KKドラフト事件
KKドラフト事件(ケーケードラフトじけん)は、1985年(昭和60年)のプロ野球ドラフト会議を巡って発生した騒動。
概要
編集PL学園高等学校の桑田真澄と清原和博は、1年生時からエースと4番としてそれぞれ活躍し、5回の全国大会出場のうち優勝が2回・準優勝が2回・ベスト4が1回という記録を残した。二人はKKコンビと呼ばれ、プロ野球ファンのみならず、世間の注目を大いに集めた。
清原はプロ入りを志望し、読売ジャイアンツへの入団と、尊敬する王貞治監督の下でのプレーを熱望していた[1]。清原と12球団担当者はドラフト前に面談し、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、阪急ブレーブスが早々に撤退した。清原は巨人以外では中日ドラゴンズ、阪神タイガースなどセ・リーグを希望し、阪神藤江清志編成部長には「交渉権を得たら来てくれるか?」と問われて「はい、お世話になります」と答えている。一方、巨人伊藤菊雄スカウト次長は清原と両親に「野手では1番の評価」と伝えていたが、「1位は投手か野手か、まだ決めていない」と確約はしなかった[2]。
桑田は大学への進学を表明[3]し、ドラフト会議4日後の11月24日に早稲田大学教育学部の入学特別選抜試験を控えていた[4][5](ドラフト会議当日までに早稲田大学への進学が決まっていたわけではない)。このため、プロ志望の清原は指名の競合が予想された一方、進学志望を表明している桑田への指名は回避されると思われた。
1985年のドラフト会議(11月20日開催)当日に桑田には3球団から1位指名の連絡が入った。しかし、ドラフト会議でその3球団は桑田ではなく清原を指名した[6][7]。一方で巨人は清原ではなく、桑田を1位で単独指名して交渉権を獲得した[8][9][10][11][12][13]。当時、西武の球団管理部長であり、自身で清原のくじを引き当てた根本陸夫[14]によると、桑田がドラフト1位で指名されなければ外れ1位又は2位で西武が指名する予定だった[15][16]。根本がこの話をドラフト直前にリークしたため、巨人は桑田を単独1位指名してこれを阻止した[17][18][19][20]。巨人の桑田1位指名は王貞治監督もドラフト会場に着くまで知らされていなかった[21]。清原には6球団が1位指名で競合し、杉浦忠(南海)、高田繁(日本ハム)、田村和夫(中日)、岡本伊三美(近鉄)、根本陸夫(西武)、岡崎義人(阪神)の順で抽選の結果、根本陸夫が当たりくじを引き当てて西武ライオンズが交渉権を獲得した[22]。
巨人からの指名を希望していた清原は会見で涙を流した[23][24]。
その後、11月26日に清原と両親は根本陸夫管理部長に面会し、12月12日に清原の西武入団が発表された[25]。桑田も早稲田大学の入学試験を辞退し巨人に入団した。桑田は早稲田受験中止後の記者会見で「自分の初志を貫徹したということです。巨人1位だったら入ると考えていたし、それ以外だったら早稲田と決めていました」と答えた[26]。ドラフト後に様々なメディアで巨人と桑田に密約があったのではないかと報道されたが、今なお真相は藪の中である[27]。
清原は、1987年の日本シリーズで西武が巨人を破った際、シリーズ制覇目前となった試合終了間際に一塁手として守備位置で涙を流したことが語り草となっている[28]。その後、清原はFA権を行使し、1997年のシーズンから巨人に移籍し、2005年に自由契約となってオリックスへ移籍するまで再び桑田とチームメイトとなった。
脚注
編集出典
編集- ^ PL学園OBがすべて語った「桑田巨人 ドラフト密約の真実」
- ^ 事前面談の意味――清宮と清原のドラフト狂騒曲
- ^ KKドラフトのシナリオは二頭取りだった 日刊ゲンダイ 2015年6月3日
- ^ 桑田真澄 41歳のキャンパスライフ。 - Number Web、2009年5月25日 石田雄太
- ^ 桑田と清原の運命を分けたドラフト会議「30年後の真実」とは - SAPIO 2015年9月号
- ^ 桑田真澄の裏金事情はいかに!?巨人の1軍で登板までのエピソードを聞いてみたよ!
- ^ 3球団が1位指名を連絡してきた/桑田真澄7 - 野球の国から 高校野球編 - 野球コラム : 日刊スポーツ
- ^ 巨人が桑田単独指名 密約説も/ドラフト回顧録1
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ 桑田ドラフト1位指名の真実「巨人なら入ってくれる」(前編)
- ^ 桑田ドラフト1位指名の真実「巨人なら入ってくれる」(中編)
- ^ 桑田ドラフト1位指名の真実「巨人なら入ってくれる」(後編)
- ^ 根本は1985年のドラフト会議で、6球団が競合した清原の当たりクジを引き当てた
- ^ 第5回 KKドラフトの舞台裏(1)
- ^ 第6回「KKドラフトの舞台裏」(山田 收=報知新聞社)
- ^ 【白球つれづれ番外編】伝説の仕事人~ドラフト特集2~
- ^ 「KKドラフト」の再現!? “日本ハム・菅野"に凍り付く巨人
- ^ 清原&桑田、長嶋解任…巨人軍「重大事件のウラ真相」
- ^ 「西武も桑田真澄を狙っていた」根本陸夫の右腕が語るKKドラフトの真実|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
- ^ 王さん「彼の涙は当然」清原1位が急転、桑田の真相
- ^ 【勇者の物語】ドラフト騒然 巨人と桑田、やはり密約? 虎番疾風録番外編7 - 産経ニュース
- ^ 運命のKKドラフト。清原和博の涙【1985年11月20日】
- ^ 清原涙、巨人にふられ西武が1位交渉権
- ^ 気がつけば40年(15)1985年ドラフト 巨人にフラれた清原は西武の背番号3を選んだ― スポニチ Sponichi Annex 野球
- ^ KKドラフト後の桑田真澄とその周辺「巨人1位だったら入ると考えていた」
- ^ 「密約」はあったのか? 桑田と清原「涙のドラフト会議」を語ろう
- ^ スポーツニッポン1987年11月1日・西武-巨人(西武)