SCフェーンダム
SCフェーンダム(SportClub Veendam, オランダ語発音: [ɛs.ˈseɪ̯ ˈveɪ̯n.dɑm])は、オランダ・フローニンゲン州の都市フェーンダムを本拠地としていたサッカークラブである。最終シーズンとなった2012-13シーズンはエールステ・ディヴィジ(2部)に所属していた。1894年に創設されたが、119年後の2013年に解散した。クラブカラーは黒と黄色である。最大のライバルはドレンテ州エメンに本拠地を置くFCエメンだった。所在州は異なるが、両都市は50kmほどの近距離にある。
SCフェーンダム | |||
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原語表記 | SportClub Veendam | ||
愛称 | Veenkolonialen, Black Yellow Angels(黒と黄色の天使) | ||
クラブカラー | 黄と黒 | ||
創設年 | 1894年 | ||
解散年 | 2013年 | ||
ホームタウン | フェーンダム | ||
ホームスタジアム | デ・ランヘレーフテ | ||
収容人数 | 6,500 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
歴史
編集1894年9月4日にルック=アウト(Look-Out)という名称で設立された、オランダでもっとも古いプロサッカークラブのひとつである。1909年にプリンセス・ユリアナ・フェーンダム(Prinses Juliana Veendam)[1]という名称に変更されたが、すぐに都市名を採ったフェーンダムという単純なクラブ名に変更された。1954年にオランダにプロリーグが導入されると、フェーンダムもプロクラブ化された。1974年にはプロ部門が独立してSCフェーンダム(Sportclub Veendam)となり、アマチュア部門はフェーンダム1894(Veendam 1894)となった。SCフェーンダムは後にBVフェーンダム(Betaalde Voetbal Veendam)となった。プロ化後は歴史の大部分をエールステ・ディヴィジ(2部)で過ごしているが、1954-55シーズン(13位)、1986-87シーズン(17位)、1988-89シーズン(18位)の3シーズンはエールディヴィジ(1部)に在籍した。
2009-10シーズン中には多くの財政問題に悩まされ、シーズン終了後すぐの2010年4月28日には債務超過による破産宣言を要求された[2]。5月12日にはついに破産宣告がなされ、115年の歴史に終止符を打つ恐れがあったが[3]、6月2日の最終期限までに負債の大部分を返済するだけの資金を集め、クラブ側の上訴によって評決は覆された[4][5]。2011年、クラブの名称をBVフェーンダムからSCフェーンダムに変更したが[6]、再び資金問題が深刻化し、2013年3月25日に破産を宣告された[7]。リーグ規定によって大会から途中脱退し、クラブは解散となった。
栄誉
編集- エールディヴィジ昇格
- 1986, 1988
- 1959, 1968
過去の成績
編集シーズン | ディビジョン | 国内リーグ | 国内カップ | 備考 | |||||||
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順位 | 試合 | 勝ち点 | 得点 | 失点 | 監督 | 最多得点者 | 得点数 | ||||
1956–57 | トゥウェーデ・ディヴィジ | 4 | |||||||||
1957–58 | 6 | ||||||||||
1958–59 | 2 | エールステ・ディヴィジ昇格 | |||||||||
1959–60 | エールステ・ディヴィジ | 15 | |||||||||
1960–61 | 13 | ||||||||||
1961–62 | 5 | ||||||||||
1962–63 | 13 | ||||||||||
1963–64 | 12 | ||||||||||
1964–65 | 15 | トゥウェーデ・ディヴィジ降格 | |||||||||
1965–66 | トゥウェーデ・ディヴィジ | 6 | |||||||||
1966–67 | 5 | 昇格プレーオフ出場、昇格できず | |||||||||
1967–68 | 3 | 昇格プレーオフ出場、エールステ・ディヴィジ昇格 | |||||||||
1968–69 | エールステ・ディヴィジ | 7 | |||||||||
1969–70 | 12 | ||||||||||
1970–71 | 13 | 1回戦敗退 | |||||||||
1971–72 | 10 | 1回戦敗退 | |||||||||
1972–73 | 12 | ベスト16 | |||||||||
1973–74 | 19 | 1回戦敗退 | |||||||||
1974–75 | 19 | 1回戦敗退 | |||||||||
1975–76 | 8 | 2回戦敗退 | |||||||||
1976–77 | 14 | 1回戦敗退 | |||||||||
1977–78 | 17 | ベスト8 | |||||||||
1978–79 | 12 | 2回戦敗退 | |||||||||
1979–80 | 16 | 1回戦敗退 | |||||||||
1980–81 | 15 | 2回戦敗退 | |||||||||
1981–82 | 10 | 2回戦敗退 | |||||||||
1982–83 | 12 | ベスト16 | |||||||||
1983–84 | 16 | 1回戦敗退 | |||||||||
1984–85 | 10 | 1回戦敗退 | |||||||||
1985–86 | 4 | 2回戦敗退 | 昇格プレーオフ出場、エールディヴィジ昇格 | ||||||||
1986–87 | エールディヴィジ | 17 | 2回戦敗退 | エールステ・ディヴィジ降格 | |||||||
1987–88 | エールステ・ディヴィジ | 2 | 2回戦敗退 | エールディヴィジ昇格 | |||||||
