Wikipedia‐ノート:中立的な観点/過去ログ1
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地動説
編集勘違いでなければ,地動説の迫害と反論のくだりは,中立的な記述のいい具体例なんじゃないかと思います.このページからリンクすべきかどうかはわかりませんが.--Marsian 2004年7月29日 (木) 05:57 (UTC)
営利企業
編集以下は、本文の「中立的な観点についての声明(オリジナル版)」に対してIP:222.3.78.150さんが2005年4月29日 (金) 02:45 (UTC)に行われた加筆を、本文より削除してノートに移動したものです。
- 「営利企業は犯罪集団である、というような議論を展開するべきではありません。」というのはソースネクストに関する記述以外に見あたりませんので、記入責任ある者として反論させていただければ、私は「営利企業は犯罪集団である」などといった幼稚かつ馬鹿げたことは書いていません。これは読者を欺く主張です。なぜこういう改変がなされるのか理解に苦しみます。
- 本来、記述されたのは「ソースネクストという企業は創業時にSSIトリスターという企業に対し、業務上横領、特別背任などの犯罪を犯して自分のものにした企業であり、その後も違法コピーとか売上代金の誤魔化しなどを行って、いまや上場を視野にまで入れている会社である」という趣旨のものです。
- これは客観的事実であり、しかも公序良俗に関わる問題です。事典というものは<事実>を書くものではなかったのでしょうか。明白な犯罪事実を記述することがなぜ中立に反するのか理解できません。読者は正しいことを知るために事典を見るのではないのですか?
本文を読めば分かることですが、そもそもこの節は英文版からの翻訳です。従って、IP:222.3.78.150さんの勘違いであることは明らかですので、本文から除去しました。 -- NiKe 2005年4月29日 (金) 03:09 (UTC)
ウィキニュース日本語版への移植について
編集このページは、ウィキニュース日本語版への移植のため、現在、一部を改変して m:Ja.wikinews 中立的な観点 に複写してあります。近日中にウィキニュース日本語版に複写されますが、ウィキニュース日本語版はGFDLではなくクリエイティブ・コモンズ-帰属(CC-by)となる見込みです。この複写に疑問や異論のある方は、利用者‐会話:っにお申し越し下さい。--っ [Café] [Album] 2005年6月19日 (日) 16:49 (UTC)
方針声明
編集日本語のウィキペデッアに来てみたが、それぞれの記事で中立的でないという理由で削除される編集が多いと感じた。この場合見解の帰属を変更すべきで編集そのものが削除されるべきではない。おかしいと思い、ここにきてみたら案の定、基本方針が原案と違う。原文では見解が公正に提示されるべき(these are fairly presented)とあるのにここでは意見を公正に考慮してに変わっている。最も普及した見解だけでなく関連のあるすべての見解が提示されるという表現も明記されていない。他の項目でも中立的観点の原案に正確な描写がなされていると言えない。Vapour 2006年3月2日 (木) 20:31
View 対訳
編集ここでは観点と訳されていますが、これはどうでしょうか。見解と訳してみましたがこれはOpinionの対訳なのでやめます。観点の一番近い対訳はPerspectiveでViewの対訳は視点のような気がします。Vapour 2006年3月3日 (金) 14:03
辞書で調べてみました。(Point of View)の対訳は観点、視点、見解。Opinionは見解あるいは意見。問題はPerspectiveで観点ではあるが見解あるいは意見ではない。つまりPerspective->PointOfView->Opinion。やはり見解が正しい訳と感じられます。これに基づく編集はこのサイトの基本方針に関するページを大幅に変えることになるので、ご意見お待ちしています。原文対訳のところだけ見解の訳で書き直します。Vapour 2006年3月3日 (金) 14:57
(Point of View)は観点、Viewは見解にしました。Vapour 2006年3月5日 (日) 10:15
序文
編集テンプレート、項目の分類、ポータルは実際何の用語が日本語ウィキペディアで使われているか知らないので直訳しました。ここの実際の用語と違う場合は変換してください。ウィキペディア三大方針は相互補完、譲渡不能で他の方針あるいは編集者の合意などにおいて代替されるものではないまさに憲法のようなものなのに立証可能性(Verifiability)と否自己研究 (no original research)がこのページには乗っていない。他のガイドラインと基本方針のページも見てみましたが、見落としていない限り立証可能性(Verifiability)と否自己研究 (no original research)の項目はない。これはどういうことでしょうか。日本語であろうともこのサイトはウィキメディア財団に管轄されているはずです。NPOVの翻訳についても言えることですが日本語ウィキペディアは何でもありの民主主義状態なのですか。。Vapour 2006年3月5日 (日) 13:56
- 文体、言葉の選択、その他へんてこりんでしたのでrvしました。序文はあとで訳しておきます。日本語の勉強がんばってください。--Suisui 2006年3月5日 (日) 20:39 (UTC)
- 言葉の選択が変なのは英語の直訳のせい。自分の日本語の能力とは全く関係が無い。文体直してくれといったのは英語の直訳が日本語では不自然であり、また漢語調な事をさしている。翻訳はそれなりの時間と労力がかかることなので普通の誰でもできることは他の人にお任せでほって置いただけ。ここでは文体が口語調であるがこれは中学生の作文のようなもので学術的文体であるべき百科事典には全く適さない。また日本語のウィキペディアはいままで見た限り相当適当なことをやっているようなのでどうかしらないが学術論文を基礎とすることは本家のウィキペディアでは方針のとしてしっかり明記されている。よってこの規定はこの本文にも適用される。家電製品のマニュアルのような書き方ははっきり言って百科事典が何であるか全く理解していない。ついで言うが原文の対訳がへんてこりんだと感じているのは英語の翻訳がどうであるべきか、それと学術的文体がどうであるべきか理解していないだけ。Vapour 2006年3月6日 (月) 00:45
- 残念ながらあなたの日本語は非常にぎこちなく、不自然なものです。直すとか直さないとか、直訳とか学術的とかそういったレベルの話ではありません。ウィキペディアは必ずしも学術的内容だけを扱っているわけではありません。日本語で刊行されているほとんどのマニュアル類、使用法などのメタ文書はですます体で書かれており、ウィキペディア日本語版でもそれにならいWikipedia名前空間はですます体で統一しています。それを中学生の作文とお感じになられるのはやはり言語能力の問題があると思わざるを得ません。今後変更をなさるときは直接編集せずノートで提案してくださるようお願いいたします。見張ってるのも手間なので。--Suisui 2006年3月6日 (月) 02:02 (UTC)
