Who are you?捏造報道
Who are you?捏造報道(フー・アー・ユー?ねつぞうほうどう)は、2000年5月5日に、日本国内閣総理大臣・森喜朗とアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンの間で行われた会談において、森が失言をしたと虚偽報道された問題。一部報道機関、著名人が事実として取り扱ったため、噂の対象となった森はこれを批判し、退陣後もマスコミのあり方に疑問を呈した。
元々は、1998年6月に訪中したクリントンと兵馬俑を発見した文盲の農夫楊志発の対面時の(真偽不明の)逸話として普及していたものであり[1]、当時の韓国大統領金泳三に置き換えたジョークを耳にした毎日新聞論説委員の高畑昭男が日本向けに改変した経緯がある。
経緯
編集当時内閣総理大臣であった森喜朗は「神の国発言」など様々な舌禍事件を起こしていた。
森は後述するように、1980年代に出版された著書『文相初体験』などにて、自身の英語力が無いことを認めていた。その後、2000年7月末には九州・沖縄サミットが開催された。この時、森の英語力の低さと「失言」(とされた発言)の多さをマスコミが馬鹿にしたものとして、次のようなデマが広められた(時期と場所には別パターンもある[2])。『週刊文春』は「嘘みたいな本当の話」と題した特集記事において、5月の日米首脳会談の際の話として、次のように報じている[3]。
もっとも、わが総理に国際センスを望むのはムリというもの。五月の日米首脳会談の際クリントン大統領に、「ハウアーユー(ご機嫌いかが)」「ミートゥー(私も)」とだけ言うようにアドバイスされていたが、いざ会うや「フーアーユー(あなたは誰)?」とやってしまった。大統領が苦笑いしながらも、ユーモアなのか、と思い「アイム・ヒラリーズ・ハズバンド(ヒラリーの夫です)」と答えると、森首相はなんと、「ミートゥー」と答えた――。そんな英会話能力に恐れをなしたか、首脳夫人は一人も沖縄入りしないという異例のサミットとなった。 — 「サミットで首脳夫人にも嫌われた森喜朗首相の英会話」『週刊文春』2000年8月3日
『週刊朝日』は後に追跡取材記事を載せている。それによればこの嘘が最初に報じられたのは2000年7月14日の『株式新聞』であり、その後7月21日に雑誌『フライデー』など講談社グループ系が続いた。『日刊ゲンダイ』は『週刊朝日』の取材に対して「アメリカのルートから聞いた、事実でしょう」と断定し、情報誌『インサイドライン』編集長だった歳川隆雄は新潟での講演にて外務省の知人から聞いたとしてこの件を取り上げ「外務省は隠している」と「政官ぐるみの隠蔽体質」を批判した。また、週刊朝日によればこの沖縄サミット期間中、森の失言はゼロで失言を期待していたマスコミは失望していたところ、この嘘が広められ、各社が飛びついていった旨が書かれている[4]。
事実
編集韓国では森同様「失言」で有名となった金泳三大統領に置き換えてジョークとして広まった[5][6][7]。
この話は、英語を母国語としない外国人による挨拶の失敗例として取り上げられることもある[8]。
実際に行われた挨拶
編集『週刊朝日』が5月5日の日米首脳会談に同席した外務省幹部に取材したところ、この幹部は次のように答えたという。
本来なら、私が個人的に話すべきではないのですが、噂が広がっているので特にお答えします。首相はこう挨拶しましたよ。『お忙しいところ、お会いしていただいてありがとう』。もちろん日本語です。 — 中村真理子「ウワサ 森首相「フー・アー・ユー」失言!?の真偽」『週刊朝日』2000年8月11日
森による批判
編集森は一連の報道について退陣後、偏向、捏造報道として批判している。本件に関しても同様で次のように述べている。
訪米した際、私がクリントン大統領に「フー・アー・ユー」と言ったという話までまことしやかに書かれた。いくら私が英語が得意ではなくても、そんなこと言うわけがない。それを本人に確認もせず書いてしまう。
こうなるとほとんどもう悪意そのもの。それが私個人への誹謗中傷で済むならいい。私は何も、森喜朗という個人を誉めてくれなどと言っているのではない。しかし、そういう報道が日本の総理大臣、ひいては日本そのものを貶めているのだということを考えて欲しい。
(中略)久米宏も筑紫哲也も大林宏も、断定的なコメントを発する時には私本人や関係者に取材をしてから考え方を述べるべきで、憶測でもっともらしい言葉を並べるのはおかしい。 — 「マスコミとの「387日戦争」」『新潮45』2001年6月
創作者
編集さらに、この嘘の発信源として森政権退陣後の2004年、毎日新聞記者の高畑昭男が名乗り出している。
これは元々お隣の韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が英語が苦手なのを皮肉ったジョークです。それをどこかで聞いて、外務省記者クラブで「これ森さんに替えても使えるよね」と言ったら、それがあっという間に広がってしまった。森ジョークは私が広めた張本人でございまして、森首相には申し訳ないと思っております。これが実話のように新聞や週刊誌にも書かれて、一年ぐらい経った後でも、永六輔さんが講演をされた際に「これは本当にあった話だ」と話されたとか聞いております。 — 高畑昭男 「ブッシュ再選と今後の日米関係」『第141回琉球フォーラム』琉球新報社 2004年8月11日
高畑自身も毎日本紙紙上で「森ジョーク」を取り上げたことがある。報道が拡散した2000年、高畑は「森ジョークの第2弾がある」として、森の英語下手を揶揄した別のジョークを披露した。記事において高畑は、「森ジョーク」がもともと他国の指導者の話であり、ジョークの対象となった森を気の毒がりながらも、受け入れる度量も政治家の幅の広さの一つだと述べている。この時点で高畑は、森ジョークの発信源が自身であることには言及していない[9]。
実際の森と英語との関わり
編集森と英語との実際の関わりについては次のようなものであり、伝記・自著・対談にも載っている。
