Wikipedia:コメント依頼/ザな
利用者:ザな(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの編集姿勢・議論姿勢についてコメントを依頼します。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 16:26 (UTC)
これまでの経緯
編集ザなさん(以下、被依頼者)はWP:検証可能性を理由としての記述大幅除去を度々行っていますが、過去にはこれを理由として裁量ブロックを受けています(利用者‐会話:ザな#ブロックを参照)。
今回、驚愕にて同様に記述除去を行った際に追記者であるSuzukana Wamiさんと対立を起こしました(Suzukana Wamiさんについても無問題という訳ではないですがここでは割愛します)。その後ノート:驚愕にて私とフューチャーさんが除去された内の一部画像について「掲載はしてもよいのではないか」との意見を出している状況だったのですが、ここで被依頼者が「wikipediaの記事内容はすべて、ルールである「方針」の1つWikipedia:検証可能性を満たす必要があります」と宣言し私とフューチャーさんの意見を無視して画像を再度除去する、WP:POINTとしか言えない編集を行いました。
これについては一度差し戻した上でノートページでの議論に移ったのですが、私やフューチャーさんが幾度となく「検証可能性を問題視するなら何の検証が必要なのかを明らかにする必要があります」「この画像がWikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性に関してどのように問題と考えているのか具体的に説明してもらえますか」と「どこがルールに則っていないと考えているのか」(=どこを直せば良いのか)を尋ねているにも関わらず「ルールとして『車検』が必要な地域で、この車の運転に『車検』がなぜ必要ですか?と問うのと同じ話です」とさもこちらがルールを無視しようとしているような決めつけや改善の余地無しとの決めつけといった返答ばかりで議論がほとんど成立しませんでした。
加えて、こちらから何度も具体的内容を要求していたWP:中立的な観点に関する「確認がとれない」から反対意見に含めていたという点についてです。問題があるかもしれないというだけで反対意見が成立するなら文句をつけた側の意見が絶対通るということになってしまいますし、何が問題とも考えていない状態ではどのような反論をしたところで「まだ問題があるかもしれない」といつまでも納得しないのは目に見えています。
その後、あとから議論に参加したぷにをさんや肉巻きハンバーグさんから被依頼者に「やりすぎ」であるとの意見が寄せられましたが、それに対しても「「敷居が高く」==「手続きが大変」というのであれば「方針」に問題があるのであって、そちらの「改定」を議論して解決するものです」と方針をないがしろにしていると決めつけたりするばかりで、自身の側に誤りがあるのではないかとの発想は全く無いようでした。本依頼提出直前にも「Wikipedia:検証可能性とWikipedia:独自研究は載せないの方針への違反」と全く賛同を得ていない自論が議論の大前提であるかのような発言をしており、他者の意見が全く意味を持っていません。質問しても具体的な回答がない、そもそもの根拠に具体性の欠けるものがある、異論しか寄せられない状況でも自論を押し通そうとするというのでは、被依頼者との議論はただ疲弊をもたらすだけの不毛な物と言わざるを得ません。
以上の被依頼者の振る舞いについてコミュニティを消耗させる利用者に相当するものと考え、コメントを依頼します。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 16:26 (UTC)
依頼者コメント
編集利用者‐会話:ザな#ブロックでもノート:驚愕でも方針文書の細かい文言ばかりを持ち出して自身の正当性を主張されていますが、方針文書に厳密に則っていなくとも周囲から振る舞いを問題視されることには相応の意味があるのです。議論姿勢についても、何を問題視しているかはだんまりでただ否定ばかりしてくるというのは、自身が記述の採用可否を判断する試験官のような上位の立場と考えているようにすら感じます。また、賛同を得られない状況でも自論を絶対的なものとして話を進めようとするいつまでも納得しない振る舞いから、合意形成がほぼ不可能で周囲の疲弊ばかりもたらす方と言わざるを得ません。利用者‐会話:ザな#Template:任天堂での編集についてを見ても五本の柱から「誰でも編集が可能です」といった部分だけを抜き出して解釈している有様であり、ウィキペディアが共同作業を根本とすることを全く理解していません。--横たわる猫(会話) 2025年2月6日 (木) 16:26 (UTC)
被依頼者コメント
編集第三者コメント
編集コメント 議論に参加しているので完全な第三者ではないのですがコメントします。まず、私の立ち位置ですが今回の議論の発端になった「驚愕」ではどちらかと言えば被依頼者と同じで(最終的には)画像は除去する方がいいのではないかという意見を持っています。しかし、被依頼者のコメントの多くに賛同できていません。例えばこちらのコメントでは作者の公式ページに画像があること、画像自体にSurpriseの記述がされていることは検証可能です。そのこと自体についても被依頼者も認識した状態で「ファイル名」や「コモンズの記述」を元に否定するのは前提が間違っています。またそれらの情報が出ているのにこれ以上の情報を必要といい、必要な理由は三大方針のトップリンクを貼るだけでその中の厳密にどの部分が具体的にどのように満たされていないという部分の説明が抜けています。それで議論相手に伝わるのであれば問題ないですが今回は誰もその具体的な部分を理解できていません。それを指摘されても三大方針をあげるだけであれば対話拒否であり、コミュニティを消耗させる利用者であると考えるしかありません。--ぷにを(会話) 2025年2月7日 (金) 01:37 (UTC)
- コメント 方針やガイドラインの運用の基準が独善的であり、また他者とのやり取りでは極めて過敏になって他者の立場を決めつけて一方的に責める上に、方針やガイドラインをただ示すだけで具体性や適切さを欠いた主張で済ませようとしてしまう傾向が見受けられます。そのような雑な行動で混乱や軋轢を生み出す一方、それを収拾する適切な根拠の提示や運用を示すことができないために誰の共感も得られず、説得することもできず、結果として事あるごとにコミュニティの疲弊を招く結果となり現在に至っています。都合の悪い質問は黙殺し、雑に別の方針やガイドラインを持ち出す、話題を変えようとする、意味不明な喩え話に置き換えて自説を通そうとするなど説明責任を果たさずに腕尽くで解決しようとする不誠実な対話姿勢も問題の解決を遠ざけています。方針の厳格な運用を意図しているかもしれませんが、今現在でのザなさんの振る舞いは方針を過剰かつ独善的に濫用し、それが自分の判断基準でしかないために他者に適切に説明できず説明責任を果たす意思も欠如しているために軋轢をもたらす結果しかもたらしていません。現状、ウィキペディアの共同作業と発展を阻害する利用者といえるでしょう。改善の前提条件として、まずそのような自覚を持つことが重要です。もしそれができず現在の言動を繰り返すのであれば、自覚のための時間をブロックなどの手段により確保することがザなさんとウィキペディア双方にとって必要な措置となると思われます。--Sikemoku(会話) 2025年2月7日 (金) 09:33 (UTC)一部追記修正--Sikemoku(会話) 2025年2月8日 (土) 02:42 (UTC)