F-4 (潜水艦)
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | |
進水 | 1912年1月6日 |
就役 | 1913年5月3日 |
退役 | |
その後 | 事故で喪失 |
除籍 | 1915年8月31日 |
性能諸元 | |
排水量 | 330トン |
全長 | 142 ft 7 in (43 m) |
全幅 | 15 ft 5 in (4.7 m) |
吃水 | 12 ft 2 in (3.7 m) |
機関 | |
最大速 | 14ノット (26 km/h) |
乗員 | 士官、兵員22名 |
兵装 | 18インチ魚雷発射管4門 |
艦歴
編集当初の艦名はスケート (Skate) として、ワシントン州シアトルのモーガン・ブラザース社で起工した。1911年11月17日に F-4 と改名、1912年1月6日にM・F・バッカス夫人によって進水し、1913年5月3日にK・H・ドナヴィン中尉の指揮下就役した。
太平洋水雷小艦隊、第1潜水艦部隊に配属された F-4 は、西海岸近海で練度向上に努め、1914年8月からはハワイ海域で活動した。1915年3月25日、ホノルル沖での海中での演習中に F-4 は沖合3kmの海域で海中51ファゾム (93 m) に沈没する。ホノルルに所在する海軍部隊のあらゆる努力にもかかわらず、艦は失われ21名の乗員は全員が死亡した。F-4 は海上で失われたアメリカ海軍初の潜水艦となった。
F-4 の船体は1915年8月29日に引き揚げられた。海軍の建造技術者J・A・フューアー、C・B・T・ムーア少将らの勇気ある行動と引き揚げへの執念で、曳航ケーブルが取り付けられた船体は浅い海域に牽引され、C・スミス大尉が特別に考案した浮揚函によって引き揚げが行われた。
事故調査委員会は、バッテリータンクの内側の鉛が腐食し、バッテリー室への浸水が生じたため艦の水中におけるコントロールが失われたと推測した。
F-4 は1915年8月31日に除籍された。
1940年に F-4 の残骸が真珠湾潜水艦基地に埋められた。
外部リンク
編集- On Eternal Patrol: USS F-4
- navsource.org
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。