補足として、ウィキペディアの記事の記述を見て出典を確認せずに加筆する、自己参照による加筆の問題性はかなり明白です。たとえば、記事執筆の際出典を確認しながら編集している編集者には自明のことなのですが、編集者は出典から必要な記述だけを抜き出すので、記事の記述は出典に記載された情報の一部でしかありません。記事の記述は出典の含むより大きな情報によって裏付けされた記述ですので、記事の文は出典を反映していますが、出典に記載された情報の全てを伝達していないのです。したがって、その記述に出典が記載されていても、それを確認せずにコピーすることは次のような弊害を引き起こす可能性があります。
  1. 元の記述が出典を読み間違えていたり、正しく解釈していなかった場合、元記事の持っている誤謬が別記事にそのままコピーされてしまう。出典を確認してコピーすればこのような過ちは避けられる可能性が高い。
  2. そのコピーされた誤謬の一つに対して議論が起こり、正しく修正されても、コピー元やその他のコピーは記事の文脈上の過誤の可能性もあることから、その都度議論されなければならない。結果として議論が拡散したり、一部の不適切な記述は見逃されてそのまま残り続ける羽目になる。
  3. ウィキペディアではボランティアによる修正・加筆に頼っているため、明らかな誤りでも放置される可能性が高い。たとえばウァレンス帝の記事には「ウァレンスは、「背教者」ユリアヌスの時代に提起された神学上の諸問題を解決した。またアリウス派の司教たちを解任し、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の堅持を再確認した。」という完全に誤った記述が初版以降7年弱にわたって一貫して保持されている。しかし私が「政教分離の歴史」記事の脚注で明示しているように、ウァレンス帝は正統派の司教を解任してアリウス派を採用した皇帝であり、私が政教分離の歴史の脚注で挙げている3つの文献のいずれかを確認すれば、それはすぐにわかるし、あるいはほかのまともなビザンツ史についての文献を確認すれば、即座に修正できる類の情報である。本文中にある「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」は正統アタナシオス派的な信条であるが、実はこのときウァレンス帝が依拠したコンスタンティノポリス信条はコンスタンティウス二世治下の360年に採択されたアリウス派的なコンスタンティノポリス信条のことである。普通に考えればニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択されたのは381年であり、ウァレンス帝の死後のことであるから、ウァレンス帝がそれに依拠することは物理的に不可能である。また私が修正する前のエウセビオスの記事でも多くの誤謬があった。これが改変直前の記述であるが、まず冒頭文で「パンフィロスの友エウセビオスなどと呼ばれることもある。」と書いてあるが、これは根拠がない。ちゃんとした文献に当たれば当時のギリシャ語で「~の~」という名前の構造は「~の子~」を指していたことがすぐわかり、事実エウセビオスに関する信頼できる文献では「パンフィロスの友エウセビオス」などという記述は一つも確認できず、すべて「パンフィロスの子エウセビオス」と言及されている。さらにこの「パンフィロスの子エウセビオス」という呼称については長い論争の歴史があり、エウセビオスについて普通に知っている者は間違えようのない記述である。本文中には「296年にはディオクレティアヌスと共にパレスティナを訪れたコンスタンティヌスに会っている。」という記述があるが、エウセビオスは自身の著作でコンスタンティヌス帝を見たと言っているのであり、会ったとは言っていない。これは英語版のseeを誤訳したのかもしれない。いずれにせよ、文献を確認すれば状況はすぐに分かる事例である。さらに本文中「その中にはアレクサンドリアの司教(主教)アタナシオスや、のちにエウセビオスの後任としてカエサレア主教となったバシレイオスもいた。」とあるが、後者はカイサレアのバシレイオスのことであるが、彼が司教になったのは小アジアのカイサレアでエウセビオスが司教であったシリアのカイサレアではない。つまり、バシレイオスはエウセビオスの後任ではない。最後に「資料を駆使して『教会史』『コンスタンティヌスの生涯』をはじめとする多くの著作を残し、すぐれた著述家として名声を博していたエウセビオスは、晩年になって政治的陰謀を好む策略家に変わったという印象を人々に与えることになった。」