- 全く百科事典が何かということを理解していない発言。百科であるのだから学術的内容以外のもの、たとえばアニメなどを扱うのは当然。百科事典においてはその説明の文体が学術的文体でなければならない。中立的観点方針というのは一つの項目内容であるのだから最初に百科事典の一記事として書かれるのが順当。「中立的観点方針マニュアル」という記事を他に作るのならまだ話は別。実際英語ウィキペディアではそういう方針でTutorialという別の記事が存在する。NPOVの記事と比較してみれば前文が日本語で言うですます体、後文が学術体なのは明らか。この中立的観点方針の本文がマニュアルであることからウィキペディアは百科事典であるという基本原則からすでに外れている。以前の翻訳は自然な文章であるかもしれないが、主語、述語、目的語が原文とすれ違っている、あるいは原文と一致しない対訳が使われている。つまり基本方針であるNPOV(内容を正確に描写する)方針を違反している。本家のウィキペディアでは日本人を含め英語を母国語をしない者が大勢参加しているが、多少の文法が間違っている程度でも基本原則に沿った記述の場合、削除されるのではなく文章が改善されるだけ。対訳・直訳を内容を改ざんしないでもっと自然な文体にかえるのは大いに結構。日本語が不自然であるというだけでもっと大事な基本原理に違反している編集を好むのはウィキペディア議論の逆立ち。「第一次世界大戦は1910年に始まった」という編集が「第一次大戦は1914年に始むった」という編集よりも優れているというようなもの。間違った(不自然な)対訳と思うのなら、原文の引用を基に議論をするべき。ついでに言えばこのサイト全体でNPOVなどの基本原理が正確に翻訳されていない、あるいは翻訳自体が存在しないためどうでもいいような細かいガイドラインが氾濫している。本家では内容に関する基本方針は6、ガイドラインは10。こちらでは内容に関する基本方針の項目自体が存在しないかわりに内容についてのガイドラインが20以上もある。憲法(基本方針)をきちんと成文化する前の民主主義状態なのだから利用者が圧倒的に少ないはずの日本語ウィキペディアで本家ウィキペディアと同レベルの編集合戦が起こるのは当然。Vapour 2006年3月6日 (月) 03:47
- そうですね。私がVapourさんの考えている百科事典とは何であるかを理解しているはずはありません。どこにもあなたはそれを書いておられませんから。私が感じたところによればそれ以下ほとんどの記述はVapourさんの視点からによる偏った意見と思考の飛躍のオンパレードですので、Vapourさんはご自分がNPOVをよく理解されていると思っていらっしゃるようですので、ぜひ一度ご自分の意見から離れた点からで一つ一つ考え直してみてはいかがでしょう、と提案しておきます。何故policyが学術的文体でなければいけないのか。何故英語版を本家と呼ぶのか。何故その「本家」では中立的な観点が一記事として書かれていないのか。Vapourさんの書かれているのは日本語で意味も通りますが、論旨が見えません。単に現状を批判したいだけなのか、原因は何か知りませんが怒りの矛先をウィキペディアに向けてみただけなのか、それとも何か使命感(ウィキペディアをよくしようとか)に燃えて書かれているのか、ぜひ教えていただけないでしょうか。
- 上でも下でもVapourさんが言及されている英語->日本語化の方法は主に下訳のときに気にすることばかりに思われます。実際一般の人の目に触れる日本語、あるいはいわゆる翻訳文章を書かれたことがないのかもしれない、とすら感じます。以下私見ですが、翻訳された文章はまず何よりも翻訳された言語、ここでは日本語であるべきで、日本語として不自然な表現やわかりにくい文章の組み立てはできる限り避けるべきと私は考えています。理由は単純です。読んで理解しにくいものは誰も読まないし参照しないからです。その際に正確性を欠いてはいけない、という点にのみ同意いたします。が、私は理解に力が要る文章ほど正確性よりもわかりやすさを重視した編集、翻訳にすべきと考えています。
- もし単に批判するのでなく、協力していただけるのでしたら、現在英語版でpolicyとなっているもののうち30から40程度を再翻訳する考えでおりますのでご協力いただけると幸いです。--Suisui 2006年3月7日 (火) 04:03 (UTC)
- 「ウィキペディアは必ずしも学術的内容だけを扱っているわけではありません。」と前に書かれた記述は自分が行った文体に対する批判への的外れな反論。この特定の発言が間違っているという自分の批判を、個人的な攻撃であるとすり変えての反論であるのなら、それは論点外しの繰り返し。こちらの見解が偏っていると考えるのであればどの特定の記述が偏っているか論じれば済む話。単に「そちらの視点は偏っている」や「お前は分かっていない」というような一般論はちゃんとした議論になっていない。「論旨が見えません」という論議もそれと全く同じで、「この部分の論旨がおかしい」という議論と違い、反論の対象となる論点自体が存在しないので反論になっていない。個人的な態度に対する批判もそれと同類。よって最初の段落には建設的な議論が存在しない。
- 次の段落は「正確性よりもわかりやすさを重視した編集、翻訳」という論点が展開されているが、これは「第1次世界大戦は1910年に始まった」という記述が「第1次世界大戦が1914年に開始しる。」よりも優れているというようなもの。これは正確な論点の描写を目指す「中立的観点」からも「百科事典」という定義からも明らかに遺脱している問題外の論点。日本語の「自然な表現」などはガイドラインの一項目に過ぎないもので方針の優先基準が明らかに逆転している。ちなみに自分は翻訳を自然な日本語に改善するのには、それが原文に忠実である限り異論がないことはすでに明言している。
- 「現在英語版でpolicyとなっているもののうち30から40程度を再翻訳」には賛成できない。多量の英語版の文章の翻訳の努力には敬意を払うがこれが日本語版の議論の妨げになっていると感じる。自分は翻訳・移植を行うのであればそれは正確になされなければならないという見解だが、一方で日本語版が英語版の移植に振り回されている現状は好ましいものであると思っていない。それに関わる意味で、現在Wikipedia:基本方針とガイドラインの記事の改正草案を提示している。Vapour 2006年3月13日 (月) 12:11
NPOV・中立的観点・中立的な観点
編集ここではNPOVが中立的な観点と直訳されそのまま使われているがこの時点ですでに翻訳上問題がある。NPOVは正確にはNPOV方針が固有名詞化したものでこれはすでに英文ウィキペディア内ではすでに独立した用語でこれをそのまま中立的な観点とするのは正確な訳ではない。まず日本語ウィキペディアではNPOVが独立用語であることが明記されていないため中立的観点と書いてもこれが特定の方針を指しているのか一般的意味での中立的な観点を指しているのかはっきりしない。本家では方針を指す場合はNPOVが使われる。よって正確な訳はNPOVをそのまま使う、あるいは中立的観点方針と言う、あるいはNPOV/中立的観点と書いて中立的観点のウィキペディアでの固有名詞化を同じように促すのが最適であると考えられる。よって中立的な観点あるいは中立的観点を単独で使うのは好ましくない。中立的観点方針が一番正確なNPOVの日本語訳でであるが直訳を尊重することも含めてNPOV (Neutral Point of View - 中立的観点)と訳している。これを中立的観点方針あるいはNPOVあるいはNPOV・中立的観点にするのはウィキペディアの便宜上の政策なので自分は特にかまわないが、中立的観点だけあるいは中立的な観点と訳すのはは誤りであると考えられる。特に異論がない場合は中立的観点方針に変えさせてもらう。個人的な意見であるが日本語(漢字)は外来語より意味の疎通において優れている。Vapour 2006年3月6日 (月) 01:34
保護のお知らせ
編集編集合戦によりWikipedia:中立的な観点を保護しました。議論は要約欄ではなくノートでお願いします。なお、重要方針であるため、保護タグは貼っておりません。--miya 2006年3月6日 (月) 02:22 (UTC)
中立的な観点についての声明(オリジナル)
編集- A general purpose encyclopedia is a collection of synthesized knowledge presented from a neutral point of view. To whatever extent possible, encyclopedic writing should steer clear of taking any particular stance other than the stance of the neutral point of view.