最初の渡米は1960年代のことであり、当時の大統領選挙での運動員達の活動風景を選挙運動の一例として観察した旨が雑誌「論座」が企画したオーラルヒストリー『自民党と政権交代』にて語られている。
その後、1984年9月に文部大臣として訪米した際、参観していた高校の女性教師から「この授業時間を差し上げますから、何かお話してください」と言われ、即興のスピーチをしたことがあった。このスピーチでは福田赳夫の理念を翻案した「二十一世紀の最大の問題は人口、食糧、エネルギーなのであり、それらが地球上にどのように行きわたり調整できるかが政治のテーマになる」との一言が入っている[注 1]。首相時代以降もこの考え方を様々な場で踏襲している[注 2]。これを平河卓は「高校生を相手に分かりやすく、内容もよくまとまっている」と評した。質疑で日本の外国語教育について聞かれた際「単語や文法についてはよくやっている。しかし、会話は不十分で、その証拠に文部大臣(の私)が話せない」と答えて爆笑を呼んだという[注 3]。
なお、『週刊文春』は謝罪記事を掲載せず、その後も「森政権を罵倒したいのですが、あまりに愚かでタイトルさえ思いつきません。読者の皆様ごめんなさい」(2000年11月2日号)等と言った見出しのついた広告を大手新聞各紙等に広告した。その後も自社の祝賀会には森を招待し続けた[11]。
2013年2月9日東京オリンピック・パラリンピック組織委員会がソチで行った記者会見において、委員長の森が高齢であることに加え、語学力に不安があることを追及されたが、森は自分たちの時代には英語は「敵国語」であったと述べ、「昔はボール、ストライクも『よし』『駄目』と日本語を使わされて野球をやっていた。私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」と答え、外国人記者を「敵国語とは不快な表現だ」(英国人記者)「ジョークだと言えば笑い話で済んだが、そうではなかった」(米国人記者)と当惑させた[12]。なお、森は1937年(昭和12年)7月14日生まれであり、終戦当時で8歳であったから、戦後の英語教育を受けている。
背景
編集森によれば、毎日グループなどから受けた偏向報道には次のような背景があり、一部の当事者は認めているのだと言う。
私がなぜこうも悪意ある報道をされたかには、理由があります。(中略)新聞記者が中立・公正だというのは疑問があります。たとえば、永年にわたり記者が担当する政治家とお酒を飲んだり、麻雀をしたりして仲良くなり、その人が当選すれば、一緒に万歳もするでしょう。(中略)当時官邸にいた記者たちは、田中派や、田中派と仲の良かった大平派を担当していた記者が多く、デスクも田中派担当の経験者が多かった。アンチ福田派の態勢だったのです。(中略)実際、あるテレビ局のキャップが首相官邸で、「森政権なんか、三ヵ月で潰してやる」と豪語していたと後で聞かされました。
総理退陣後、ある結婚式でキャスターの筑紫哲也さんと一緒になったのですが、筑紫さんは、一連の批判報道についてスピーチで、はっきりと言いました。
「今日は、森前総理も見えていますが、森政権時代、我々も『森を潰せ』という戦略で少しやりすぎだったと思っています。一国の総理とメディアの間には、ある程度の緊張感が必要で、ある程度の批判はする。しかし、森さんについてはやりすぎたという反省がある」
何をいまさら、という気分でした。 — 森喜朗(聞き手大下英治)「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『WiLL』2007年9月P51-52
さらに、森はマスコミのあり方にも一石を投じている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 「The Terra Cotta Army: China's First Emperor and the Birth of a Nation」
- ^ 第三十六回 政治家なら、まずはジョークで 2008年10月30日 vol.1171 『ニュースダイジェスト』(1985年『Eikoku News Digest Ltd.』として創刊された日本語新聞)
記事中に「当時、沖縄での取材時には、この話は聞かなかった。」とある。 - ^ 「蔵出し特集 嘘みたいな本当の話 サミットで首脳夫人にも嫌われた森喜朗首相の英会話」『週刊文春』第42巻第29号、2000年8月3日。
- ^ 中村真理子「ウワサ 森首相「フー・アー・ユー」失言!?の真偽」『週刊朝日』2000年8月11日
- ^ 統一日報 ソウル事情 英語は“学歴測定の道具”にあらず
- ^ Asia Buzz: Korean Kut-Up
- ^ また、おおばともみつ『世界ビジネスジョーク集』(中公新書ラクレ、2003年)p.144には、森がクリントンに話した、とされるものと会話のプロセスが全く同じものが、著者が採録したジョークとして掲載されている。ただし、登場人物は固有名詞のない「韓国大統領」とクリントンとなっている
- ^ 例 挨拶について『山田翻訳事務所』
商談のときの挨拶を説明する際、悪い例として取り上げた上、「Me too」と述べた後に「一瞬, 戸惑ったような沈黙が流れました.」などと書かれている - ^ 高畑昭男「ジョークの活用」『毎日新聞』2000年(平成12年)10月3日東京本社夕刊9面。
- ^ 平河卓『森喜朗 全人像』P225-228
- ^ 「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『WiLL』2007年9月
- ^ 「森会長「英語は敵国語だった」 ソチ会見で語学力問われ…」『産経新聞』平成26年(2014年)2月10日付大阪本社朝刊13面。
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 「ブッシュ再選と今後の日米関係」『第141回琉球フォーラム』琉球新報社 2004年8月11日
- この講演にて高畑が創作した事実を認めた。