IKECHAN
来歴
編集- 12歳のころからギターを弾き始め、同時に作詞・作曲も始める。
- 1995年には地元の大阪・泉州の「だんじり祭り」をテーマにした「だんじり」をインディーズCDで発売し、2万枚以上をセールスし、話題になる[1]。
- 1997年にはテイチクレコードから「ケヤキの神」「祭花」でメジャーデビューを果たし、だんじりファンの中ではカリスマ的存在となる。
- 1998年には5000人ライブを行い成功を収める。
- 1999年4月、テレビ愛知のジングルに出演し、名古屋での活動も始まる。名古屋弁コミックソング「愛知はDAGAYA」を発売、話題となる。同年、岐阜県の夏祭りに神野美伽らと共演も果たした。
デビュー当時から3人の子供がいた。地元泉州を中心に、ライブ活動を行っており、毎年浪切ホールでコンサートを行っていた。現在ではだんじりに欠かせない存在となっており、町会をはじめ、だんじりを愛している人々からは「ケヤキの神」がカラオケで十八番となっている。[2]。「ケヤキの神」は2015年時点で、岸和田市内のCDショップでは20年近く売上上位に顔を出している[1]。元々宮川大助・花子の弟子で、宮川大助の付き添いで唄っていた。
最近リリースしたCDは、自分の妻をネタにした「俺の女房は大阪生まれ」がある。ライブでの定番となっている「ケヤキの神」は、最近、泉佐野市で結成された、『泉州ソーリャ踊り子隊』のダンスの曲にもなっている。また、ソーラン節にも参加しているらしい[要出典]。
だが、2007年7月に『浪切ホール』でのライヴを最後に、岸和田での活動を終了することになった。2008年3月16日に、地元・貝塚で行われるアコースティックライブを皮切りに、新IKECHANBANDが結成されることになった。2008年6月に発売される予定だったCDをリリースする計画も中止になり、泉州地区でのコンサートをする事自体もなくなって終った。しかし、泉州地区での活動を終えた今、心斎橋のレストランバー・『ウィステリア』で定期的にライヴを行うようになった。なお、2008年6月29日に『ウィステリア』で行ったライヴでは、宮川大助・花子、松下さゆみ、元宝塚歌劇団の万理沙ひとみと共演を果たした。
プロデューサーへの転換
編集作曲家としても活躍しており、宮川大助のデビュー曲の作詞・作曲は池田本人が手掛けた。なお、作曲家として活躍する時は池田大其で活動している。また、シンガーソングライターとして活躍している、2006年11月にデビューした池田夢見は次女である。2008年9月21日には万理沙ひとみの歌手デビューミニアルバム『私のラブソング』の収録曲を全曲作詞作曲し、本格的な音楽プロデューサーに転換した。
病気
編集現在ビュルガー病を患い、糖尿病、痛風、アルコール肝炎も患ったことをアルバム『42歳』で語っている。なお、池田夢見のデビューアルバムのパッケージには、池田本人の名前だけではなく、家族全員の名前が載せられている。
CD
編集- ケヤキの神
- KARAPPO
- 俺の女房は大阪生まれ
- 2005池田大其 俺
- 愛知はDAGAYA
楽曲提供者
編集客演
編集- club Prince「祭の神」
舞台
編集本
編集- だんじりの歌手てなんやねん
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b 岸和田席巻、だんじりソング CD販売20年近く上位、朝日新聞デジタル、2015年9月18日22時36分。
- ^ 産経WEST(2016年9月16日)2017年9月24日閲覧
外部リンク
編集- [ https://www.ikechan.info/ IKECHAN公式サイト]