「一般利用のための百科事典は、中立的な観点から編纂、収集された知識を集めたものです。百科事典の記事を書く際には、中立的な観点以外のどのような特定の立場をとることも、可能な限り明確に避けるべきです。」
「全般百科事典とは、中立的観点から総合された知識の収集体である。百科事典的の記述は可能な限り中立的観点以外の特定の立場をとることは避けるべきである。」
general purpose = 用途の広い、多目的の、汎用の。一般はgenerallyのほかにcommonly(普通)とordinary(平凡)という意味があるので不適切な訳。general purposeはそれ自体で別の意味を持つ用語。generalだけで訳すと意味自体全く異なる。明らかに一般が間違っていたので原意に近い全般と訳した。汎用と代えるのは問題なし。
collection=集合体(収集体) は一つの独立用語。集めたもの=collected thingなどと訳すのは誤訳
synthesize knowledge=統合された知識。編纂、収集された知識などという訳はsynthesized knowledgeの原文からはありえない。しかも収集されたはcollectedを重複表現。
To whatever extent possible。翻訳はできる限り原文の文の順序を尊重する。よって最善なのはが最前列。これは適当にやってしまったので自分にも落ち度があるが最後列にするのは英語の文の流れを無視するもの。
encyclopedic writing=百科事典的の記述=百科事典的(な)記述(「の」はワープロミス)。「百科事典の記事を書く際には」などという訳は主語自体の改ざんで問題外。
taking any particular stance other than the stance of the neutral point of view=中立的立場以外のどの特定の立場をとる。自分の訳はany=どの・どのようなを見落としたのでここは間違い。
steer clear of=避ける 研究社リーダーズ英和辞典 明確に避けるなどと訳すのはsteer clear of自体が用語であることを知らずclearを明確になどと翻訳してしまったから。
最初の二文だけで前者は全くいい加減な翻訳であることは明らか。はっきり言って全文の全部の間違いを出すのは多すぎるから勘弁。アイリシチャンの本が英語は完璧かもしれないが歴史書として失格なのといっしょ。自分の翻訳はたまに細かいところをぽかするが翻訳の基本を間違えることはない。前者の翻訳は原文を尊重するという翻訳の根本的態度が欠けている。何度も言ったように英語の原文を参照する形で対訳を日本語にもっと自然に訳せるのであればそれは改善であるのだから大いに結構。英語の原文には見向きもしないで日本語の文体ウンチクでrvをかけるのは問題外。最後にJimbo Wales はNeupediaの創設メンバーの一人で,ウィキペディアの単独創設者。Vapour 2006年3月6日 (月) 05:11
- 「general purpose」「steer clear of」に関する指摘は正しいですね。他は少々疑問ですが。
- 英語と日本語は異なる言語なので、必ずしも直訳・逐語訳が最も正確な翻訳になるとは限りません。直訳して意味は通じても一般的ではない表現になるのであれば、その文章の主旨を大きく変えない限りにおいて他のより適切な日本語表現を使用するのは至極妥当なことです。例えば「a collection of」は、直訳すれば確かに「集合物」になります。しかし、「a collection of」が英語の日常的文章でも広く使われる表現であるのに対し、「集合物」という表現は日本語文章ではそう使われず、英語における「a collection of」のような使い方もまずされません。つまり、「a collection of」を「集合物」に直訳すれば、「a collection of」が英語において本来持つ「一般的な表現」というニュアンスを失い、妙に硬く不自然な表現になってしまう。「encyclopedic/百科事典的」も同様です。いずれにしろ完璧な翻訳などは不可能なわけで、原文の厳密な意味を知りたければ原文を直接読む以外にありません。
- また、ウィキペディア日本語版は別にウィキペディア和訳版ではありませんので、ジンボ氏自身の言明の部分はともかくも、その他の部分まで一字一句正確に翻訳する必要はないでしょう。en:Wikipedia:Neutral point of viewの残りの文面は、ウィキペディア英語版の参加者がジンボ氏の言明を独自に解釈して作成し、ウィキペディア英語版の参加者のコンセンサスによる承認を経て採用したものであり、そういう文章はそのままウィキペディア日本語版に持ってきても必ずしも同じ拘束力を持つとは限りません。Hermeneus (user / talk) 2006年3月6日 (月) 06:17 (UTC)
- "collection of"を集合体から集めたものに変えるという論点はそれなりにメリットがあります。問題は「synthesized knowledge」の訳です。外国語の小説や映画の字幕においては会話の自然性を重視するため原文と全く違う訳が行われることがあるのは確かです。ウィキペディアは百科事典なので学術論文における「正確」な翻訳が基本になります。学術論文の場合「synthesized knowledge」を「編纂、収集された知識」などと訳すのは問題です。実際「synthesized」などという単語は学術的表現に使われるものなのでそれを「一般的な表現」に変えるということ自体翻訳の原理から外れています。よって正しい訳は「統合された知識」となります。そうなると「統合された知識の集合体」とはまさに正確な訳となります。硬く不自然な表現と感じられるかもしれませんが実際、欧米で討論あるいは議論に使われる論調は学術論文調なものです。それをこのページの都合で家電製品マニュアル調に翻訳してしまうこと自体が問題です。「a collection of」の英語において本来持つ「一般的な表現」とは会話調と論文調の両方です。「encyclopedic/百科事典的」も同様です。いずれにしろ完璧な翻訳などは不可能なわけですが、ここが日本語の百科事典である以上翻訳においては原文の厳密な意味を反映する翻訳を心がけるべきです。
- ウィキペディア日本語版は別にウィキペディア和訳版ではないのは確かですが実際日本語版のほとんどのガイドラインや方針はウィキペディア英語版の写しです。しかもNPOVに関しては日本語であろうと英語であろうと関係ありません。それなのに実際のNPOVの表現が厳密な基の意味を反映していない。原文では「(異なる)見解は公正に提示されるべき」(these are fairly presented)とあるのにここでは「公正に考慮し」に変わっている。「最も普及した見解だけでなく関連のあるすべての見解が提示される」という表現も明記されていない。これでは日本語の読み方によっては削除合戦の誘引となります。NPOVは「絶対で交渉の余地のないもの」のはずなのにこんないい加減な訳でいいものでしょうか。三大基本方針の中立的観点,立証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めないは、相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではないと原文に書いてあります。つまりウィキペディア日本語版でウィキペディア英語版と別の合意がるということは全く関係が無いはずです。それなのに日本語ウィキペディアには立証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めないは自分が見た限り存在しない。実際英語の記事から日本語版の記事へのリンク事態が存在しない。また英語版においてはあくまで基本方針を補完するためのものとしてガイドラインが存在しているのにここでは基本方針はなぜか抜けているのにガイドラインはいい加減に訳された写しが多数重複する形で存在している。実際にウィキペディア日本語版では些細な記事はそれなりに多いが、百科事典と言えない記述が多いと感じます。また物議をかもすような記事では基本方針(NPOV, Verifiability, no-original research)を理解していれば簡単にケリのつくような論争が延々と続いているのを何度か読んでいます。真剣な議論のすえ、「立証可能性」 と「独自の研究を含めない」を基本方針としないと正式な合意が形成されたのですか。それとも基本方針をいい加減に扱っているためにこれまで単に放っといたのでこうなったのでしょうか。このページも含めてほとんどの方針やガイドラインが英語版の不完全な写しであることを考慮すると自分は後者の気がします。Vapour 2006年3月6日 (月) 08:46
最後にこれは多分な憶測ですがウィキペディアには創設者のジミー・ウェールズの個人思想が強く反映されています。英語の記事に明記されていますが彼はアイン・ランドの客観主義の信奉者です。客観主義者にとって理想の世界というのはある特定の(最小限の)絶対的ルールが決まっている以外は個人のやりたい放題の世界です。この世界では政策決定は多数決主義では無く合意制です。逆に言えばこのような世界は基本的なルールがしっかり設定されていない場合、全く機能しない無政府状態となります。基本的にどのウィキペディア版も同じ仕組みなのですから日本語板ももう少し基本方針を真剣に扱うべきではないでしょうか。Vapour 2006年3月6日 (月) 08:46