とあるが、たとえ元の英語版にあったとしてもこのような偏見に満ちた記述を出典もなく記載するのはいかがなものか。エウセビオスについての基本的な文献、たとえば秦氏の文献を確認しても事情は全く異なっており、むしろこの記述は同時代人であるニコメディアのエウセビオスのイメージに近い。ニコメディアのエウセビオスはコンスタンティヌスの寵愛を利用してアタナシオス派を次々と追放させている。あるいはこれも誤訳かもしれない(ただし、これについては邦文文献でも表現に幅があり、カイサレアのエウセビオスをオリゲネス派の領袖として論争の一方の主唱者とする見方がないわけではない。が、それにしても「晩年になって政治的陰謀を好む策略家に変わったという印象を人々に与えることになった。」という表現は出典がないとすれば度が過ぎている)。つまるところ、自己参照によってこのような明らかな誤りを含む記述が正しいと誤解されて他の記事に写されてしまう可能性があるばかりか、こういった誤謬の単純コピーによって、ほかの記事の品質・信頼性を下げる可能性がある。これを避けるためには編集者が出典をその都度確認するという地道な作業に頼らざるを得ない。
以上のような弊害を確認すれば、自己参照が決して認められるべきではなく、記事の記述をコピーするときはウィキペディアの検証可能性に則り、出典を確認することが適当であることが理解できると思います。翻って、今回のNakata88氏の行動が適切だったかどうかもう一度よく考えてもらいたいと思います。--Kanbun 2011年2月20日 (日) 01:25 (UTC)[返信]
  • Kanbunさん。上でもかいてますが、記事を編集するときは、自分が執筆した部分以外は全部引用してることになります。わたしが、本文を要約したのは、要するに引用の一形態ですからそれと同じことです。その点で、他の記事をソースにした自己参照ではなくその記事内の問題です。その点については上述されているとおもいます。もし、加筆する場合に(その記事の要約を作る場合も)出典すべてを再確認するというのが義務だとおっしゃるのなら、自己規範としてとどめておいてください。ウィキペディアでは加筆する場合に全部の出典の再確認は求められていません。ただし、Kanbunさんがされるのは自由です。多分されてないとおもいますが。Nakata88 2011年3月2日 (水) 18:14 (UTC)[返信]
ノート:樺太朝鮮人虐殺事件に端的に被依頼者の編集姿勢が現れていると思います。当該記事はほとんどを崔吉城の出典に頼ってますが、被依頼者はその出典のみに依拠する記事にもかかわらず断定調での記述に拘っています。Wikipediaの方針では客観性担保のため互いに独立した複数出典が推奨されていると説いても崔吉城の出典は学会の査読を受けているためそれのみによって断定調で記述するのに問題なし、出典がそれしかないのだから信じるしかない、しまいには出典に断定調で書かれているのだから断定調で記述しなければ検証可能性にもとる、というような出鱈目な論法で自説に拘泥している有様です。既にコミュニティに疲弊をもたらしているレベルだと思います。--Truesight 2011年2月27日 (日) 06:24 (UTC)[返信]
私は別に意図的に出典を隠しているわけではありませんし、独立した観点を提供する複数出典があれば、それを載せることにやぶさかではないです。問題なのは、独立した観点かどうか不明だが複数の出典が挙げられていることは事実なのにもかかわらず、Truesight氏がご自身の思想信条からこういう事件を「韓国人の捏造の可能性がある」と根も葉もない話をしてごねていることです。--Kanbun 2011年3月1日 (火) 12:42 (UTC)[返信]
わたしがいつどこで「「韓国人の捏造の可能性がある」と根も葉もない話をし」ましたか。根も葉もない話をしないでください。--Truesight 2011年3月2日 (水) 12:42 (UTC)[返信]
私はTruesight氏のこの発言を話しています。Truesight氏は「韓国の学者の出す著作などは多分に反日的色彩をおびいており、客観性に欠けていることが往々にしてある」ので、樺太朝鮮人虐殺事件が「崔吉城と林えいだいしか出典がない状況では事実であるかどうかわかりません。」と述べています。要約すると、韓国人の研究は反日的なので、崔氏の論文は事実でないことを述べている可能性がある、つまり捏造の可能性があるということです。私にはウィキペディアでは判断不能な事実性を問題にするTruesight氏の観点はかなり問題と思いますが、それ以上に「韓国の学者の出す著作などは多分に反日的色彩をおびいており」という偏見に基づいて議論をされることは全く生産的でなく、コミュニティを疲弊させるものです。その他当該議論を通じてTruesight氏の検証可能性の方針理解には致命的な誤解が多々見受けられます。--Kanbun 2011年3月2日 (水) 14:35 (UTC)[返信]
