STS-61-A
STS-61-Aは、アメリカ航空宇宙局 (NASA) のスペースシャトル計画の22回目の飛行である。西ドイツが資金拠出及び運用を行ったスペースラブによる科学ミッションであり、そのため、NASAの付番とは異なるD-1(Deutschland-1)という番号も持つ。STS-61-Aは、1986年のSTS-51-Lで爆発したチャレンジャーのミッションとしては、最後に成功したものとなった。STS-61-Aの乗組員は8人で、打上げから帰還まで1機の宇宙船に乗っていた人数としては、現在も最多の記録である。
STS-61-Aでのチャレンジャーの打上げ | |
任務種別 | 微小重力実験 |
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運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1985-104A |
SATCAT № | 16230 |
任務期間 | 7日44分51秒 |
飛行距離 | 4,682,148 km |
周回数 | 112 |
特性 | |
宇宙機 | チャレンジャー |
打ち上げ時重量 | 110,568 kg |
着陸時重量 | 97,144 kg |
ペイロード重量 | 14,451 kg |
乗員 | |
乗員数 | 8 |
乗員 | ヘンリー・ハーツフィールド スティーブン・ネーゲル ボニー・J・ダンバー ジェームズ・ブフリ ギオン・ブルーフォード ラインハルト・フラー エルンスト・メッサーシュミット ウッボ・オッケルス |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1985年10月30日 17:00:00 (UTC) |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター第39発射施設 |
任務終了 | |
着陸日 | 1985年11月6日 17:44:51 (UTC) |
着陸地点 | エドワーズ空軍基地第17滑走路 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 319 km |
遠点高度 | 331 km |
傾斜角 | 57.0° |
軌道周期 | 91.0分 |
後列:左から、ネーゲル、ブルーフォード、メッサーシュミット、オッケルス 前列:左から、フラー、ダンバー、ブフリ、ハーツフィールド |
このミッションでは、スペースラブで76の実験が行われ、成功したと宣言されている[1]。ペイロードの運用は、NASAのコントロールセンターではなく、オーバーパッフェンホーフェンにあるドイツ航空宇宙センターで行われた[2]。
乗組員
編集- 船長 - ヘンリー・ハーツフィールド (3)
- 操縦手 - スティーブン・ネーゲル (2)
- ミッションスペシャリスト1 - ボニー・J・ダンバー (1)
- ミッションスペシャリスト2 - ジェームズ・ブフリ (2)
- ミッションスペシャリスト3 - ギオン・ブルーフォード (2)
- ペイロードスペシャリスト1 - ラインハルト・フラー、DLR (1)
- ペイロードスペシャリスト2 - エルンスト・メッサーシュミット、DLR (1)
- ペイロードスペシャリスト3 - ウッボ・オッケルス、ESA (1)
バックアップ
編集- ペイロードスペシャリスト3 - ウルフ・メルボルト、ESA
ミッションの概要
編集チャレンジャーは、1985年10月30日午後0時00分 (EST) にケネディ宇宙センターの第39発射施設Aから打ち上げられた。資金と運用の大部分を他国が行う初めてのスペースシャトルのミッションとなった。また、乗組員が8人の唯一のミッションとなった。乗組員は、船長のヘンリー・ハーツフィールド、操縦手のスティーブン・ネーゲル、ミッションスペシャリストのボニー・J・ダンバー、ジェームズ・ブフリ、ギオン・ブルーフォード、そしてペイロードスペシャリストは西ドイツのラインハルト・フラーとエルンスト・メッサーシュミット、ESAのウッボ・オッケルスであった。
このミッションの主目的は、ほぼ全てが微小重力と関連する一連の実験をスペースラブで行うことであった。スペースラブの飛行は4回目であった。その他2つの任務は、Global Low Orbiting Message Relay Satellite (GLOMR) のカードベイからの放出とペイロードベイのGerman Unique Support Structureと呼ばれる構造に搭載された5つの材料実験であった。実験には、毛細管現象、マランゴニ効果、拡散、臨界点等の流体物理学の実験、固化実験、単結晶成長の実験、混合物の実験、細胞機能、発生過程、重力を関知する植物の能力等の生物学実験、ヒトの重力の知覚、宇宙への適応過程等の医学実験等があった。
関心を集めた実験設備は、正確に制御された加速度で前後に動く被験者を乗せたシートとスペースラブの通路の由佳に固定されたレールからなるVestibular Sledである。シートに縛り付けられた被験者を詳細に測定することで、ヒトの前庭の機能組織と、微小重力下での前庭の適応のデータが得られた。そりによる加速実験は、内耳の熱刺激や目の視運動性刺激と組み合わせられた。
NASAはスペースシャトルを運用し、飛行中における安全性や制御の機能の全体に責任を負った。西ドイツは、7日間のミッションにおける科学研究に責任を負った。この機能を満足するため、地上にいるドイツの管制員は、軌道上の乗組員と連携して働いた。1日24時間実験を行うため、軌道上の乗組員は2つのチームに分かれた。地上と軌道の間の通信は、ミッションの間中、最適に保たれた。
GLOMR衛星の放出は成功し、スペースラブの分離構造に搭載された5つの実験機器も有益なデータを得た。チャレンジャーは、1985年11月6日、エドワーズ空軍基地第17滑走路に最後の着陸を行った。午後0時45分 (EST) に、7日と45分間のミッションを終えて、停止した。
STS-61-Aは、1986年1月28日のSTS-51-Lの打上げ時に爆発したチャレンジャーにとって、最後の成功したミッションとなった。
出典
編集- ^ “German-run shuttle mission successful. ? Free Online Library”. Thefreelibrary.com (16 November 1985). 18 May 2011閲覧。
- ^ “STS-61A Space Shuttle Challenger Mission”. Space.about.com. 18 May 2011閲覧。
外部リンク
編集- NASA mission summary - ウェイバックマシン(2000年10月17日アーカイブ分)
- STS-61A Video Highlights - ウェイバックマシン(2007年7月14日アーカイブ分)
- German-run shuttle mission successful