- 多くの方針文書の日本語版への翻訳が行われた当時の英語版では現在の日本語版の如くガイドラインと方針が整理されない状態で置かれていたというように認識していますが、これは誤りでしょうか。日本語版ではこうした基本方針に対してそれほど注意が払われては来なかったことも事実ですし、それによって英語版の議論を追随することもあまり行われてはいません。Vapour さんが「原文」あるいは「三大基本方針」と呼ばれるものを日本語版に移植せよとおっしゃるのであれば、その「原文」とくに「三大基本方針」がガイドラインなどから収斂、生成されるに至った議論、経緯等について日本語版で周知されるに十分な「運動」をまず行う必要があるように思われます。--Lem 2006年3月6日 (月) 09:29 (UTC)
- だから今NPOVの編集に参加している。NPOVを明確にすればVerificationとNoOriginalResearchは自明の理。真剣に討論する過程で中立的観点方針はなんであるかを理解する前にマニュアル化してしまっているのだから進歩がないのは当然。ついで加えて言えば英語版のガイドラインの写しが氾濫しているのは単純にガイドラインのほうが短い分、翻訳しやすいからと感じられる。基本方針は根本的原理であるからその哲学は複雑になるのでその分移植(翻訳)にそれ相応の労力と理解が必要な分何もされていない。簡単な形だけ真似て魂学ばずの典型。独自路線をたどりたいなら最初からNPOV以外は移植しないで独自の基本方針とガイドラインを進化させればよいのに、実際はガイドラインは全部真似てあるがその基礎となっている基本方針の移植には抵抗を示すというのは論点自体が逆立ちしている。基本方針とガイドラインのウィキポータルが存在しないのも典型的。実際にガイドラインと基本方針の全体像を把握している人間がどれほどいるか疑われる。基本方針がおろそかになっているのだからそこらじゅうで無意味な編集合戦が行われているのが目に浮かぶ。実際引用のために英語版から日本語板のウィキペディアに来るとしょっちゅう保護されている記事に出くわす。しかも普通、編集に関する論争、場合によっては編集合戦が起こると記事の内容が増えるべきなのに替わりに削除合戦になって記事の情報量が増えない。実際、自分が中立的観点方針の原文の翻訳を持ってくると日本語が不自然だという理由で削除を食らう。情報の様式に問題があるのなら削除せず修正を加えるのがNPOVの筋なのに全く非建設的。異なる見解は「公正に考慮」されるべきと「公正に提示」されるべきの違いの典型的結果。Vapour 2006年3月6日 (月) 10:59
参考に、翻訳元の版について
編集Vapour氏の以下の記述が気になって調べてみました。検証方法は「要約をざっと浚う+簡単なページ内の検索」だけですが。
- テンプレート、項目の分類、ポータルは実際何の用語が日本語ウィキペディアで使われているか知らないので直訳しました。ここの実際の用語と違う場合は変換してください。ウィキペディア三大方針は相互補完、譲渡不能で他の方針あるいは編集者の合意などにおいて代替されるものではないまさに憲法のようなものなのに立証可能性(Verifiability)と否自己研究 (no original research)がこのページには乗っていない。他のガイドラインと基本方針のページも見てみましたが、見落としていない限り立証可能性(Verifiability)と否自己研究 (no original research)の項目はない。これはどういうことでしょうか。日本語であろうともこのサイトはウィキメディア財団に管轄されているはずです。NPOV の翻訳についても言えることですが日本語ウィキペディアは何でもありの民主主義状態なのですか。
本文書Wikipedia:中立的な観点は2003年2月15日 (土) 05:13の時点で英語版から移入され、その後一貫してその版に対する翻訳/改変が行われてきたようです。この時点の内容[1]を見てみますと"original research"やverifiabilityといった表現は出現しません。つまりこの文書ではそういった基本的な方針を無視している訳ではなく、その後更新が追いついていないというだけのことのようです。
これはお粗末と言えばお粗末ですが、ボランタリーなプロジェクトにおいては仕方がないことなのかもしれません。特定の責任者が存在する訳ではありませんので、この点について特定個人に対する非難を行うものではありません。参考に。文体については私はコメントを控えたいと思います。--こいつぅ 2006年3月6日 (月) 13:29 (UTC)
- 本家のほうで少し調べてみましたが、端的に言うとウィキメディア財団は日本語版ウィキペディアに関して言えば中立的見解方針も含めて何も関与していないようです。つまりNPOVの移植も単に日本語版の利用者が勝手にやっただけ。問題になるのは利用者の合意を超越する基本方針がいかに生まれるか。これは本家での議論の末メタウィキに載る段階で決定とみなされるようです。VerifiabilityとNoOriginalResearchはメタウィキで内容編集に関する三大基本方針であると明記されています。帝国主義論のようなものですか基本的に英語のできない利用者は周辺国の住民のようなもので機軸国で行われるウィキ帝国の政策決定に参加できない。よって基本方針の理念の理解に対する関心が薄い。もっと問題になるのはそれでも機軸国での決定は建前上移植される。ところがその移植自体はいいかげん。かといって別に真剣な独自の政策討議をするわけでもない。NoOriginalResearch(独自の研究を含めない)方針の起源を調べてみましたがこれは英語版のウィキペディアは何でないかの「独自の発想を発表する場ではない」から発展したもののようです。ところが日本語版の移植はお粗末なものではこれが「[演説場所ではありません]」になっている。日本語の「自然な表現」を優先したために翻訳があさっての方向に飛んだ典型例のようです。なぜ百科事典を含めた学術文書では原文の厳密な意味を反映する翻訳を心がけるかこれで明らかだと思います。学術調の文章はアバウトな表現が少ない分、正確な翻訳は辞書さえあれば正規の英語教育を受けた日本人なら誰でもできるはずです。ついでに言えば将来的には日本語版独自での編集方針の発展についての議論が必要だと思います。Vapour 2006年3月6日 (月) 18:18
- Vapourさんのご指摘されている点は中立的観点に限らず基本方針・ガイドライン一般に関わるものなようですので、今現在同様な議論が進行しているCategory‐ノート:公式な基本方針でも提言してみてはどうでしょうか? Hermeneus (user / talk) 2006年3月6日 (月) 18:54 (UTC)
まず、おっしゃる英語対他言語という構図は解釈が恣意的であるように思います。日本語版の発足の経緯を考えれば基本方針に英語版からの引き写しが多くなるのは当然のことです。また、英語が使えなければ基本方針の議論や整備に参加が難しいのは事実ですが、単にそれは機能的な側面であって英語以外の意見表明を排除している訳ではありません。
(引用)よって基本方針の理念の理解に対する関心が薄い。もっと問題になるのはそれでも機軸国での決定は建前上移植される。ところがその移植自体はいいかげん。かといって別に真剣な独自の政策討議をするわけでもない。についてですが私はこのような物言いは許容したくありません。さきにも書きました通り日本語版の基本方針の整備状況に責任者はいないものと理解しています。責任はコミュニティ全体で負うものです。あなたの記述は周囲の態度を硬化させます。
「自然な表現」と「正確な翻訳」との対比に重点を置いてお考えのようですが同意できません。指摘されている内容に関しては翻訳の精度に問題があると断定することはできません。正確な検証を行う時間が取れませんのでこれは推測ですが、日本語版における表現が「演説場所ではありません」となっているのも単に翻訳元の文書がその時点でそうなっていただけという可能性が十分考えられます。「学術文書」と決定的に異なっているのは「正確な翻訳」を行ったところで翻訳元の文書は常に変化しています。ウィキペディアでの「正確な翻訳」の価値はどうしても相対的に低いものになると思います。また、ウィキペディアは単に百科事典であるだけではなく、多数の参加者がいるコミュニティですから、重要な方針が読みやすい表現で記載されていることにも一定の価値があると思います。百科事典と学術文書が同じスタイルを採らなければならない根拠はどこにあるのかもお尋ねしたいところです。
(引用)学術調の文章はアバウトな表現が少ない分、正確な翻訳は辞書さえあれば正規の英語教育を受けた日本人なら誰でもできるはずです。について学術の端くれに属する者として違和感を禁じ得ませんがこの点については筋から外れますので割愛。(引用)ついでに言えば将来的には日本語版独自での編集方針の発展についての議論が必要だと思います。については完全に同意いたします。--こいつぅ 2006年3月6日 (月) 19:18 (UTC)