そういうあなたの牽強付会なものの考え方がここで問題になっているのですよ。上であなたがいってることについては既にノート:樺太朝鮮人虐殺事件にて解説を行っているのですが、全く読んでないか、もしくは読んでても理解できていないようですね。あなたには何度か人の意見をちゃんと確認するよう注意をしているはずです、勝手に人の意見を悪い印象を抱かせるような間違った形で要約しないでください。そういう行為こそが、コミュニティに混乱を招き、いらぬ軋轢を呼び、ひいてはコミュニティを疲弊させるものなのです。致命的な方針の誤解というのなら、出典に断定調で書いてあるなら記事にも断定調で書かなくては検証可能性にもとる、というあなたの誤解に勝るものはありません。--Truesight 2011年3月2日 (水) 15:50 (UTC)[返信]
Truesight氏の意見というのは、「出典が少ない場合は伝聞調にすべき」とか「断定調では事件を事実だと伝えてしまう」などというウィキペディアの方針文書のどこを読んでも載っていない、主観的な意見のことですよね。検証可能性をしっかり読めば、ウィキペディアでは事実性ではなく検証可能性が問題とされること、出典を示す場合は一般的に<ref>タグを用いるか参考文献節を用いることが述べられています。さらに出典が信頼できない情報源、たとえばタブロイド紙などの場合は、「~によれば」と本文中に書いて出典を明示する必要を述べていますが、Truesight氏の主張する、伝聞調にしなければならないなどという文言は一つもありません。そして伝聞調にすると意味内容が変わってしまうということを指摘しているのは、私だけではないにもかかわらず、そういった意見を無視し方針文書に基づかない主張を繰り返しているのはTruesight氏です。--Kanbun 2011年3月3日 (木) 00:25 (UTC)[返信]
分からない点があったので一つ質問です。「伝聞調にすると意味内容が変わってしまうということを指摘しているのは、私だけではない」どこでどなたかがされていましたでしょうか?ノート:樺太朝鮮人虐殺事件ではKanbunさん以外にそういった主張の方はいなかった様に思うのですが。--はぬまん 2011年3月3日 (木) 04:31 (UTC)[返信]
このコメントをご参照下さい。--Kanbun 2011年3月3日 (木) 12:25 (UTC)[返信]
失念していました、ありがとうございます。--はぬまん 2011年3月3日 (木) 15:16 (UTC)[返信]
かように、Kanbun氏は独自の解釈で、出典の乏しい事象でありながら、その出典のみを妄信し、閲覧者のミスリードの危険性をはらむ、断定調での記述に異様に固執する有様です。--Truesight 2011年3月5日 (土) 08:24 (UTC)[返信]
なるほど。ではTruesight氏は、信頼できる情報源に基づく情報でありながら、その信頼性を主観的な理由で一方的に疑い、閲覧者のミスリードの危険性をはらむ、伝聞調での記述に異様に固執する有様というわけですね。--Kanbun 2011年3月5日 (土) 08:27 (UTC)[返信]
Wikipediaではそのような信頼できる情報源を複数提示することが求められ、その場合においても報告するだけという姿勢が求められます。あなたのように単一情報源のみを妄信し、まごうことなき事実で在るかのごとく記載するという姿勢は忌避されるべきものです。--Truesight 2011年3月5日 (土) 08:57 (UTC)[返信]
まず「Wikipediaではそのような信頼できる情報源を複数提示することが求められ、」というのは明らかな方針文書の誤読ですので、正確な認識をお願いいたします。「同意または非同意の先入観は常に自明ではないので、1つだけの情報源では不十分です。違うのを探して照合してください。複数の独立した情報源が合意していて、どちらも先入観の入っていることを示す強い理由がないか、先入観が違う方向を指していれば、信頼できる根拠があるといえます。しかしながら、わたしたちは、当然編集者はもっとも権威のある情報源を探すべきだとしても、「信頼できる」出版社が出版したものを報告するだけだということを心にとめておいてください。ウィキペディアの方針独自研究は載せないと合致させるため、わたしたちは自身の意見を追加することはできません。」