S-Fマガジン
『S-Fマガジン』(エスエフマガジン)は、早川書房が発行しているサイエンス・フィクション専門の雑誌。偶数月25日発売。通称はハイフン抜きの「SFマガジン」。SF界では単に「マガジン」と呼称される。ハードSFなど狭義のSFの他、ファンタジーや奇想小説・奇妙な味の作品、漫画作品なども積極的に掲載している。
S-Fマガジン | |
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1961年3月号 | |
ジャンル | サイエンス・フィクション雑誌 |
刊行頻度 |
月刊(1960年2月号 - 2015年3月号) 隔月刊(2015年4月号 - 現在) |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 早川書房 |
編集長 | 福島正実、森優ほか |
刊行期間 | 1960年2月号 - 現在 |
沿革・概要
編集1959年(昭和34年)12月25日、『S-Fマガジン』創刊号(1960年2月号)が発売。アメリカ合衆国のSFとファンタジーの専門誌『ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション』誌と提携する形で創刊された(のちに、1962年2月号から提携とりやめ[1])。月刊誌としてスタートした。当時、SF小説を出版するとその出版社は倒産するというジンクスがもっぱら出版界で語られた時代での創刊だった[2]。初代編集長として福島正実が創刊にあたった。
創刊号では、ロバート・シェクリイ『危険の報酬』、フィリップ・K・ディック『探検隊帰る』、アイザック・アシモフ『やがて明ける夜』、アーサー・C・クラーク『太陽系最後の日』、レイ・ブラッドベリ『七年に一度の夏』等を掲載している。
日本人作家特集を刊行したが、いまだ日本のSF作家が存在しない時代だったため、佐野洋、高橋泰邦など既存の推理作家に原稿を依頼したばかりでなく初代編集長の福島みずから執筆している[2]。
1961年(昭和36年)には新人発掘のために第1回空想科学小説コンテスト(後にハヤカワSFコンテストと改称)を開催[3]。
1966年(昭和41年)には『ギャラクシー・サイエンス・フィクション』と特約を結び、同誌が休刊した1969年には姉妹雑誌の『イフ』と特約した[4]。
1968年12月25日に発行された1969年2月号の特集をきっかけとして「覆面座談会事件」が発生。福島は1969年5月末をもって早川書房編集部長およびSFマガジン編集長を辞任した[5]。南山宏が2代目編集長として跡を継いだ。
1989年から1991年の間、増刊号として若年層向けの『小説ハヤカワHi!』を季刊で刊行したが、これらの増刊号も通巻号数には含まれる。
2015年4月号(2月発売)以降は隔月刊化され、偶数月25日の発売となる[6]。
歴代編集長
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | |
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初代 | 福島正実 | 1960年2月号 | 1969年 | 覆面座談会事件による引責辞任 |
2代 | 森優 | 1969年 | 1974年 | |
3代 | 長島良三 | 1974年 | 1975年 | 『ミステリマガジン』編集長と兼務 |
4代 | 倉橋卓 | |||
5代 | 早川浩 | |||
6代 | 今岡清 | 1979年 | 1991年 | |
7代 | 阿部毅 | 1991年 | 1996年10月号 | |
8代 | 塩澤快浩 | 1996年11月号 | 2009年3月号 | |
9代 | 清水直樹 | 2009年4月号 | 2010年9月号 | |
10代 | 塩澤快浩 | 2010年10月号 | 2021年11月号 | 再任 |
11代 | 溝口力丸 | 2021年12月号 | 現職 |
近年の主な執筆者
編集執筆したことのある主な作家
編集誌上をめぐる騒動
編集- 覆面座談会事件 - 福島が退社する原因になった。
その他
編集脚注
編集参考文献
編集- 豊田有恒『日本SF誕生 - 空想と科学の作家たち』勉誠出版、2019年8月5日。ISBN 978-4585291848。
- 福島正実『未踏の時代 - 日本SFを築いた男の回想録』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2009年12月15日。ISBN 978-4-15-030976-3。
- 長山靖生『日本SF精神史 - 幕末・明治から戦後まで』河出書房新社〈河出ブックス〉、2009年12月30日。ISBN 978-4-309-62407-5。