- 訂正。「独自」がどこにかかるかによりますが私の読み方が正しければ不要と思います。--こいつぅ 2006年3月6日 (月) 19:20 (UTC)
最初から「帝国主義論的」と断っていっているのだから恣意的な表現であるのはあたりまえ。英語以外の意見 表明をが排除されているなどといっているのではなく引き写し(翻訳)がいい加減でそれに関する議論が不十分といっている。述べていない意見を勝手に創造されては困る。ここは議論の場なのだから反対(賛成)意見の熱心な表現は大いに結構。「このような物言いは許容したくありません」などの私情は無意味。内容(この場合英語)の「正確な翻訳」とは「正確な描写」つまりNPOV方針そのものなのだから個人がそれに納得できるかはこのサイトに限り全く関連性がない。「内容に関しては翻訳の精度に問題があると 断定することはできません」といっているが実際に辞書の記述と異なる訳がなされているのだから、問題ががあると断定できる。つまり結論は実証可能(Verifiability)。そちらの反論は意見、感想を述べているだけで根拠、つまり翻訳の表現が他の辞書などに載っているなどの根拠が示されていない。同じように翻訳元の文書が「演説場所ではありません」となっていたというのならその証拠を引っ張ってくればいい。「可能性」なんて表現を使う議論はVerifiability方針を全く無視している。英語版の基本方針は常に過去の表現を基盤に進化しているのであってランダムに表現が変化するのではない。だから元々の原文を内容に忠実に訳さないと日本語版の基本方針の表記が的外れなことになりかねない。ウィキペディアは編集の責任者はいないが多数の参加者がいるコミュニティであるから、重要な方針の内容が不正確に記述されているのは大問題。読みやすい表現で記載されている価値はあくまでNPOV「正確な描写」「正確な翻訳」の基準が満たされた後での問題。NPOVが絶対的基本方針であるウィキペディアで「正確な翻訳」が「読みやすい表現」よりも相対的に低いものになるという論点はここでは論外。読者が一般人である百科事典は学術論文の内容水準を真似る必要はないが、文体が学術文体、あるいは他の例として新聞の文体つまりNPOV方針に明確に記述されている「冷然、公平、解析的な議論の描写」であるのは当然。実際日本語では中立的表現をすると文体が硬くなる。自分の主張から少し外れるが、例えば「ウィキペディアの根本的な方針のひとつです」を「ひとつである」の代わりに「ひとつ」にかえるのは賛成だ。これは学術論文でも新聞記事でも百科事典でもみとめられる表現。実際本家でも、NPOV本文記事の派生のTutorial記事でしかですます体にあたる文体は使われていない。最後に「独自」は日本語板が英語版から自立した形で物事を決定するという意味を強調するために使った。英語版の変化に伴って日本語版が翻訳に引っ張りまわされる、あるいは不完全は翻訳でおかしな内容のものが基本方針あるいはガイドラインになるのは問題だとおもう。実際自分もそれなりに労力を使って翻訳した後、それをいちいち編集合戦で擁護するのは疲れるし、一人でプロジェクト関連文書全体の翻訳校正などは不可能。翻訳に関するガイドラインと基本指針・ガイドラインの移植に関する方針を作成してはどうなものだろうか。Vapour 2006年3月6日 (月) 22:45
- 自分で調べてみましたが実際「独自の発想を発表する場ではない」は「演説場所ではありません」から実際派生しています。ところがそこにはすでにNoOriginalResearchの記事に対する項目がすでに存在する。議題の本質とはNoOriginalResearchの起源はあまり関係がありませんがもう少ししらべてみます。Vapour 2006年3月7日 (火) 01:02
- 最初にレスを差し上げたときには Vapour さんのご主張に基本的には賛同したうえで、そのために何らかの「運動」を行うべき状況にあるのではないかという提案を差し上げたのですが、繰り返し Vapour さんの書き込みを読むうちに、一体 Vapour さんは、賛同者を得たいのか喧嘩が売りたいだけなのかがだんだん分からなくなってきました。--Lem 2006年3月7日 (火) 01:10 (UTC)
NoOriginalReseach方針は基本的には[2][3][4][5] に見られようにウィキペディアのNPOV,Citation,WikipediaIsNot,Verifiabilityに関連する形でどちらかというと内輪で決められた合意がそのうち2003年ごろ本文記事になり発展したよう。ウィキペディア「運動」とは編集と議論のこと。それ以外の「運動」は自分は知らない。現時点では「中立的観点についての声明」の翻訳、それと文体についての「運動・議論」をしている。翻訳に関して異論がないのであれば保護を解くことを申請したい。全体の記事の文体については意見の一致はまだのようだがそれは英語原文の翻訳と関係のないはずだ。ついで相手側の議論を「間違い」「問題外」「論点の逆立ち」「無関係」と表現するのは相手を「馬鹿」と呼ぶのと根本的にちがう。また相手の論点を「糞な論点」などの言葉で表現をしていない。ウィキペディアの議論はそれぞれの編集とそれに伴う議論が基本方針に適うか適わないかで決まるものなので論点の「文体」が厳しい優しいは議論の本質に影響しない。これまでの自分の論点は
- 1.記事、特に翻訳がNPOVに違反している。これはVerifiabilityの基準に照らしても明らか。
- 2.百科事典では基本的にはですます文体を使うべきではない。これに関する様式のガイドラインが英語版では存在する。
- 3.最後にverifiabilityとNoOriginalResearchの方針が日本語版にないのはおかしい。日本語版の現状を考えるとこれに「運動」が必要だと感じられない。Vapour 2006年3月7日 (火) 02:46
- 現在ウィキペディア日本語版にある基本方針やガイドラインに関する文書の多くが様々な問題点を抱えているというのはその通りだと思います。ずいぶん前に作成されたまま長いこと放置されていたためか、翻訳に問題があると思われる箇所も散見されますし、英語版から導入すべき基本方針が幾つも欠けていますし、また満足に整理もされておらず新規参加者には大変分かりづらいものになっているので、そうした点は早急に改善するべきだと思います。特にVerifiabilityとNo Original Researchの基本方針を英語版より導入して、英語版にならいNPOVと共にコンテントガイドラインの要として据えるのは良い案だと思います。
- しかし、英語版ウィキペディアの方針やガイドラインを杓子定規に逐語翻訳しなければならないという案は承服しかねます。先にも言ったようにウィキペディア日本語版は別にウィキペディア和訳版ではありませんので、英語版ローカルで成立した方針およびガイドライン文書は日本語版ウィキペディアには拘束力を持ちません。無論、良い物に関してはどんどん英語版より導入していくべきだと思いますが、その際にはウィキペディア日本語版において採用のコンセンサスを形成するのが必須であると考えます。誰か一人が独断専行で英語版にある方針を翻訳・導入し、「英語版で公式方針だから日本語版の編集者も黙ってこれに従え」では乱暴すぎます。
- VerifiabilityやNo Original Researchはたしかに重要な概念ですが、これらが独立した方針として規定されたのは英語版ローカルの事情によるものでしょう。貴方自身が指摘されているように、この2つはもともと「ウィキペディアは何でないか」から拡張・発展してきたものであり、「ウィキペディアは何でないか」がちゃんと備わってる限りは別にその拡張版が無いからといって致命的な欠陥にはなりません。ちなみにメタで規定する新しい言語版ウィキペディアに整備必須の方針(rules that all Wikimedia projects must follow)は以下の通りです:
- You cannot violate the terms of a copyright. Please make a page to warn users not to copy things from other places without asking the author.
- It is OK to distribute Wikipedia articles under the terms of the GNU Free Documentation License. Please read the license and make a page to explain it.
- Authors must write from a neutral point of view (NPOV). Please make a page to explain this.
- Please make a page to explain what Wikipedia is not.
- Other than these all-projects rules, each Wikipedia has created its own rules.