以上のように、複数の観点での文献を求めることは推奨されていますが、直後に信頼できる情報源の情報が優先されることが書かれています。そして、検証可能性を見れば、「信頼できる情報源」として「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。学術的な主題については、なるべくピアレビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです。」と書かれているのですから、ピアレビューを経ている崔氏の文献を疑うのは個人のレベルでは結構ですが、記事内容に反映させるレベルでは無理な注文でしょう。また当該記事はウィキペディアの方針文書に則って「報告する」形式を踏襲しており、断定調だから報告していることにはならないというTruesight氏の主張は方針文書をかなり曲解したものです。そもそもウィキペディアの内容とは事実ではなく検証可能だということを示しているに過ぎないということをわかってないように思われます。たとえば「Aは芸能人である」という断定調の記述がウィキペディアにあったら、それはAが芸能人だということが事実だという意味ではなくて、Aが芸能人だということが検証可能だという意味であることは言うまでもないでしょう。そして、信頼できる情報源によってその情報が事実として示されているので、我々はそれを検証可能だという意味で事実として記載できるのです。「記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」つまるところ、Truesight氏は当該記述を真実かどうかではかるという誤った見解に陥っています。--Kanbun 2011年3月5日 (土) 09:20 (UTC)[返信]
私が出典を示して記述していることを、その出典を「妄信」しているからだなどと言えるTruesight氏の認識は、個々の編集者の編集行為が本来「個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ない」というウィキペディアの方針を全く理解していない証拠であり、彼が方針文書の熟読を必要とする根拠となるでしょう。私が崔氏の記述にこだわるのはあくまでその出典としての信頼性を頼むのであり、私自身が事件を事実だと判断しているわけではないことは以前から何度も申し上げていることです。そして、Truesight氏の主張には信頼できる情報源による裏付けがこれっぽっちもないのです。--Kanbun 2011年3月5日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
その方針文書の解釈は誤りです。--Truesight 2011年3月5日 (土) 09:46 (UTC)[返信]
誤りだというのなら具体的に指摘して下さい。上で述べたように方針文書を正しく解釈すれば、Truesight氏の方針理解は全く誤ったものです。--Kanbun 2011年3月5日 (土) 11:27 (UTC)[返信]
上記の方針文書は草案段階であり、該当箇所の英文和訳の誤りを私は正しただけです。上記のコメントを見ても分かるとおり、樺太ニフティ氏はおそらくウィキペディアの方針文書の成り立ちに対して正しい認識を持っていないように思われます。--Kanbun 2011年3月7日 (月) 03:57 (UTC)[返信]
確かに草案です。草案はウィキペディア内で効力を持たないこともテンプレート中で謳われてます。しかし、ここでの議論では、その解釈がさかんに取りざたされているように実質的にはルールに準ずる扱いを受けているものです。そもそもなんら効力も持たないものであれば何故わざわざその修正を行ったのでしょうか?それと英語版Wikipediaのルールは参考にされるだけで、必ずしも忠実に日本語版Wikipediaのルールとされるわけでは在りません。そのローカライズはコミュニティの合意を以って行われるものです。以上を考えるとKanbun氏の改変は自論を優位にすすめるための独り善がり、身勝手な行動と見るほかありません。予め断っておきますが、ここではKanbun氏の行動に疑義を呈しているのであってその改変内容の是非は問うていません。--Truesight 2011年3月7日 (月) 12:03 (UTC)[返信]

終了提案

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節切り直し。--Watchdog daemon 2011年3月20日 (日) 12:49 (UTC)[返信]