HT-3 (航空機)
日立 HT-3
HT-3は、日本の日立航空機が計画した中型旅客機。実機は製作されていないが、セミスケールの研究用グライダーである光式研究機1型(ひかりしきけんきゅうき1がた)は飛行に至っている。
概要
編集1939年(昭和14年)、航空局は日立に対して、重量過大のため低性能と評価されたTK-3に代わる大日本航空向けの中型旅客機の試作を指示し、同時に80万円の試作奨励金を下賦した[1]。日立は村山堯技師を主務者として設計作業にあたり[2]、その過程でセミスケールのグライダーを製作し飛行させ[3][4]、寸法効果の影響などといった[4]風洞実験では十分な解析ができない点を補完することとした。この研究用グライダーの試作は航空局から福田軽飛行機に指示され[3][4]、福田では「光式研究機1型」の名称で製作を行った[4]。
光式研究機1型は1940年(昭和15年)12月17日に[3]大阪第二飛行場で初飛行し[3][4]、曳航飛行による試験を[5]翌12月18日にかけて実施した[4]。しかし、軍用機の開発・生産が優先されるようになり、旅客輸送の必要性が薄まったことを受け、光式研究機1型に加えてモックアップが製作されたのみで、HT-3の計画は中止された[2]。
HT-3は日本国内のローカル線での運用を想定した双発機であり、航空局からは実用性を重視した堅実な機体であること、胴体を真円断面とするなど生産性も重視した設計とすること、自動操縦装置を搭載することなどが要求された[2]。光式研究機1型のサイズはHT-3の60パーセントで[4][5]、木製骨組に胴体とエンジンナセルは合板整形、翼は羽布張り。主翼にはフラップを備えていた[5]。
なお、HT-3は日本の航空機開発において、セミスケールのグライダーが活用された最初の例となった[4]。
諸元
編集出典:『日本航空機総集 九州・日立・昭和・日飛・諸社篇』 64,184頁[3]、『日本グライダー史』 82頁[4]。
- HT-3(要求値)
- 全備重量:4,500 kg以下
- エンジン:空冷倒立V型12気筒(400 hp) × 2
- 最大速度:300 km/h以上
- 巡航速度:250 km/h以上
- 実用上昇限度:6,000 m以上
- 航続距離:1,200 km以上
- 乗員:2名
- 乗客:8名
- 貨物搭載量:120 kg