- VerifiabilityやNo Original Researchはたしかに重要な概念ですが、これらが独立した方針として規定されたのは英語版ローカルの事情によるものでしょう。貴方自身が指摘されているように、この2つはもともと「ウィキペディアは何でないか」から拡張・発展してきたものであり、「ウィキペディアは何でないか」がちゃんと備わってる限りは別にその拡張版が無いからといって致命的な欠陥にはなりません。ちなみにメタで規定する新しい言語版ウィキペディアに整備必須の方針(rules that all Wikimedia projects must follow)は以下の通りです:
- キリスト教原理主義者ではないのですから、英語版を聖書のごとく崇め奉り一字一句正確に遵守する必要はないでしょう。大事なのはジンボ氏が提唱したNPOVなどの基本理念であって条文ではありません。聖書はどこの国でも同じ文面ですが、憲法は同じ自由民主主義を標榜する国々でも条文や法律の内容が多種多様です。ウィキペディアの基本方針は前者ではなく後者のあり方に近いものだと私は考えます。でなければメタでもっと雁字搦めに基本方針について規定しているでしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年3月7日 (火) 05:07 (UTC)
- 「英語版ウィキペディアの方針やガイドラインを杓子定規に逐語翻訳しなければならないという案は承服しかねます」という意見はまさにそのとうり。実際自分も「英語版の変化に伴って日本語版が翻訳に引っ張りまわされる、あるいは不完全は翻訳でおかしな内容のものが基本方針あるいはガイドラインになるのは問題だとおもう。」とすでに記述している。また、独自路線をたどるなら編集内容に関してはNPOVだけ移植しその後は英語版を無視すればいいとすでに記述したが日本語版の現状は英語版ウィキペディアの方針やガイドラインが杓子定規の翻訳がほとんど。この記事で例を挙げれば「アメリカ中心主義への批判」。これは英語版から日本語版に移植されるときに「日本中心主義への批判」、つまりたとえば「首相」の記事が「日本の首相」の記事「だけ」になってしまうことに対する「批判」であるべき。移植の基準や内容は方針やガイドラインの理念の移植ではなく文書移植(翻訳)の難易度の比例しているのが現状。実際お粗末なもので「英語版ローカルで成立した方針およびガイドライン文書は日本語版ウィキペディアには拘束力を持ちません。」という「基本方針」自体がない。つまり今の日本語版の現状が不完全なキリスト教原「文」主義の状態。それを反映して日本語版では「原理」に関する議論がほとんど行われていない。実際自分が「騒ぎ」を起こすまでは、この中立的観点の記事のトークはモニタースクリーン一枚ぶんちょっとというお粗末さ。一方英語版では18回の過去ログ保存が行われている。現実を考えれば英語版は本家であり英語版の歴史は最古。英語が国際語であることを反映して、利用者は最大にして、異なる立場、思想、文化を持つ利用者が最も多彩。非英語版のウィキペディアの利用者でも英語版の利用者であるものが多く、これらの人々が議論に参加する形で議論が進行する。ついでに親財団はアメリカ籍。よって基本方針と指針(ガイドライン)に関する議論が最も進んでいるのだから英語版が規範になるのは仕方がない。よって自立独立の効用と優れたものを取り入れるべきという効用に折り合いをつけなければならないのが非英語版の現実。そのことを踏まえた上で「翻訳に関するガイドラインと(英語版の)基本指針・ガイドラインの移植に関する方針を作成してはどうなものだろうか。」と記述した。実際個人でプロジェクト関連文書全部を校正翻訳など不可能なので、今のところはNPOVの修正、次にVerifiabilityとNoOriginalResearchの基本理念のところだけの翻訳をするつもり。将来的には方針指針移植と翻訳に関する指針の形成に参加するかもしれない。はっきり言って異なる翻訳を導入する際いちいち編集合戦で原理のNPOVまでたどって翻訳の細部を擁護するのは疲れる。あんまり翻訳だけで編集合戦になるのなら翻訳のガイドラインの議論に専念するほうが得。Vapour 2006年3月7日 (火) 19:22
- 英語版ウィキペディアの公式方針を翻訳して導入する際の手続きを整備することには賛成です。既に翻訳されている文書に関しても見直しが必要でしょう。これに関しては既にCategory‐ノート:公式な基本方針でも提言しています。「翻訳に関するガイドライン」は不要だと思います。問題のある表現なり翻訳があればその都度適切に修正していけば済むと思われますので。
- Vapourさんの先の編集がrevertされたのは、Vapourさんのやり方が少々乱暴すぎたことによるものでしょう。まず、日本語版に他言語版から記事を翻訳して導入する際には、翻訳元の情報を編集要約に記すことになっており、これを怠るとGDFL違反として削除対象になることになっています(Wikipedia:翻訳FAQ参照)。そして、基本方針のような文書を大幅に改稿する際には、普通ノートで修正案を出して他の編集者と検討しコンセンサスを形成してから実施するのが慣例になっています。さらに、Vapourさんの日本語表現には少々拙い部分があり、日本語版における編集歴も浅いため、そうした要因を全て併せて鑑みればとりあえずリバートしておくのが無難だろうと思うのが普通でしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年3月7日 (火) 23:48 (UTC)
- 基本的には意見が一致しているようだ。翻訳に関しては、基本方針と指針に関してだけではなく日本語の記事では翻訳が導入されることも多いことを考えると最低でも何らかの(方針、指針の下の)指南書のようなものがあれば「便利」。これらの議論はCategory‐ノート:公式な基本方針で行うのが適切だが今現在はNPOVの編集議論に労力を割いているのでここでの議論が一段落したら参加させてもらう。ついでに言えば自分の関心のある内容に関する編集方針・指針はVerifiabilityにしてもNoOriginalResearchにしても翻訳にしてもNPOVにたどるものなので、この記事がいい加減だと他の方針指針の議論の収集がつかない。
- 翻訳の導入についてははっきり対訳であると明記してあるのでGDFL上問題であると考えなかった。それに実際のこれまでリバートの理由にそれがあがっていない。基本方針に関しても編集自体は基本的には「自由」(「可能」は勝手な意訳)。しかしその編集はコンセンサスを反映しなければならないとあるが、これまで議論自体が行われていなかったのだから反映させるコンセンサスそのものが存在しない。よって英語版の写しであるという現状とNPOVの「正確な描写」という方針をコンセンサスとして翻訳を導入させてもらった。しかし「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」の項に関しては内容自体の変更が必要であると感じたのでそれには触らず、トークページで議題を導入するだけにとどめ、代わり英語対訳を導入する形での編集を行った。ウィキィペディアの規範を無視して編集を行ったのではない。乱暴と受け止められてリバートをかけられたが、編集が荒らしであるかないかは後の議論で明白になるもので、リバートをかけた人が議論に参加するのであれば別にどうでもいい。議論に参加せずにリバートをかける、あるいは基本方針に関係のない議論を理由にリバートをするのこそ乱暴。Vapour 2006年3月8日 (水) 02:02
- 具体的な訳語の正確性については、実際の訳を自分の利用者ページなどで公開した後、討議に付した上で合意を得て、実際の編集にかかるべきでしょう。大きな変更であると自認なさっているのであればなおさら、いきなり本文を編集するのは、ほかから参照される文章なのですから避けるべきです。基準になるような文章のバージョン・アップには、ある程度のコミュニティの裏づけが必要です。つぎに個々の条文の翻訳の正確性についてはやはり日本語の理解で私は疑問を抱かざるをえません。たとえば「中立的観点方針」は中国語ならともかく日本語ではありえない表現です。どうしても「中立的観点の方針」と「の」がいります。なにより、「ですます体」と学術文体は対立関係にありません。「ですます体」は「くだけた・リラックスした・アバウトな文体」ではないのです。「ですます体」は目の前に具体的な人間を想定して、「語りかけるように」、相手への対話と尊重の念をしめす文体です。学術文体が多くの場合「だ・である体」なのは、それが、不特定多数という「抽象的な読者」へ「演説をするように」あるいは「独白的に」語る文章だからです。「です・ます体」だからといって、表現が適当になったりすることはありません。実際、両者は動詞を対応するものに入れ替えるだけで機械的に変換可能ですらあります。もうひとつの論点は英語版の基本方針文書の日本語版での「効力」でしょう。GDFLのように、英語版が正文、あるいは効力を有する本文であるなら、日本語訳は、正確性だけが問題で、コミュニティの合意は必須ではありません。しかし、英語版が日本語版で効力を有しないのであれば、あなたの主張は、日本語版で、英語版と同じ方針にしろ、という話であって、本質的には、翻訳ではなく、「基本方針の提案」なのですから、英語版の文書の存在を根拠にするのではなく、「現状の日本語版の文書の表現ではまずい理由」を、主たる根拠として具体的に議論するべきではないでしょうか。そして、そういう議論ならば、もっとうけいれやすく、建設的な議論になるものと思われます。たとえば、現在のような表現だから、編集合戦が起きていると主張されているわけですから、翻訳の正確性ではなく、その論理的な、あるいは実際の因果関係こそが、立証すべきことであるように思われます。もちろん、そのうえでなら、英語版ではこのような表現であるからうまくいっている、という主張は説得力を持つでしょう。Clinamen 2006年3月7日 (火) 15:50 (UTC)
