T-2女川墜落事故(T-2おながわついらくじこ)は、2000年(平成12年)3月22日に発生した、航空機墜落事故。

松島基地第21飛行隊所属の、T-2練習機(1994年撮影、同型機)

概要

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松島基地第4航空団所属のT-2練習機が、訓練からの帰投中に山林に墜落、激突した。操縦者は訓練学生のA三等空尉(25歳)で、単独飛行の訓練中だった。同日中に、A三尉の遺体が回収された[1]

この後、第4航空団は、4か月後の7月にブルーインパルス牡鹿半島墜落事故が発生し、ともに女川原発周辺(10km圏内)だった[2][3]

経緯

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事故発生

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松島基地第4航空団所属のT-2練習機は事件当日、A三等空尉(25歳)の操縦のもと、単独飛行訓練を行っていた[2]。A三等空尉は飛行時間が約270時間であり、事故当時はパイロットになる教育中の操縦学生であった[2]。また、T-2練習機に搭乗するのは15回目で事件当日は2回目の単独飛行だった[2]

午後1時17分、A三等空尉は単独飛行訓練を終了したため、松島基地に帰投する予定だったが、午後2時5分に無線連絡が途絶えた[2]。 

消火と遺体の回収

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午後1時55分頃、「宮城県女川町指ケ浜の山林に飛行機が墜落し、山火事が起きた」と119番通報が入ったため、石巻警察署と救難機が駆けつけたところ、T-2練習機が墜落し、周囲に山火事が発生しているのを確認した[2]。 

山火事はすぐに消し止められたが、焼け跡からA三等空尉の遺体を発見した[2]。 

脚注

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  1. ^ a b c 2000年3月23日 朝日新聞「空自機墜落 三尉が死亡」
  2. ^ a b c d e f g 自衛隊機墜落:T2型練習機操縦の3等空尉死亡 宮城の山林」『毎日新聞』2000年3月22日。オリジナルの2001年6月28日時点におけるアーカイブ。2025年2月8日閲覧。
  3. ^ ブルーインパルス:2機の機体発見 3遺体を確認 宮城」『毎日新聞』2000年7月5日。オリジナルの2001年12月27日時点におけるアーカイブ。2025年2月8日閲覧。

関連項目

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