1988–89 | エールディヴィジ | 18 | 2回戦敗退 | エールステ・ディヴィジ降格 | |||||||
1989–90 | エールステ・ディヴィジ | 8 | 2回戦敗退 | ||||||||
1990–91 | 18 | 38 | 25 | 47 | 78 | ティーモ・メーテンス | リー・パイン | 10 | 1回戦敗退 | ||
1991–92 | 12 | 38 | 40 | 48 | 49 | テオ・ヴェルランヘン | ウィレム・ブロウウェル | 12 | 3回戦敗退 | ||
1992–93 | 16 | 34 | 22 | 32 | 60 | ウィレム・ブロウウェル | 9 | 3回戦敗退 | |||
1993–94 | 17 | 34 | 23 | 39 | 57 | ヘンク・ニーフイス | ウィレム・ブロウウェル | 11 | 2回戦敗退 | ||
1994–95 | 8 | 34 | 38 | 54 | 41 | ヤン・スフルティンフ | ジョセフ・オースティンク ベルト・ズールマン |
11 | 2回戦敗退 | ||
1995–96 | 4 | 34 | 58 | 48 | 35 | レスモント・プリンセン | 6 | GS敗退 | 昇格/降格プレーオフ出場、昇格できず | ||
1996–97 | 10 | 34 | 49 | 44 | 35 | ヘニー・メイジェル | 14 | 2回戦敗退 | |||
1997–98 | 12 | 34 | 45 | 51 | 55 | ヘンク・ボデウェス | ベルト・ズールマン | 16 | 2回戦敗退 | ||
1998–99 | 13 | 34 | 39 | 47 | 54 | マルニクス・コルデル ボブ・ムルデル |
8 | 2回戦敗退 | |||
1999-2000 | 12 | 34 | 41 | 50 | 61 | アジンフ・フリーヴェル | マルニクス・コルデル | 8 | 3回戦敗退 | ||
2000–01 | 14 | 34 | 39 | 54 | 69 | マルティン・コープマン | Ivan Tsvetkov | 18 | 2回戦敗退 | ||
2001–02 | 11 | 34 | 45 | 60 | 62 | Ivan Tsvetkov | 22 | 3回戦敗退 | |||
2002–03 | 17 | 34 | 32 | 37 | 66 | ヤン・コルテ | リック・スロール | 4 | 2回戦敗退 | ||
2003–04 | 14 | 36 | 34 | 44 | 71 | ロナルト・ハミンク | 21 | 3回戦敗退 | |||
2004–05 | 11 | 36 | 45 | 47 | 56 | ロナルト・ハミンク | 16 | 3回戦敗退 | |||
2005–06 | 14 | 38 | 51 | 54 | 60 | ヨープ・ハル | ロナルト・ハミンク | 14 | 2回戦敗退 | ||
2006–07 | 8 | 38 | 55 | 57 | 50 | マルニクス・コルデル | 15 | 2回戦敗退 | 昇格/降格プレーオフ出場、昇格できず | ||
2007–08 | 15 | 38 | 44[8] | 57 | 67 | マルク・ヴェルドマテ | 11 | 3回戦敗退 | |||
2008–09 | 19 | 38 | 36[9] | 46 | 67 | ミヒエル・ヘマン | 7 | 2回戦敗退 | |||
2009–10 | 9 | 36 | 52 | 57 | 48 | ミハエル・デ・レーウ | 25 | 2回戦敗退 | |||
2010–11 | 4 | 34 | 53 | 54 | 44 | ヘルト・ヘールケス | ミハエル・デ・レーウ | 13 | 4回戦敗退 | 昇格/降格プレーオフ出場、昇格できず | |
2011–12 | 16 | 34 | 22 | 42 | 67 | アンコ・ヤンセン | 10 | 2回戦敗退 | |||
2012–13 | 順位なし | シーズン途中に破産宣告されてリーグから脱退した |
歴代監督
編集- アジンク・フリーヴェル 1998-1999, 1999-2000
- ヨープ・ハル 2005-2011
- ヘルト・ヘールケス 2011-2013
歴代所属選手
編集- ヨハン・デルクセン 1972-1975
- DF。引退後はスポーツジャーナリストとなった。
- ロン・ヤンス 1988-1991
- MF。日本のマツダSCにも在籍した。引退後はサッカー指導者となった。
- ユリー・コールホフ 1978-1979, 1993-1994
- FW。元オランダ代表。引退後はサッカー指導者となった。
- ピーター・ハウストラ 1986-1987
- FW。元オランダ代表。引退後はサッカー指導者となり、アヤックス・アカデミーなどで指導している。
- ヘニー・マイヤー 1996-1998
脚注
編集- ^ ユリアナは1948年から1980年まで在位したオランダ女王。1909年に生まれた。
- ^ “Last chance for Veendam football club”. DutchNews.nl. (29 April 2009) 2010年5月1日閲覧。
- ^ “Veendam na 115 jaar ten onder” (Dutch). Jupiler League. (12 May 2010) 2010年5月12日閲覧。
- ^ “Sluitende begroting Veendam” (Dutch). Jupiler League. (2 June 2010) 2010年6月4日閲覧。
- ^ “Rechter stelt Veendam in gelijk” (Dutch). Jupiler League. (4 June 2010) 2010年6月4日閲覧。
- ^ [1]
- ^ Reddingsactie mislukt: SC Veendam is definitief failliet Voetbal International、2013年4月2日
- ^ フェーンダムとAGOVVアペルドールンは財政問題を指摘されて勝ち点を3減点された。
- ^ 勝ち点を3減点された。