- 英語版の基本方針文書の日本語版での「効力」については前文で述べたので省く。「中立的観点・方針」についてはNPOVが実際はウィキペディア独特の用語になっていることを考慮したうえでの翻訳。実際日本語でそこまでありえないというのならNPOV方針と訳すのが適当かもしれない。もう一度考察してみたがNPOVは「中立的観点・方針」と「中立的な観点」と両方の意味で表現されているが、実際英語版の編集議論でNeutralPointOfViewと書かれることはほとんどなくNPOVと特別な意味を強調して書かれる。なぜならNPOVが一般の英語の「自然」な用法と違う。よって「中立的な観点」という翻訳はやはり間違いである。日本語においては日本語の独特の特徴上「中立的観点(方針)」と「中立的な観点」を使い分ける必要がある。また日本語の「自然な表現」上「中立的観点」が「中立的観点(方針)」と暗に意味することがありえない場合はNeutralPointOfViewの翻訳をNPOVとするのがいちばん適当と思われる。最も適当な意訳は「中立原則」だがこれは原文を尊重する意味では適当ではないかもしれないが、前文に述べたように独自路線をたどるのであるのなら適当である。「ですます体」については、正式な学術論文あるいはそれに準づる百科事典の項目記述で使われることはない。それよりも下の新聞あるいは週刊誌でも「ですます体」は使われない。家電製品マニュアル文体と表現したのはそのため。原文のNPOVあるいは他の基本方針の記述についてもそれぞれの方針あるいはガイドラインが「何であるか」という記述なので、英語の「ですます体」にあたる文体は使われていない。またトークページもそれを反映して基本方針が「何であるべきか」というものになっている。日本語版でNPOVが何であるべきかという議論が一切なされていなかったのも本文の家電製品マニュアルのごとき記述に一因があると考えられる。最後に、編集は討議の後でという主張はウィキペディアでは正確には間違いで、逆に「編集は大胆に」が基本である。こうでないと実際に議論自体が起こらないあるいは本文しか見ていないものには無視されるなどの事情で、進行を一番遅い者に合わせるのは全く非効率だからである。基本方針はそれなりに全体の合意を反映するという指針があるが、英語版での 「Feel free to edit the page as needed」が日本語版では「必要に応じて編集することは可能ですが」になっている。実際このページ自体が英語版の写しであるのだからNPOVにしたがって正確な翻訳を行う形で編集をするのは合意を無視するものではない。ついでに言えば「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」には手をつけず、別に「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)英語版対訳」を挿入したのは原文原案と内容が異なる「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」を尊重したからである。翻訳文の「ですます体」は明らかな誤訳であるのでこれは全体の記事の文体がどうであるべきかという問題とは関係ない。Vapour 2006年3月7日 (火) 21:15
翻訳の導入
編集- 翻訳のですます体は明らかな誤訳。よって変更されるべき。
- 「中立的な観点についての声明(オリジナル)」について自分の英語の直訳の硬さあるいは不自然さは認めるが現本文の翻訳は「正確な翻訳」というNPOV方針から見ると自分の翻訳より問題が多すぎる。よって自分の翻訳の対訳の復活を申請したい。これは自分の翻訳が絶対であると主張するものではない。原文を尊重する上での自然な日本語への変換は大いに歓迎。
- つぎに「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」の英語版の対訳の復活を申請する。これは明らかにこの記事に関連のある情報であるのだからこれは削除する理由はない。ついでにこれが本文にあることは「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」の内容に関する議論に有用。Vapour 2006年3月8日 (水) 02:28
- ノリミツ・オオニシの項目で気づいた事を書かせてもらいます。翻訳に際しては一部の文章や単語だけを訳して引用文として掲載するのは不適切だと思います。前出のノリミツ・オオニシの項目に関しては彼が反日論者であると決めてかかりたいがためとしか思えない引用文が目立ち、実際にそうかと彼の投稿記事に目を通すと、ただ左派色が強いというだけで、日本の全てを何でもかんでも悪だと決めてかかっている反日とは大きく異なるものでした。こういう翻訳まがいのものは、そこを読む人に間違った印象を与えます。ですので、私としては翻訳の方針として、あくまで『意訳で全体の内容をまとめた後に、それを裏付けるという意味で使用された文章を引用すべき』と提案します。--Galaksiafervojo 2006年12月23日 (土) 22:14 (UTC)
中立的観点
編集NPOVはウィキペディアの特別用語。よって「中立的「な」観点」は誤訳。最低でも「NPOV(中立的観点)」とするか「中立的観点」に変更するべき。ついでに自分は日本語版の自立賛成派なので最終的には「中立原則」を支持するがこれは他の基本「方針」に影響が及ぶので今の段階ではただの愚痴。Vapour 2006年3月8日 (水) 02:35
- 「中立的観点」という言葉自体は日本語版ウィキペディアでも普通に使用されていますし、方針名をこれに換えること自体には別に反対じゃありません。しかし「中立的な観点」が誤訳だとは思いませんし、本文がですます調で書かれてる限りはむしろこのほうが自然であると思われます。Hermeneus (user / talk) 2006年3月8日 (水) 19:26 (UTC)
- NPOVがひとつの単語である場合、日本語の訳もそれに伴って一つの単語のように表現するべきだと思います。ややっこしいのはNPOVはWikipediaの「方針」であるだけでなく「原則」でもあるようなので中立的観点方針は日本語としても訳としても間違っているので取り下げます。日本語版でもこの原理・方針が特別用語という事実を強調する意味でも中立的観点にすべきだと思います。また一番正確な(意)訳としては「中立原則」をあげました。基本的に自分の理念は翻訳するのなら原文に正確に、しかし日本語版で議論が行われたうえで、日本語版の内容を移植(翻訳)から変えるという合意が独自に形成されるのなら、日本語版の合意が常に英語版の合意よりも優先するというものです。ただし原則(Foundation Issues)は日本語版、英語版関係なく合意を超越する。ていうか、原則も「法」ではなく、理論上は合意の上での修正は可能みたいですが、まずそれは現実的にありえないようです。Vapour 2006年3月8日 (水) 20:22
- 日本語において「中立的な観点」というのは間違い。「的」と「な」は重複。よって「中立な観点」か「中立的観点」が正解。Vapour 2006年3月12日 (日) 01:22
- 「中立的な観点」でも「間違い」ではないですが(例)、記事名、用語としては「な」は抜いた方が良いかも知れません。Hermeneus (user / talk) 2006年3月12日 (日) 04:23 (UTC)
- 正確に言うと「中立的な観点」が間違いでないのではなく現在の日本人の日本語の文法の理解が英語翻訳の影響もあって結構いい加減のようですね。外部リンクの例における正しい用法は「中立的な」ではなく「中立の」が正確だと思います。殆ど重要な論争はもう起きていないみたいなので保護解除申請してみます。Vapour 2006年3月13日 (月) 09:15
中立的な観点が一般的な用語ではないのに賛成。翻訳は「全体的な観点」ぐらいでしょう。ともかくこれが普通名詞でないことを明記すべきです。F86F 2007年4月22日 (日) 05:31 (UTC)
文体
編集現在の(家電製品)マニュアルのような表記は間違い。基本的に百科事典で「ですます体」は使うべきではない。NPOVが「何であるか」という百科事典に相応しい表記であるべき。ウィキペディアの議論は編集と対となって発展するもの。これまでの表記がNPOVマニュアルであったためNPOVが「何であるか」という議論がなされていない。ついでに英語版の杓子定規のような写しである現状が議論の妨げになっている。
よって提案であるが「批判と回答」の項目をNPOV:FAQ(マニュアル)の題で記事として独立さる。そこでは題自体が、すでにFAQ(マニュアル)と明記されているのだから「ですます体」は問題ではない。実際英語版でも同じようなものがTutorialとして存在する。その代わり本文は「ですます体」は排除する。Vapour 2006年3月8日 (水) 02:54
- これはここで議論すべき問題ではないとは思いますが(Wikipedia:日本語表記法などで継続すべきでしょう)、基本文書の文調をである調に変えること自体は悪い案だとは思いません(ガイドブック関連の文書はですます調のままの方が良いでしょう)。こうした方針の扱いは、保守的に、既存の取り決めを大事にする方向で行くのが賢明であるとは思いますが、元の文書があまりにお粗末なものゆえ一度全て抜本的に再編纂する必要もありますので、その際に一緒に検討したらよいでしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年3月8日 (水) 19:40 (UTC)
