TW-68は、石田財団(現石田退三記念財団)傘下の石田エアロスペースが計画したティルトウイング式の垂直/短距離離着陸機(V/STOL機)。実機は製造されていない。

経緯

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石田財団は、XC-142CL-84XV-15V-22の開発に関わった技術者らが立ち上げた[1]アメリカのベンチャー企業DMAV(Dual Mode Air Vehicle)と共同で、ティルトウイング機TW-68の開発を計画した[1][2][3]1988年昭和63年)夏の時点で風洞実験が行われており[4]1989年平成元年)6月8日には計画が発表され[2]、同年のパリ航空ショーにも出展された[1]。1989年12月には、石田財団とDMAVによってTW-68開発のために[3]石田エアロスペース[5][6][7](TWインダストリー[3])が設立された[3][5][6][7]

日本への技術移転に関する批判への対応策として、研究・開発施設はアメリカに置くものとされ[1]、試作実験工場はダラス近郊の[6][8]アライアンス空港英語版にて[4][5]1992年(平成4年)に着工された[9]。機体そのものについてもエンジンおよびローターの形式の決定[9]モックアップの製作[5]型式証明の申請といった段階まで進行したが作業の本格化は見送られ[10]、開発段階に達さないまま1993年(平成5年)に計画は中止されている[11]。計画当初は試作機4機の製造が予定され[1]、完成は1993年と見積もられていたが、数度の延期の後、最終的な時点では1996年(平成8年)完成予定とされていた[4]

石田財団はコミューター航空に関心を抱いていた[6]羽田空港 - 小笠原村間の定期航空路用の機体の候補としてTW-68が挙げられたこともあった[12]

設計

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機体はセミモノコック構造[7]。主翼は高翼配置のティルトウイングで、エンジンは主翼の上側に、6翅のローターとギアボックスは主翼の下側に、一体型のナセルに収まった形で配されている[13]。最初の計画ではPW120級のエンジンを装備する予定だったが、連邦航空局(FAA)の耐空証明要件に合致させるべく、1990年(平成2年)10月に[4]エンジン1基が停止した場合の耐空性に優れるPT6A[4][8]あるいはPT6B-67Rを計4基、2基を連ねて同じナセルに収め1基のローターを駆動させる形へと変更された[1]。尾翼はT字尾翼着陸脚は前輪式[7]。なお、研究開発には日本の技術者も関与しているが[10]、初期設計および開発はDMAV側が担当している[1]

派生型として「TW-68ストレッチ」の計画も存在し、こちらでは胴体を延長して乗客定員を19名へ増やすとともに、エンジンをPT6Aの改良型4基、あるいは3,500 shp級のもの2基へと変更する予定だった[1]

諸元(計画値)

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出典:「Ishida TW-68 - Archived 10/95」 1,2頁[13]

  • 全長:12.00 m
  • 翼幅:10.97 m
  • 全高:4.08 m
  • 翼面積:23.7 m2
  • 空虚重量:5,000 kg
  • 最大離陸重量:6,320 kg(VTOL時)、8,158 kg(STOL時)
  • エンジン:P&WC PT6B-67R ターボシャフト(1,000 - 1,500 shp) × 4
  • 最大巡航速度:552 km/h
  • 通常巡航速度:496 km/h
  • 航続距離:1,800 km
  • 乗員:2名
  • 乗客:9名(ビジネス機仕様)、14 - 16名(旅客機仕様)

脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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