- 一応変更の提案をWikipedia:日本語表記法に記述しておきましたが日本語表記は方針でなくガイドラインであり、またほとんどそれについての議論も存在していないようなので、この記事の編集の変更にそれほど拘束力があるとは思えません。ついでに言えば本文において「批判と回答」などのガイドブック的内容の項目をNPOV:マニュアルの題で記事として独立させるという提案は文体とは本質的には関係のないものなのでそれについての意見をお待ちしています。Vapour 2006年3月8日 (水) 21:21
「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」
編集「中立的観点とは対立する複数の見解に対処する手段である。この方針は対立する複数の見解が存在する、あるいは存在していた場合、これらそれぞれの見解が公正に提示されるべきであるが主張されるべきでないというものである。最も普及した観点だけでなく関連のあるすべての観点が提示される。これは最も普及した見解、あるいは多数の異なる見解の中間的見解が正しいと主張するものではない。読者はそれぞれ個人の見解を形成するものである。書かれてあるように中立的観点とは一つの観点である。中立的である観点、つまり問題に対して賛成あるいは反対でもない観点である。議論は、描写、表示、特徴付けられるが、論争されない。背景は誰が何をなぜ主張しているか、どの観点が最も一般的に受け入られているかを掲示する。もっと詳しい記事の場合それぞれ異なる見解の他の見解に対する相互評価を記述することも可能であるが、どの見解が優秀であるなどという記載は注意深く避けなくてはならない。偏見のない記述とは、冷然、公平、解析的な議論の描写と考えることができる。ある特定の観点に対する偏向が記事に認められる場合それは修正される必要がある。」(英語対訳)
この項目全体の構成に問題がある。まずこの項目自体で序文が存在する。本記事の中にまた別の記事が存在するような構造になっている。本文全体から見た正しい構造はこの項の序文を削除しその代わり「はじめに:中立性の基本的な概念と、なぜウィキペディアが中立的であるべきかについて」をちゃんと一項目として独立させる。次の問題は「はじめに」はこの副項目が二つの論点を扱っていることをはじめから宣言している。ということは最初からこの項目を「中立性の基本的な概念」と「なぜ中立的であるべきか」に分けるべき。そうなるとその次に続く「中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」が完全な重複になる。中立的観点が何であるかを定義する前になぜ中立的観点が必要なのかを説明するのは議論の運び方として逆。よって「中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」は新設された「中立性の基本的な概念」に吸収合弁され「なぜ中立的であるべきか」の前にくるべき。項目の題も単純に「定義」あるいは「基本的概念」などのように変えるべき。「定義」の項目が充実すれば英語対訳の存在の必要性は消滅する。ついでに言えば「定義」(基本的概念)が最初に説明されていないこと、また前文がマニュアルになっているおかげで続く副項目に同じ説明の重複がそこらじゅうに目立つ。説明があまりにも長すぎて本文全体を読む気が減る。マニュアル的内容は前文で提案したFAQ(マニュアル)の記事に飛ばすべき。全体から見た理想の構造はまず(中立的観点の)「定義」を本文の一番最初、「中立的な観点についての声明(オリジナル版)」の前に置くべき。その後「履歴」でオリジナル版とその後の発展を説明する。その後で「なぜ中立的であるべきか」。次に中立的観点による記事とはどんなものかを説明するべき。中立的観点による記事を「どう書くか」はFAQ(マニュアル)に飛ばす。簡易、簡潔、明瞭の記事の方が読みやすいし分原理の理解が利用者に広まりやすい。Vapour 2006年3月8日 (水) 03:51
- とりあえず、サブページかVapourさんの利用者ページ下に改訂版全文の下書きを書いてみてはいかがでしょうか? それを他の方にも査読してもらい、問題点があれば修正していき、そうして煮詰まったら保護解除依頼出して投下すれば良いかと。Hermeneus (user / talk) 2006年3月10日 (金) 18:39 (UTC)
日本語版と英語版
編集ウィキィペディア財団は日本語版のNPOV方針も含めて関与しないようだと記述しましたがこれは正確ではないようです。正確には創設者のジンボ・ウエールズが全ての最高権威。[6]しかし現在はイギリス国王のようなもので権力を行使することはほとんどない。よってジンボ・ウエールズの発言はそれを解釈拡大、発展することはできるがそれに反するような方針を作るのは神様に喧嘩を売るようなもので不毛。英語版の方針にはジンボ・ウエールズが関わる事が多いのでやはり規範とするのは順当。でも神様は日本語を理解できないので鬼のいぬまに洗濯は可能。(^^)Vapour 2006年3月8日 (水) 05:03
- 事実を少し訂正します。現段階ではジンボ・ウエールズの発言は英語版でしか適用されないようです。しかし彼が全てのWikipediaの最終決定権を握っていることは変わりないので、原則に外れることをするのは愚かであるのは同じなようです。将来的には非英語版の政策決定がもっと成文化されることも見越せるわけで、今の現状はほんとに「鬼のいぬま」のようなものだと思います。Vapour 2006年3月8日 (水) 20:30
アメリカ中心主義への批判
編集アメリカ中心主義への批判を、日本中心主義への批判へと改めませんか。--毛が生えた程度 2006年3月10日 (金) 07:57 (UTC)
- 賛成。でも現在は保護がかかっているのでできない。ま、保護解除のためにも、これからは、いきなり一項目をいきなり全部書き換えないと宣言します。その代わり文章ごとに翻訳を書き換える事はやらしてもらいます。その代わりそれぞれの書き換えの理由付けはノートで明記します。Vapour 2006年3月12日 (日) 01:29
- 英語版やそこからの翻訳記事にはありがちなので両方あっていいでしょう。「英米中心主義」かもしれませんが。johncapistrano 2006年3月18日 (土) 06:06 (UTC)
Wikipedia:観点の吸収統合
編集Wikipedia:観点は内容的に当文書と重複しており、位置づけも不明なので(英語版ではガイドラインでも基本方針でもなくエッセイに分類されている)、吸収してしまったほうが良いのではないでしょうか。もし独立した文書として残すのであれば、加筆してスタイルガイドラインになるくらいにまでは成長させておいたほうが良いように思われます。Wikipedia‐ノート:観点。Hermeneus (user / talk) 2006年3月20日 (月) 03:10 (UTC)
『独自の研究を含めない』についての修正提案
編集文章の細部と内部リンクの修正提案です。
冒頭の2段落目の文章に「Wikipedia:中立的な観点はウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めない、です。」とあります。
英語の原文では『独自の研究』は "Original Research" で、「独自の調査」とも訳せます。どちらの訳語が適切かは微妙ですが、後者の方が内容からいってもふさわしいと考えます。 また独自の研究を含めないには記事はありませんが、Wikipedia:独自の調査という実際の記事がありますので、上記の文章を、
「Wikipedia:中立的な観点はウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の調査 (Original Research) を含めない、です。」
へ修正された方がよりわかりやすくなると思います。私自身、「独自の研究」が何であるかがわからず、独自の調査の記事があることを知るまでに日にちがかかったからです。 よろしくお願いします。--テッド 2006年6月10日 (土) 21:23 (UTC)
- テッドさんの提案のご趣旨に賛同いたします。具体的な記述については、Wikipedia:検証可能性及びWikipedia:独自の調査にある同様の記述にあわせて
- 「Wikipedia:中立的な観点はウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。他の二つはWikipedia:検証可能性とWikipedia:独自の調査です。」
- とすべきと考えておりますが、いかがでしょうか。数日たって特に異議を出される方がおられなければ書き換えさせていただきたいと考えております。--Sloop25 2006年7月15日 (土) 08:29 (UTC)
- っさん、ご指摘ありがとうございます。WP:NOR(Wikipedia:独自の調査)が、現在改名議論中であることは承知しておりますが、現状ではテッドさんのように、Wikipedia:中立的な観点の記事中に示されている「独自の研究」が何であるかがわからず、Wikipedia:独自の調査にたどりつくのに苦労される方もいると思います。このような不都合が生じないようにするための修正は、WP:NOR(Wikipedia:独自の調査)の改名議論の結論を待たずに実施すべきと考えております。もちろんWP:NOR(Wikipedia:独自の調査)の改名議論の結論がでれば、それに沿ってさらに修正すべきと考えておりますが、当面の是正措置としてはやはり上記のような修正が必要と考えておりますが、いかがでしょうか。--Sloop25 2006年7月15日 (土) 09:07 (UTC)
- Sloop25 さんのご意見に賛成します。当面、「独自の調査(仮称)」とでもしておき、改名が済んでから再修正しましょう。内容の変更ではなく表記のみの変更ですので、3日ほど待って異論がなければ保護ページの編集依頼を出しましょう。 --Kanjy 2006年7月16日 (日) 04:44 (UTC)
- とりあえずリンクだけはWP:NORにリンクしました。--っ 2006年7月16日 (日) 06:35 (UTC)